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ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第81回(番外編) 「ストライキについて」 1998年4月7日 

 だれでも平和な日々を好み、 闘争が好きな者はいない。だが、経営者が法に反して労働者の団結権を侵害し、不当な挑発をおこなうならば、われわれは自らの利益を守るために徹底的に争い最後まで闘う。
 始めはたいてい会社に申し入れをやったり、社前で抗議集会をやる。これは会社に実害がないかたちでおこなうわれわれの経営者にたいする意思表示であり、警告だ。
 労働者をあまく見て警告を無視すればストライキをやることになる。会社がやり放題のことをやるのにわれわれが労務の提供をしなければならない理由はないからだ。
 労働者のストライキ権は憲法にも団体行動権の定めがある。 とはいえ立場はちがうが労働者と経営者は、おなじ企業で生活の糧をえているのだから、事業に実害をあたえるのは本意ではない。しかしストライキをやらなければ健全で平和的な労資関 係を本気で考えてくれない経営者がいることも事実である。
 いくつかの支部で発生している経営者の組合攻撃はきわめて悪質であり、組合員は忍耐しているが、人間の我慢には限度がある。
 やる以上、中途半端なストライキはだめだ。もてる力と知恵を総動員して、支部労働者の怒りと私たちの組合の全組合員の連帯を、相手に徹底的に思い知らさなければならない。
 われわれが本気にならなければ、相手も本気にならない。(実)

(画像は国鉄〈当時〉のストライキを伝える1974年3月1日付の読売新聞夕刊)

筆者注
4月号は事実上欠号となったので、この「ひと言」は没となった。

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“筆者注”にあるように、この原稿も第79回に続き、機関誌が欠号になったことにより“ボツ”となった幻の「ひと言」の原稿である。
なので、これもまた20年以上の年月を経て人目に触れることとなる。
“ボツ”にするには大変惜しい、ストライキに関する格調高いコラムである。

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日本国憲法第28条は以下の条文である。
「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」
これは、労働者の団結権・団体交渉権・団体行動権を定めたものである。
参考

【日本国憲法第28条】

団体行動権とは、「ストライキなどの争議行為をすること」である。
ストライキ(英語: strike)=同盟罷業とは、労働者による争議行為の一種で、労働法の争議権の行使として雇用側(使用者)の行動などに反対して被雇用側(労働者、特に労働組合)が労働を行わないで抗議することである。
参考

【ストライキ】

なので、「ストライキ」は憲法で保障された労働者の使用者に対する対抗手段の一つなのである。
管理人が高校生ぐらいの時は春先の春闘時期になるとよく「明日は交通機関のストライキで電車が止まるかも知れないので、その場合は連絡をします」などと教師から言われたものだが、最近は久しくこのような話を聞かない。
現代の労働者は自ら自分達を守る憲法で保障された「団体行動権」を放棄してしまったかにも見える。
しかし、本当にそれでよいのだろうか?
世の中に労働者と資本家がいる限り、その間の「階級闘争」はなくならない。
労働者の権利と生活を守るためにもこの「団体行動権」=「争議権」=「ストライキをする権利」=「同盟罷業権」を手放してはならない。

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