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足立実の『ひと言』第27回 「おごる中曽根は久しからず 老人医療費負担ひき上げ」 1986年5月20日

 「他の動物と違って、人間だけがどうして老人を大事にするのかよくわからない」「在宅老人への補助は枯れ木に水を注ぐのと同じだ」。これは阿部正俊厚生省老人福祉課長の暴言である。(一月二二日付朝日新聞)
 中曽根政府は老人医療費の本人負担を六月から引き上げようとしているが、外来で二・五倍、入院は一年で現行の一万八千円が十八万二千五百円になるという。
 年老いた猿が群れを離れて萎縮して暮らすように、老人を社会から追い出せというのか! 老人を畜生並に扱えというのか! 枯れ木に水とは、早く死ねということか!
 今の老人は十四、五歳から働き、男は侵略戦争に狩り出され、女は子供を兵隊に取られ、敗戦後は身を粉にして働いて、 焼跡から現在の日本を築いた人々である。幸せな老後を願い、それを保障するのが人の道というものではないか。
 中曽根は老人一般を苦しめているわけではない。天皇という老人や、財閥、自民党の老人達は手厚く遇し、勤労者の老人は厄介者扱いにして虐待するのである。
 中曽根政府は行革、国鉄、教育「改革」、健保自己負担、男女均等法、労働運動弾圧など、その勤労者いじめは止まるところを知らない。レーガンや財閥にほめられ、調子にのって大得意である。
 おごる者に良い末路はない。マルコスが良い手本だ。人民の忍耐にも限度がある。
 六・一五集会にいこう!
 全国の労働者、すべての人民とともに中曽根政府を打倒しよう!(実)

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注釈 

・阿部正俊厚生省老人福祉課長
厚生省の官僚から自民党の政治家となった。
1966年厚生省に入省。1994年9月、老人保健福祉局長。
1995年7月の第17回参議院議員通常選挙山形県選挙区に、自民党の推薦と医師会や歯科医師会の積極的な支援を得て無所属で立候補、初当選。当選後、自民党に入党。
1998年7月、小渕内閣において総務庁政務次官、1999年10月に参議院議院運営委員会理事に就任。
2001年7月の第19回参議院議員通常選挙で再選。9月に参議院厚生労働委員長に就任。
2002年10月に党副幹事長、党政調・厚生労働部会副部会長。
2003年9月小泉内閣で外務副大臣に就任。
2007年7月政界から引退。
2020年死去。 77歳没。
老人福祉畑の官僚から政界入りし、参議院の厚生労働部会長までつとめた。

・「中曽根政府は老人医療費の本人負担を六月から引き上げようとしている」
老人医療の患者負担金の変遷は以下の通りである。
1982~1986年:外来は月あたり400円 、入院は一日300円(最大2か月)
1986~1991年:外来は月あたり800円、入院は1日400円(上限なし)
1991~1992年:外来は月あたり900円、入院は1日600円
1993~1994年:外来は月あたり1000円、入院は1日700円
1995年~2001年:物価スライド制を導入
2001年~:外来は定率1割負担、入院は1日1200円
ちなみに、1982年以前の日本の高齢者医療は、1973年施行の老人福祉法に基づいて老人医療費は全額公費負担で、自己負担は無料だった。
高齢者医療費の自己負担が年を追う毎に増加している。

・「天皇という老人」
昭和天皇裕仁。当時85歳。87歳で死没した。
『ひと言』第26回 「なんたる無責任」参照https://note.com/minoru732/n/n931422c88233

・行革
行政改革。国や地方の政府の行政機関の組織や機能を改革すること。組織の在り方のみならず、財政改革を含めると総合改革ないしは行財政改革とも呼ばれることがある。多くは行政組織の効率化と経費削減を目的とし、公務員の配置転換や免職を伴う。
『ひと言』第14回 「敗戦記念日に」参照https://note.com/minoru732/n/n2a996a30a999

・国鉄
日本国有鉄道。
ここでは国鉄改革の国鉄分割・民営化を言っている
『ひと言』第22回 「責任転嫁を許すな」参照https://note.com/minoru732/n/nbcaead8db8db

・教育「改革」
ここでは教育労働者に襲いかかった「教育臨調」攻撃のことを言っている。
『ひと言』第12回 「学校へ行こう」 参照https://note.com/minoru732/n/n2fe57f8802c4

・健保自己負担
健康保険の自己負担率の変遷は以下の通りである。
現在(2022年)は、小学生から70歳未満が3割、就学前の子どもと70歳から74歳が2割、75歳以上が1割(現役並みの所得がある70歳以上は3割)。
1961年の国民皆保険実現当初、患者の自己負担は、サラリーマン等が加入する被用者保険の被保険者本人はわずかな定額、その扶養家族は5割で、自営業者等が加入する国民健康保険の被保険者(通常、世帯主)とその扶養家族はともに5割。
その後、国民健康保険は3割に軽減されたが、医療費が高額になった場合の負担が大きかったため、1973年に高額療養費制度が創設された。あわせて1973年には、高齢者に対して老人医療費支給制度が創設され以後、高齢者と現役世代それぞれに対して自己負担が設定された。
現役世代の場合、1973年に被用者保険の被扶養家族は3割負担に軽減されたが、被保険者本人については1984年に1割負担に引き上げられた。その後も、被保険者本人の負担は少しずつ引き上げられ、2003年以降は家族と同じ3割となる。
このように、本人負担が徐々に上げられてきている。

・男女均等法
1986年4月1日から施行された 「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」いわゆる男女雇用機会均等法。前身は、1972年に制定された「勤労婦人福祉法」。1999年に正式に「男女雇用機会均等法」の名称となる。

・労働運動弾圧
この時期、反動政権中曽根康弘内閣によって国鉄分割・民営化を先頭に労働運動に対する弾圧が吹き荒れた。分割・民営化は国労はじめとした国鉄労働運動潰しが目的であったと後に中曽根は語っている。

・レーガン
当時のアメリカ大統領、ドナルド・レーガン。
『ひと言』第6回 「戦争犯罪人レーガンを糾弾しよう!」参照https://note.com/minoru732/n/n3eefdac538f7

・マルコス
フェルディナンド・エドラリン・マルコス(1917年~1989年)は、フィリピン共和国の政治家。第10代フィリピン共和国大統領。独裁者としてフィリピンに君臨し、約20年間にわたって権力を握ったが、1986年のエドゥサ革命によって打倒された。
『ひと言』第25回 「フィリピン人民万歳!」参照https://note.com/minoru732/n/n202aa02f6c43

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当時筆者57歳の時のコラム。

これから老境を迎えるとあって、中曽根内閣の高齢者切り捨て政策に「年老いた猿が群れを離れて萎縮して暮らすように、老人を社会から追い出せというのか! 老人を畜生並に扱えというのか! 枯れ木に水とは、早く死ねということか!」と怒りが爆発している。

健康保険の自己負担率については管理人が就職した当時は建設国保で自己負担率は0だったが、現在は3割となっている。

収入のない高齢者や病人、怪我人から医療費をふんだくる保険制度は大変野蛮であると管理人は考える。

医療費は全て無料化して保険料と公費で賄うべきである。その財源は法人税や高額所得者からの租税で補填すべきだ。

「おごる中曽根は久しからず」とは言わずと知れた平家物語「おごる平家は久ひさしからず」からきている。

源氏に滅ぼされた平家のように、地位や財力を鼻にかけ、おごり高ぶる者は、その身を長く保つことができないということのたとえ。

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