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人生の目標とか

この目標は達成できた!
自分は成長できたぞ!
次は〇〇を目標にして頑張ろう!

人生右肩上がりの発想。
元気だった頃は、それなりに目標を設定して頑張っていたな。

健康を失い気力も衰えた今、「成長って何?目標って美味しいの?」。
毎朝起きると、生きている自分に気づく。
仕方ないから、今日も何とか生きてみるのかな。
自殺するわけにもいかないし。

「生きたくても生きられない人は沢山いる。贅沢言うんじゃない。」
こう思う人は一定数いるだろう。
また、ほとんどの人は私を人生の落伍者として、見向きもしない。

これまでの人生、私には何も無かった。
あざけり、さげすみ、無視、いじめの類は数知れず。
「役に立たないから排除」
「あれは変わり者だから仲間ではない」
社会不適応者。

社会や人の役に立たなくてもいいから、自分が大好きな何かがあれば救われる。
それすら無かったのだ。
生きがいなんて何も無かった。

昔の文豪ではないが、「生まれてすみません」がぴったり。
社会に適応しようとして、あるいは自分の好きなことを見出そうとして、私なりに精一杯頑張って生きてきた。
でも、無いものは無いのだ。

生命は個体を維持するために、あるいは種を残すために、試行錯誤を繰り返して、それに適した個体や種が選択されてきた。
逆にいえば、種の保存に優位な選択をするためには、優位でなく選択されない個体も産み出す必要がある。

私は生命活動全体の試行錯誤の中で、優位でない個体として生まれてしまった。
このような個体は、同じ種の中で徹底的に排除されてその役目を終える。
「選択されない個体」を生きるために生まれた。

かなり辛いことだ。
それでも人は言うのか?
「生きたくても生きられない人は沢山いる。贅沢言うんじゃない。」

冗談じゃない。
こっちは普通に生きたいだけなんだ。


(念のために追記)
私は優生思想の信奉者ではありません。社会に蔓延する「見えない、無意識の優生思想」の洗礼を浴びて疲れ切り、斃れる寸前の弱者です。

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