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No3:中国語で収入を得るようになるまで③(初めての通訳)2001年

さて時は2001年、5年間瀋陽に駐在し、春に主人の帰国が決まりました。主人は日本へ帰国、私は中国の瀋陽に残り2つ星ホテルへ引っ越し(-_-;)

第3章 へろへろ期 中国語で少し収入

主人は日本へ帰国するのですが、私は中国に残る事にしました。その理由は、主人の合弁企業の中国人女性通訳が産休に入るとの事、3か月間ほど日本人副総経理の通訳をやってみないかとお誘いを受け、二つ返事で承諾しました。

しかし条件は、産休の中国人通訳と同じ給料、しかもホテルは2つ星の安~い場所でした。普通に生活していてもぎりぎりの生活費。それでも中国語をレベルアップしたいのでやってみたかったのでした。

外国人居住専用マンションから、めちゃくちゃ安いホテルへ段ボール数個と中国語の辞書とひと握りの希望(?)を抱えてお引越し。生活のレベルも最低限、ホテルも狭く、深夜の騒音もひどく…その後、ホテルスタッフさんともみんなと仲良しになり、騒音にも慣れ快適に…住めば都とはよく言ったものですが、いずれにしても全ての環境が変わりました。

主人の会社は、日本の商社と中国国営企業との合弁企業で、プラスチックの成型メーカーでした。日本人総経理が一人と中国人副総経理が一人、その通訳が中国人女性通訳が担当。私は技術の日本人総経理の通訳でした。

会社は合弁企業なので、内部闘争や権力争い、中国人の商習慣なども垣間見ることができました。なんせ通訳とかやった事がないため、技術用語や社内用語を覚えるだけでも大変、ましてや取引先で商談などもある日には、胃が痛くなり…「はい!訳して!」と言われても言葉がでてきません。おまけにISO監査までありましたよ。

技術の事を覚えたり、皆と親しくしようと、できるだけ話をするように心がけていました。それでも今考えると片言の通訳だったと思います(-_-;)みんなが優しかったのでした。

自分で「通訳やります!」と残った中国でしたが、結構、通訳の能力的には厳しかったです。

社内での信頼関係があると通訳もしやすいですが、何より思ったのは、中国語の語学ができることと通訳ができることとは全く違うということでした。

HSK8級を取得したからと、自信満々で望んだ結果、ぼろぼろの通訳で、冷や汗をかき、恥をかき、助けてくれる人の温かさを学んだ3か月でした。

あっそれでも中国語で収入を得た最初でした。およそ4万円弱(月)ほど?どんなに安い給料でも、経験させてもらえたのが嬉しいしありがたい!

通訳するには、もっと頑張らなくちゃだめだ!もっとうまくなりたい!と思いつつ。2001年8月に帰国したのでした。

※中国語の語学ができる事と通訳ができる事は別ですが、基本的な中国語の語学力があれば、あとは場慣れでできます。社内通訳ならば特に。加油!!

そして帰国後最初に行動に移したのは…自分の中国語の実力がいったいどのレベルなのかを試しに行きました。

※アドバイスですが、海外から帰国したら、すぐに次のアクションを起こすのがベスト!帰国後ちょっとゆっくりしてしまったら、腰が重くなってしまいます。少しブランクあけると、(自分で)語学の自信がなくなってしまいますからね。

次回は、日本へ帰国後どう行動したか?を書いていこうと思います。

ご参考になりましたら幸いです。

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