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足立実の『ひと言』第6回 「戦争犯罪人レーガンを糾弾しよう! アメリカのグレナダ侵攻」 1983年11月10日

 グレナダは独立国であり、たとえレーガンが、この国の反米政権が嫌いだとしても、政府を取りかえる権利がないことは当然のことである。
 ところが、レーガンは人口十一万のこの国に大軍を派遣し、人民を殺し、政府要人を逮捕し、征服しようとしている。この野蛮な侵略行為を断じて許してはならない。
 『米人救出のため』という口実は、翌日ウソがバレた。
 国連安保理事会の撤兵決議に反対したのは米国だけで、仏、英さえ支持しなかった。
 ひとり中曽根康弘だけが『理解を示して』、米政府を感激させているという。
 南朝鮮やフィリピンで革命が起きたら、『日本人を救出する』と侵略戦争をやる、これが中曽根の野望であり、軍備増強、千浬シーレーン、靖国参拝、憲法改悪、すべてそのための準備である。
 ロンとヤスは戦争屋だ。その悪どい企らみを一つひとつ失敗させなければ、平和を守ることは不可能である。
 レーガンと中曽根に惨めな敗北を!
 グレナダ人民に勝利を!

(画像は“ロン・ヤス関係”と言われたレーガン〈左〉と中曽根)

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背景

カリブ海の英連邦傘下だった島国グレナダは1974年英連邦王国として英国から独立する。

1979年 親ソ連、キューバ派のモーリス・ビショップが無血クーデターを起こし、首相に就任。人民革命政府を樹立した。革命政府によってキューバとの関係が強化される。

この左翼政権のグレナダに対して、1983年10月ドナルド・レーガンアメリカ合衆国第40代大統領(在任1981~1989)の指示のもと米国を中心としたジャマイカや東カリブ海諸国機構(OECS)軍を加えた軍隊が侵入する。

いわゆるアメリカの「グレナダ進攻」である。

グレナダでは左派のモーリス・ビショップが79年にゲーリー独裁政権を倒し、反植民地主義を掲げ穏健な社会改革を進めていたが、軍部がクーデターでビショップ首相を殺害した混乱につけ込んでアメリカは侵攻した。グレナダ在住の米国民の保護を侵攻の理由としたが、実際は武力による左翼政権の打倒であり、国連総会も侵攻非難を決議した。

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コラムにもある通り、このアメリカのグレナダ侵攻は国連でも非難声明が出され、安保理では撤兵決議が提案されたが、反対したのはアメリカだけであった。

これに対して日本の中曽根康弘首相だけが「理解を示す」と表明したのである。

中曽根康弘とは、当時の首相であり、改憲野望をもった反動政治家である。結局、改憲はできなかったものの国鉄・電電公社・日本専売公社民営化を強行し、外交ではレーガンとの「ロン・ヤス」関係と言われる反動的関係を築いた。

このように、日本の権力者は戦後一貫してアメリカの“ポチ”=忠犬として尻尾を振ってきた。そして、その最たるものが当時の中曽根であった。

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