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(大事なお知らせ・お願い) 旅に出ます

みなさん、こんにちは。わたしはこの度、旅に出ることにしました&これを機にnoteで有料記事を始めます。

noteを始めてもうすぐ2年が経ち、3年目に突入しようとしています。フィンランドに引っ越したわたしに、日々の様子をブログのように伝えてみてはどうか、という友人の提案がきっかけでほぼ毎日のように更新してきました。

はじめは友人や家族への何気ない近況報告や、フィンランドや北欧好きの人への情報発信として使ってきましたが、おかげさまでフォローしてくださる方々も意外にもどんどんと増え、他のnoteのクリエイターの方々との交流も持つことができ、また、わたしの文章をきっかけにフィンランドに遊びに来てくださった人々とお会いしたりと多くの出会いがありました。

ブロガーとしていくつかのイベントに呼んで頂いたり、ライターのお仕事もいくつか頂きました。小説家海見みみみさんの企画【第1回note小説大賞】では超サイコーの絵を描かれる藤本 将綱(ムーク)さんとのコラボもさせて頂き、わたしの書いた初めての小説『虹を見る日』は読者投票でとりふぁ @ 風来坊さんの小説『夢の守り人』と同数一位になり、決戦では残念ながら受賞を逃しましたが、とても有意義な経験をさせて頂きました。note公式とcakesによる【cakesクリエイターコンテスト】ではわたしの文章『歳を取ることは結構イイこと』が佳作を受賞し、のびのびと素直な気持ちで文章を書くこと、そして読者の方々から反応を頂くことの喜びを味わうことができました。携わって頂いた方々には、心から感謝を申し上げたいと思います。

元々は広告、宣伝、マーケティング系のキャリアを積んできたのですが、フィンランドに来てからは引き続きソーシャルメディアコーディネーターの他に翻訳や宣伝、ガイドをする機会を頂き、また役者として、謎のアーティストとしてCM、テレビ、ラジオに出演したりなどなど、多岐にわたる仕事の依頼を頂きながらここまでやってきました。

このnoteをずっと読んで来てくださった方々はわたしの全てを見て来たと言っても過言ではないので笑、山あり谷ありのフィンランド生活(特に一年目の秋〜冬は本当に落ち込んでいて、生きているのが辛いとかよく書いてたな〜笑 その時励ましてくださった皆さんの優しい言葉は今でも宝物です)を目一杯満喫し、エミさんやエミさんの家族、そして多くの友だちに囲まれて、とても楽しい日々を送ってきました。

しかし。

その裏では度重なる失敗や挫折、書類関係などでうまくいかないことなどなどなどなどが相次ぎ、フィンランドにこの先もいられる可能性が非常に低くなってきて、この夏でフィンランドを去らなくてはならない線が濃厚となってきました。

エミさんと一緒にどこか別の国に住めれば良いのですが、そういうもいかないので(彼はとても内気で、フィンランドまたはスウェーデン以外には一切住みたくないそうです。現在わたしもスウェーデンに住む方法を調べていますが、こちらの可能性も薄そうです)、これからどうやって関係を続けていくかも今のところ一切見通しはありません。とても残念な展開になってしまい、ここしばらくは実はかなり落ち込んでいました…。でも、また新たな国で新たな人生を歩むチャンスなのかもしれない、とも思っています。ある意味ほぼ何もかも失い、この年齢で一からのスタートになりそうですが、姿勢を正して自分の人生を進めていきたいです。と、いうわけでフィンランドとは別の国(日本も含む)で仕事を探すことにしたのですが、せっかく大好きなヨーロッパにいられるうちに、大学生時代の頃から夢だったあることをしたいと思い立ちました。

それは…サンティアゴ巡礼です!

世界遺産の道、カミーノ・デ・サンティアゴの巡礼路はキリスト教の聖地で、バチカンとエルサレムに並ぶキリスト教三大聖地であるスペインのガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへ続く道です。聖地へ至る道はヨーロッパ中に多数存在しますが、おもにフランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道が一般的だと言われています。

わたしが挑戦したいのは最も代表的な道、フランスとの国境の町「サン・ジャン・ピエ・ド・ポー」を出発し、スペイン北部の内陸を歩く「フランス人の道」です。全長約800キロ、1日に約20〜30キロ歩く約40日の道のりです。

何世紀もの間、多くの人々が宗教的な理由から、または宗教及び文化的な興味から、そして健康のためや自分を見つめ直すためなどの理由から、この巡礼の道を歩きに世界中から集まり(現在は毎年約2万人、12世紀には年間50万人もの巡礼者がこの地を訪れたといいます)、徒歩、自転車、馬などそれぞれ自由なスタイルで聖ヤコブの遺骸が眠るといわれる大聖堂のある聖地を目指します。巡礼の道の途中には「アルベルゲ」と呼ばれる巡礼者のための宿があり、公営や私営のドミトリーのほか、教会や修道院が運営する寄付制のアルベルゲもあります。料金は無料〜10ユーロ程度と低予算で、到着後は共同の台所で自炊をしたりしてご飯を食べ、夜は22時までに消灯、翌朝5時〜6時に起床して次の目的地へと歩き出すという暮らしを送ります。

最低限必要な荷物だけを背中に背負って、自分の足だけを使って移動する。この巡礼の旅に興味を初めて持ったのは今は亡きシネマ・ライズで2005年のフランス映画『サン・ジャックへの道』を観て感銘を受けたのがきっかけです。遺産相続の条件である聖地巡礼の旅に向かった、性格がバラバラで長年仲違いをしていた3兄弟が徒歩の旅を通して喧嘩をしたり、自分をさらけだしたりしながら様々なことを学び、わかりあっていく、笑いあり涙ありのとっても良い映画です。この映画を観た時に「いつかわたしもこの道を歩いてみたい」と思い、ちょうどフランス語を勉強していたのでフランスでDVDを買っては何度も何度も字幕なしで映画を観ました。

キリスト教に興味を持ったのはもう少し前で、高校生の時でした。きっかけは哲学で、高校生の時に現代文の授業でデカルトの文章を読んで哲学に興味を持ち、そこから自ずと宗教、特にキリスト教に興味を持ち、「キリスト教」が名前の中にある大学に行き、宗教学研究室に所属して宗教学とジェンダーについての卒業論文を書きました。また聖書研究会という、週に数回集まって聖書を読み合い、ディスカッションをするサークルに入りました。その頃わたしの周りには子どもの頃からキリスト教徒の友だち、大人になって自分で決意して洗礼を受けた友だち、キリスト教徒の先生など多くのキリスト教者がいて、一度真面目に学びたいと思ったからです。「なぜ自身はクリスチャンにならなかったのか?」とたまに聞かれることがありますが、大学ではキリスト教以外についての宗教も学び、自分にとっては世界にある一つの大きな宗教、長い歴史を持ち多くの人々に影響を与えた宗教としてキリスト教がある、という見解にとどまりました。

その後大学でとった近世イギリス文学の授業で、巡礼の詩を読み、巡礼者がルルドの泉の水を入れたという小瓶を実際手にとったことで、ルルドや巡礼への興味はますます深まりました。150年前に村の少女によって発見されたルルドの泉は、難病を治す力があると伝えられ、ローマ法王庁からも奇跡の水として認定した今も水が湧き続けています。フランスとスペインの国境近くのピレネー山脈の麓、住民15000人ほどの小さな村には毎年世界中から500万人が集まり、カトリック最大の巡礼地となっています。宗教学研究室に所属していた友人がルルドの泉について卒業論文を書いていたこともあり、またポストモダンの思想に触れ、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』に熱狂的に夢中になっていき、中世のカトリック世界について歴史的、宗教的、文学的、そして美術的(若桑みどり先生の『絵画を読む―イコノロジー入門』などで開眼)に10年以上関心を持ち続け、つねに心をワクワクさせてきました。

巡礼には時間がかかるし、体力も度胸も必要です。いつかは、とは思いつつ、そんな日はいつになってもこないような気もしていました。でもふと、今チャンスが舞い降りたような気がしたのです。わたしは今、あんなに馴染もうと努力したこの国を離れ、住むところも、今一緒に住んでいる人も、職も失う流れの中にいて、日本にも帰る場所はなくて、本当にもう少ししたら何もかも全て失ってしまうことが確実になろうとしているけれど。ここで落ち込んだりせず、今、自分が一番やりたいことをやりたい。比較的健康な体と、強い意志と、好奇心がある。こうなったら、雨に打たれて太陽に焼き付けられながら、800キロを歩いてみよう!巡礼の地には、何度もアルコール中毒になって立ち直れない日々を送ってきた人、伴侶に先立たれた人、様々な事情を抱えた人が旅立つと聞きます。わたしの場合は、月並みで本当にカッコ悪いけど「いろいろ失って岐路に立った人」。でも巡礼の道は、カッコ悪さを前面に出して、むき出しになって歩くものだと思うのです。なので巡礼の前に、むき出しの文章を書くことにしました。


こ巡礼の旅をするために皆さんのご協力を仰がせてください!

旅は今月末の開始を予定しています(詳細は随時アップデートします)。このnoteでは現地からできる限り多く、有料記事を更新していく予定です。さらにこのページのクリエイターサポート機能を利用して、支援してくださる方を募りたいと思います。

スポンサーの方法は3つです。

①千円:サポートしてくださったユーザーの方に現地から感謝のメッセージをnoteを通して、またはメールにてお送りさせて頂きます(選択してください)。メールの場合は写真も添付いたします。文章および写真は、noteに投稿する記事と同一のものは使用せず、1人1人異なる内容を心を込めて送ります。

※サポートして頂くと、その方のニックネームと、サポート金額が記載されたメールがクリエイター側(わたし)に自動送付されます。クリエイターはサポートして頂いたユーザーの方に任意でメッセージを送ることができます。そのメッセージ機能を使ってやり取りをしたいと思います。

②五千円:サポートしてくださったユーザーの方に現地からポストカードをお送りさせて頂きます。スペインの片田舎の村のどこか、または中世の頃から栄えた比較的大きな町から、お便りを直接お送りします。

※サポートして頂くと、その方のニックネームと、サポート金額が記載されたメールがクリエイター側(わたし)に自動送付されます。クリエイターはサポートして頂いたユーザーの方に任意でメッセージを送ることができます。そのメッセージ機能を使って住所を教えて頂ければと思います。

③一万円:1. サポートしてくださったユーザーの方に現地からポストカードとお土産をお送りします。

または、

2. 「フランス人の道」の最高地点のイラゴ峠(1503m)に建つ「鉄の十字塔」にサポートしてくださったユーザーの方のお名前とお願い事を書いた小石(または、思いや願いの込められた物)を置いて来ます。イラゴ峠はローマ時代から道中の難所として知られ、当中世ではマーキュリー(旅の守護神)の丘と呼ばれていました。ここにある礼拝堂のそばに立つ鉄の十字架は、シーザーが侵攻した際にマーキュリーへの捧げものとして残されたものだそうで、昔から巡礼達は残りの道中の安全を祈念して自分の国から持ってきた小石を置いたり、メッセージを書いた紙や布、私物やCDなど巡礼者の願いが込められた様々な物をここに置いていくのだそうです。時間が間に合えば日本からフィンランドに送って頂いたものを巡礼のバックパッカーに入れて歩き、イラゴ峠の「鉄の十字塔」に置いていくことも可能です。こちらは要相談なので、サポートして頂いたユーザーの方にメッセージ機能を使ってやり取りをさせて頂ければと思います。

(鉄の十字塔の写真はこちらのブログからです)

サポートの方法は、この記事の一番下にある『このクリエイターの活動を応援したい クリエイターをサポート』の緑のボタンをクリックしてください(下記参照です)。

急な決意で、またとても個人的な理由ゆえ、たくさんのサポートを頂けるかは厳しいところだとは存じていますが、この旅を通して精神的、肉体的な自分の限界に向き合って、一人で長い距離を歩き続けることを通してたくさんの方々と色々な面で関わっていけたらと考えています。

また、このnoteを読んでくださっている方で、違う方法でサポートをしたいと言ってくださる方は、コメント欄または以下のメールアドレスにご連絡ください。

minotonefinland*gmail.com

(*を@に変えてください)


今のところ出発は4月27日を予定しています。中学生の時は陸上部で長距離を走っていたし、日本にいた時は山歩きも趣味だったのですが800km歩き続ける体力があるか不安なので、これから少しずつ鍛えて開始日に臨みたいと思います!


今までに書いた旅についての記事の一部はこちらです

せかい食べ物紀行―第一話、パリとアップルタルトとトマトと玉子の炒め
せかい食べ物紀行―第二話、フィンランドとパイヴァン・ケイット(本日のスープ)

チェコ旅行記:第1部

わたしがフィンランドに来た理由


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