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足立実(1928年8月12日~2022年2月9日)は東京東部地域の合同労組、東京東部労…

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足立実(1928年8月12日~2022年2月9日)は東京東部地域の合同労組、東京東部労働組合(東部労組)の初代委員長であり労働組合運動の指導者であった。享年94歳

最近の記事

ある労働運動指導者の遺言足立実の『ひと言』第83回「日米安保の解消・アジアとの連帯を!」 1999年6月1日

 日本に他国の軍隊が54年も駐留していることは異常で、独立国とはいえないと思う。  事実、日本は米軍の駐留費を負担しているだけでなく、アメリカのイラク戦争の費用まで負担させられ、外交はアメリカのもっとも忠実な腰ぎんちゃくだ。  だから世界で日本外交を尊敬する国など一つもない。とくにアジア諸国の不信感を半世紀も解消できていない。まったく情けないはなしだ。  日米安保条約は「日本は戦力をもてないので、アメリカに守ってもらう」というのが理由だった。54年のあいだ日本を侵略した国はな

    • ある労働運動指導者の遺言足立実の『ひと言』第82回「戦争前夜は誇張ではない! 日米安保ガイドライン」 1999年5月1日

       戦争はある日突然はじまる。  そして異様なふんい気の中で国民全体がまきこまれていく。 私が体験した日中戦争と日米戦争はそうだった。  このことが、いま私にとってにわかに現実的な不安になってきた。  日米安保新ガイドラインの周辺事態とは、「第二次朝鮮戦争であることは明らかだ」 と竹岡勝美元防衛庁官房長は言っている。「突然はじまる」 日が綿密に準備されているのだろう。  ベトナム戦争 (クリントンが徴兵拒否をした不正義の戦争) のときは、この法律がないために、アメリカは日本の自

      • ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第81回(番外編) 「ストライキについて」 1998年4月7日 

         だれでも平和な日々を好み、 闘争が好きな者はいない。だが、経営者が法に反して労働者の団結権を侵害し、不当な挑発をおこなうならば、われわれは自らの利益を守るために徹底的に争い最後まで闘う。  始めはたいてい会社に申し入れをやったり、社前で抗議集会をやる。これは会社に実害がないかたちでおこなうわれわれの経営者にたいする意思表示であり、警告だ。  労働者をあまく見て警告を無視すればストライキをやることになる。会社がやり放題のことをやるのにわれわれが労務の提供をしなければならない理

        • ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第80回「確信をもって春闘をやろう」 1998年3月15日

           まず われわれの労働をしっかり確認する必要がある。  もし、労働がなかったら・・・原料は製品になるのか。トラックは荷物を運べるのか。スーパーで物を手に入れることができるのか。子供は保育をうけられるのか。パソコンはさまざまな資料を生みだせるのか。病院は患者を救えるのか。障害者は社会的自立に進めるのか・・・。  明白である。労働(肉体的・知的)はあらゆるものを創造する偉大な役割と価値があり、その担い手がわれわれ労働者だ。これは子供たちに堂堂と誇れる職業である。  意地汚い官僚・

        ある労働運動指導者の遺言足立実の『ひと言』第83回「日米安保の解消・アジアとの連帯を!」 1999年6月1日

        • ある労働運動指導者の遺言足立実の『ひと言』第82回「戦争前夜は誇張ではない! 日米安保ガイドライン」 1999年5月1日

        • ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第81回(番外編) 「ストライキについて」 1998年4月7日 

        • ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第80回「確信をもって春闘をやろう」 1998年3月15日

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第79回「先進者の悩み」 1998年3月

           新しい支部の活動家の悩みの一つは、組合結成のときはみんな燃えて参加したが、時がたつにつれ組合員が会議に出なくなり、あるいはやめていくという問題のようだ。  これをどう理解し解決するか。  私は自分の利益をどういう方法で守るかというそれぞれの認識の差から生まれる分岐だと思う。  先進的な人は、経営者と断固闘わなければ労働者の利益は守れないと考えて先頭に立って闘っている。  後れた部分は、会社に幻想をもったり、労働者の力を信じられないので悲観的になり、組合活動にたいする意欲が減

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第79回「先進者の悩み」 1998年3月

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第78回「無名の英雄たちの二五年 組合結成25周年」足立実 1994年1月1日

           私たちの組合の歴史を創ったのはケーテー製作所からスーパーたじまに至る約千人の老若男女の労働者である。  組合結成が三一回あった。みんな資本に対する憤りで不安を乗り越え、妨害や弾圧と闘って組合を結成した。  結成後は会議や職場闘争、団交やストライキで賃金や労働条件を改善した。重要なことは労働者の団結で資本家と対等の地位を獲得し、『物も言えない』 みじめな立場から脱却したことである。  波乱もたくさんあった。どこかの職場で問題が起きる度に、全支部の労働者や職員が寄ってたかって支

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第78回「無名の英雄たちの二五年 組合結成25周年」足立実 1994年1月1日

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第77回「先を見よう 友誼労組との合体問題」 1992年11月17日

           全国一般東京労組からの組織合体の申し入れは、執行委員会で意見の一致を見ず討議を打ち切る結果になったが、賛成論も反対論も自身の組合や自分の職場の当面の利害からの発言が多いように聞こえた。私たちは何時の間にか視野が狭くなっているのかな。  『中小企業労働者の地位向上のために何をするか』という議論をしてもよかったなと思う。  私たちの組合のエネルギーの源泉は何だろうか。『労働者は自らの利益のために必ず闘いに立ちあがる』ことを自ら体験し、『全国の仲間が立ちあがれば日本は必ず良くなる

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第77回「先を見よう 友誼労組との合体問題」 1992年11月17日

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第76回「闘いが団結を育てる」 1992年9月10日

           私の場合、組合の仲間以上に頼りになる人たちがいない。親戚も友人もこれに及ばない。おそらく何時かの闘いで運命を共にし、長い間支え合った者たちの間に生まれる感情なのだろう。俺もそうだという仲間は多いと思う。  会社の利潤追及は宿命で、必ず労働者の利益を侵害する形で出てくる。私たちは必要に迫られ、組合の団結を武器に職場闘争や組合結成、ストライキや不当弾圧反撃など無数の闘いをやった。闘いが労働者の利益を守り友情を育てた。  でもそれだけではなかった。  政財界の軍事大国政策や国民を

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第76回「闘いが団結を育てる」 1992年9月10日

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第75回「ウソは侵略のはじまり 自衛隊のカンボジア派遣」 1992年7月10日

           他国への侵略は自国民を欺くことから始まる。自公民がそれをやっている。  「カンボジアでは自衛隊でないと役に立たない」と言う。日本には優秀なトラック運転手・建設労働者・医師と看護婦・通信技術者が山ほどいるじゃないか。十分な身分保障と給与を完備した民間協力隊なら応募する人は多いと思う。  「国連は軍隊でなければダメだと言っている」と言う。「日本は憲法で軍隊を禁止しているから民間協力隊を出す」くらい言えなくてどうするか。  民間の協力組織はとっくに物資援助・医療活動などをしている

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第75回「ウソは侵略のはじまり 自衛隊のカンボジア派遣」 1992年7月10日

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第74回「一週間の出来事 民衆の自発的行動」 1992年5月10日

           岡山の「私たちの県政を! 一万人の会」が「岡山県知事になりませんか」と候補を公募したら十九人が応募したそうだ。現知事は五選、県議会は自社公民オール与党で、「議会はチェック機能を果たしてない。候補の選定から県民がやろう」と運動を始めたという。  大阪の大東市長選では元小学校長が、市民団体の後押しで「市民が主人公の政治を!」と訴えて、五党推薦で五選をめざした現職市長を破った。  七〇年安保当時の全学連委員長の藤本敏夫氏(夫人は歌手加藤登紀子)がもとの運動仲間の支援で参院選に出馬

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第74回「一週間の出来事 民衆の自発的行動」 1992年5月10日

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第73回「あなたは何をやるか 92春闘」 1992年3月10日

           東部労組の良い伝統の一つは「寄ってたかって闘う」ことだと思う。  どこの支部でも全員一人ひとりが立ちあがり真剣に闘った思い出がある。  その力で会社に解雇を撤回させたり、団結権を認めさせたり、違法行為や障害者差別を是正させたり、不当弾圧を粉砕したり、賃上げを実現したりして労働者の利益を守ってきた。大きい闘争は全支部から集まって勝利した。  このように「寄ってたかって」は大事な武器だが、職場が少し安定すると、少数の執行委員が活動を請負い、多数の組合員は「執行部にお任せ」という

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第73回「あなたは何をやるか 92春闘」 1992年3月10日

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第72回「人権を侵す最高裁 日立・田中秀幸残業拒否解雇事件」 1991年12月10日

           最高裁は十一月二十八日、残業を拒否して懲戒解雇された日立製作所の田中秀幸さんの上告を棄却した。  理由は、会社と組合の間に三六協定があるから、残業を断った田中さんを懲戒解雇しても構わないというものである。  四ツ谷巌裁判長は間違っている。   第一に、労働基準法の「使用者は・・・労働者の意志に反して労働を強制してはならない」という規定を蹂躙している。  第二に、三六協定とは使用者が労働組合又は労働者の過半数の代表者と書面による協定をし、行政官庁に届け出た場合にのみ、残業また

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第72回「人権を侵す最高裁 日立・田中秀幸残業拒否解雇事件」 1991年12月10日

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第71回「偉大な自前の経験 ソ連崩壊」 1991年9月10日

           私は敗戦のとき十七才の軍国少年だった。戦後の自暴自棄の生活の中で、「大東亜戦争」は資本主義の必然的結果としての侵略戦争だという話を聞いた。その人はレーニンがそういう分析をしたんだと語った。全く納得のいく話だった。  この時から、私は平和と労働者の幸福は資本家と闘う以外に守れないと思い、労働運動に参加して現在に至っている。  だから、目を開いてくれたレーニンの銅像を、クレーンで撤去する光景をテレビで見て、「チキショー! やめさせる奴はいないのか」と気を揉んだ。  私たちは労働

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第71回「偉大な自前の経験 ソ連崩壊」 1991年9月10日

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第70回「財界の野望」 1991年7月10日

           財界の居丈高な政治介入は目に余る。  平岩外四経団連会長は多国籍軍の九十億ドルの戦費負担を「消費税率を上げて払え」とハッパをかけた。  海部首相は「掃海艇は派遣しない」と言っていたが、経団連正副会長会議が掃海艇を派遣すべきだと見解を発表したら一転して掃海艇の出動準備を命じた。  農民に大打撃になるコメの自由化も、平岩が「首相に決断させた」という。  小選挙区制も金丸信は「次の内閣がやる」と言っていたが、経団連が「海部の任期中にやれ」と要求したのである。  ある新聞の試算によ

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第70回「財界の野望」 1991年7月10日

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第69回「アメリカは日本の盟主ではない」 1991年5月10日

           四月五日の日米首脳の記者会見。  ブッシュはズボンのポケットに手を突っ込んで、「貿易面で幾つかの問題を解決した」と切りだし、建設・半導体・自動車など対日要求を、脅迫もチラつかせながら羅列した。最後に「日本は『砂漠の嵐作戦』に貢献した」と、お礼の一言もない傲慢な態度。  次いで海部は「湾岸戦争で示した米国の偉大な指導力、兵士の犠牲に敬意を表します」「米国が世界の秩序に最大の役割を果たす国であることが証明された」 「日本国民の中に不満を持つものもいるが、日米のかけがえのない将来

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第69回「アメリカは日本の盟主ではない」 1991年5月10日

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第68回「戦略を鮮明に 支部の戦略はどうか」 1991年3月10日

           戦略と戦術という言葉がある。戦術は一つの闘争(例えば春闘)の行動計画で、戦略は一つの段階(例えば長期争議勝利とか、少数派から多数派へとか、新たな地域合同労組への飛躍など) わりあい長期の行動計画である。  東部労組は結成のとき八人だったが、「労働者の根本的利益の立場にたち、未組織労働者のなかに入り、具体的矛盾を闘争で解決しながら東部労組に組織し、労働学校を開いて活動家を育て、階級的労働運動をひろげる」という基本方針と「一年間で組合員百名を実現し、組合事務所を設置し、専従者を

          ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第68回「戦略を鮮明に 支部の戦略はどうか」 1991年3月10日