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足立実の『ひと言』第25回 「フィリピン人民万歳! マルコス王朝打倒」 1986年3月10日

 マルコス王朝は打倒された。
 二十年も権勢を欲しいままにし、人民を弾圧し、虐殺し、血と汗を搾りとり、富をむさぼったマルコスがフィリピンから叩き出された。なんと人を興奮させる嬉しいことではないか。
 ラモス参謀総長は「これは人民がやったのだ」と認めた。何百万人民が立ちあがらなかったら、アキノ女史は大統領候補に出なかっただろう。エンリレ、ラモスも造反できなかったろう。マルコスも血の弾圧を断念して亡命しなかっただろう。
 反動派はハリコの虎であり、歴史は人民がつくる。フィリピン人民はこの真理をまたも私たちに教えてくれたのである。
 楽観はできない。マルコスの「国軍」がそのまま温存しており、アキノ、ラウレルの階級基盤、アメリカが支配介入を一段と強めたことなどから、新政権がだんだん人民と敵対する方向に進む可能性がある。
 フィリピン人民は更に複雑困難な闘いを進め、最後には勝利するだろう。
 私たち労働者は何をすべきだろうか?
 日本政府はマルコスの最大の援助国だったが、こういうことを再び許してはならないと思う。
 フィリピン人民の敢然と闘い敢然と勝利する精神を学び、労働者の組織化と全国人民の団結にうちこみ、マルコスの兄弟分=中曽根打倒の闘いを進めよう。 (実)

(画像は2月革命を喜ぶフィリピンの民衆。コラソン・アキノのシンボルカラーであった黄色が舞う。2月革命は「黄色革命」とも呼ばれる)

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注釈

・マルコス
フェルディナンド・エドラリン・マルコス(1917年~1989年)は、フィリピン共和国の政治家。第10代フィリピン共和国大統領。独裁者としてフィリピンに君臨し、約20年間にわたって権力を握ったが、1986年のエドゥサ革命によって打倒された。

注2・「マルコスがフィリピンから叩き出された」
1986年に起こったフィリピンの
2月革命=エドゥサ革命。
1986年2月22日のフィリピン軍改革派将校のクーデター決起から25日のアキノ政権樹立に至るまでフィリピンで発生した革命である。「エドゥサ(EDSA)」は、マニラ首都圏にあるアギナルド空軍基地(国防省が同居)が面するエドゥサ通りのことを指す。この革命では、フェルディナンド・マルコス政権に抗議する100万の群衆がエドゥサ通りに集まった。

・ラモス参謀総長
フィデル・ラモス(1928年~)
フィリピンの軍人、政治家。1968年マルコス大統領軍事顧問に就任、翌1969年軍参謀次長を経て1972年国家警察軍長官。1986年のピープル・パワー革命(二月革命)に際しては当時国防相のエンリレとともに反マルコス派の先頭にたち、マルコス失脚に道を開いた。その後、コラソン・アキノ政権下で国軍参謀総長を経て、1987年大統領アキノに離反して解任されたエンリレの後任として国防長官に就任。1991年アキノ政権下最大の与党「フィリピン民主の戦い(LDP)」に入党したが大統領候補指名に敗れ離党。自らの支援組織「エドゥサの力(LAKAS(ラカス))」を結成。1992年アキノの後継指名を受け大統領選に出馬。得票率23.6%という接戦をものにして当選、アメリカから独立後の第8代大統領となる。

・アキノ女史
コラソン・アキノ(1933年~2009年)
フィリピンの政治家。第11代フィリピン共和国大統領(任期:1986年2月~1992年6月)。1983年8月に上院議長である夫のベニグノ・アキノ・ジュニアが暗殺された後、フェルディナンド・マルコス大統領に対抗した。

・エンリレ
ポンセ・エンリレ(1924年~)
フィリピンの政治家。1966年財務次官として官界に入り、68年 12月法相、70年2月国防相に就任。 78年までフィリピン国立銀行総裁。 86年二月革命ではラモスとともにクーデターを決行。アキノ政権下86年2月から12月まで国防相をつとめたが、アキノ大統領との確執が深まった。

・「反動派はハリコの虎であり」
足立実の『ひと言』第24回 「中曽根はハリコの虎だ」参照https://note.com/minoru732/n/nfd4e5733241f

・ラウレル
サルバドール・ラウレル
コラソン・アキノ政権で副大統領を務めた。
フィリピン第3代大統領ホセ・ラウレルの三男。

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1986年2月に起こったフィリピン2月革命について触れているコラム。

「二十年も権勢を欲しいままにし、人民を弾圧し、虐殺し、血と汗を搾りとり、富をむさぼったマルコスがフィリピンから叩き出された。なんと人を興奮させる嬉しいことではないか。」と筆者の興奮が伝わってくる。

2月25日にアキノ女史が大統領就任宣誓を行い、多くのマニラ市民によってマラカニアン宮殿を包囲されたマルコスとイメルダ夫妻は、アメリカ軍のヘリコプターで脱出した。その後マルコス夫妻はハワイ州に向かい、そのままアメリカに亡命し、ここに20年以上にわたるマルコスによる独裁は終焉を迎えた。

このブログの管理人もこの出来事は大学入学前後のことであり、当時のフィリピンでの革命の興奮を今でもありありと覚えている。

筆者は「フィリピン人民の敢然と闘い敢然と勝利する精神を学び、労働者の組織化と全国人民の団結にうちこみ、マルコスの兄弟分=中曽根打倒の闘いを進めよう」と呼びかけている。

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