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ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第75回「ウソは侵略のはじまり 自衛隊のカンボジア派遣」 1992年7月10日

 他国への侵略は自国民を欺くことから始まる。自公民がそれをやっている。
 「カンボジアでは自衛隊でないと役に立たない」と言う。日本には優秀なトラック運転手・建設労働者・医師と看護婦・通信技術者が山ほどいるじゃないか。十分な身分保障と給与を完備した民間協力隊なら応募する人は多いと思う。
 「国連は軍隊でなければダメだと言っている」と言う。「日本は憲法で軍隊を禁止しているから民間協力隊を出す」くらい言えなくてどうするか。
 民間の協力組織はとっくに物資援助・医療活動などをしているが、官庁のたらい回しで物資の輸送は遅延し、運賃を何百万円も出させられるという。政府が本気でカンボジア人民への平和協力を考えているとは思えない。
 PKO法の本当の狙いは国連協力を隠れ蓑に自衛隊の海外派兵の実績をつくることだ。その陰にアジアに再び威を張ろうとする日本支配集団の野望が見える。
 日本皇軍に占領虐殺・掠奪されたアジアの人には「日本憲法は海外派兵を許さない」という安心の拠り所があった。PKOはそれを取り払った。日の丸に軍 艦マーチの自衛隊が「皇軍と違う」と言っても彼らには通用しない。
 やることはある。手始めは参院選でまず自公民を惨敗させることだ。(実)

(画像はPKO協力法成立を伝える当時の朝日新聞)

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1992年6月にPKO協力法と国際緊急援助隊派遣法改正が自民党の宮沢喜一内閣のもと、公明党、社民党の連携(自公民路線)で成立した。

PKO協力法とは正式には「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」の通称であり、PKO(Peace-Keeping Operation=国連平和維持活動)や人道的な国際救援活動に協力するために制定すると政府が強弁してできた法律である。

また、これと平行して「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」(通称JDR法)が改悪され、特に大規模な災害には海外へこれまで出来なかった自衛隊の派遣が可能となった。

この法案の審議過程では、戦後の日本が初めて海外に自衛隊を派遣するといった、憲法9条違反の画歴史的な攻撃に対して激しい反対運動が展開された。国会でも、反対党の徹底した牛歩戦術や、社会党、社会民主連合による議員辞職願の提出など緊迫した攻防となったが1992年6月に可決、成立してしまった。

この法案の成立を受けて、宮沢内閣は自衛隊をカンボジアに国際連合平和維持活動(PKO)の一環として派遣しようと画策。

実際には、このコラムが書かれた後の9月になって、自衛隊からは施設大隊(施設科部隊)及び停戦監視要員が派遣された。同時に、自衛隊以外からは文民警察要員及び選挙監視要員の派遣も行われた。

これは、自衛隊にとっては海上自衛隊のペルシャ湾派遣に続く2度目の海外派遣であり、陸上自衛隊にとっては初、国際連合の枠組みで活動するPKOとしても初のものであった。

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1992年当時、PKO法案の成立を巡っては激しい闘いが繰り広げられ、筆者の所属する東部労組も「PKO法案成立反対」を掲げて闘った。

筆者も言う通り、この攻撃は「国連協力を隠れ蓑に自衛隊の海外派兵の実績をつくること」であり、「その陰にアジアに再び威を張ろうとする」日本を帝国主義的な軍事大国へと復活させる野望が透けて見える。

そして、過去に日本帝国主義に支配され暴虐の限りを尽くされたアジアの人民に対して「再び同じことを繰り返すぞ!」という宣言に他ならない攻撃でもある。

しかし、この法案は成立しカンボジアに自衛隊は派兵された。また、その後1993年にモザンビーク、1994年にザイール(現コンゴ民主共和国)、1996年に中東ゴラン高原、2000年に東チモールに自衛隊の部隊が派遣されている。

これらは全て憲法9条に違反する違憲行為であり、私たちは絶対に許してはならない。

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