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『ひとりぼっち おそれずに』

緊急事態宣言により、全国的に外出が制限されている。
自分の会社も基本的に休業、さしあたり一ヶ月ばかりの自宅待機となった。

自宅待機とはいっても、とくにやる事はなかった。何日かに一回、近所のスーパーに買い出しに行く他は外出もしていない。政府の要請にしたがって真面目に自粛している……という意識でもなく、ちょうど会社勤めに限界を感じていて、むしろ自分から率先して引きこもりたいタイミングだったのだ。

そこまで大した仕事をしているわけではないのだが、とにかく出社すること自体が苦痛になり、心身ともに必要以上に疲れていた。とにかくゆっくりと休みたかった。ここ数ヶ月、そればかりを願っていたのだ。

そういうわけで会社に行かなくなってからというもの、外出も最小限にして誰にも会わずに家で大人しく本を読み、クリアせずに中断していたゲームなども進め、しばらく疎かにしていた自炊にも精を出しはじめた。

こうした生活をしばらく送っていると、自分がどんどん健康になっていくのが感じられた。引きこもっているので運動不足には違いないが、毎朝ベランダに出て軽い柔軟体操、お灸などもしている。無駄に強ばっていた心身が次第に柔らかく、分かりやすくほぐれていった。ウィルスの脅威にさらされ、非常事態の真っただ中である都内の、古いビルの一室。そこで自分は暗黒の社会生活で失われていた人間性を段々と取り戻していく……そんな気がしていた。

そういうわけで、気持ちよく晴れた日には、ベランダにミニテーブルを出して、ゆっくりお茶など飲んでいる。リラックス効果は抜群で、免疫も上がってきそうだ。ときには昼日中からビールを飲み始め、ちょっとボヘミアンなムードに浸ったりもした。漠然とした不安感は常に漂ってはいるものの、これはこれで楽しいものだと思う気持ちもあった。

その日の午後もよく晴れていて、やっぱり、そうやって過ごしていたのだ。


👂


「そろそろ鳴らしておこうかな……」

そうつぶやいて彼女が部屋に戻り、またベランダに出てきたときには、小さい弦楽器を手にしていた。

自分は音楽、とくにクラシックにはひどく疎い。そのマンドリンという楽器を実際に目にしたのは、すこし前に彼女が職場からそれを持ち帰ってきたのが最初だった。

一見すると小型のギターで、ウクレレなんかと同じようにも見えるのだが、実際は大分違うらしい。そんな事についても確か説明されたのだが、元々が自分には馴染みのない分野で、話の大半を聞き流した。しかし実際にその音色を聞いてみると、いつかどこかで耳にした事があるような、何故だか懐かしいような気分になるのだから不思議だ。意外とポピュラーな楽器で、実は色んな曲に使われているのかもしれない。

「園長さんの形見だからね。やっぱり定期的に弾いてあげないと」
「……そうか」

改めて断りを入れてから、彼女はマンドリンを弾きはじめた。

その「園長さん」というのは、彼女の勤め先の偉い人、というよりは最早ちょっと偉すぎて実際の権力はない、いわば象徴的な、ある種の名誉職に就いていた人物で、どういうわけだか彼女とはごく親しく付き合っていた。

園長さんはかなりの高齢で、しばらく前から体調を崩していた。そして、つい先日亡くなった。

「ほら、こんな曲。聞いたことない?」
「ないなあ」
「えー、これは有名だよ」

彼女と園長さんは音楽仲間らしく、マンドリンを一緒にやっていた。その関係で形見分けされたのだ。園長さんのマンドリンは六十年ものらしく、かなり年季が入っている。それと一緒にもらってきたという楽譜集なども、また相当に年季が入っていた。

「……有名っていっても、かなり昔の曲でしょ」
「まあ、そうなんだけどさ」

マンドリン楽譜

使い込まれたその楽譜をながめ、彼女が「まずは指の練習に」と軽くつま弾いてみせるのだが、タイトルだけで古い曲だと分かるものが多い。『さらばナポリ』『夜霧のしのび合い』『湯島の白梅』……それらのメロディ自体もどこかで聞いた事のあるような、やっぱりないような、いずれにしてもノスタルジー漂うものだった。

「でも、いい曲でしょ」
「そうだね」

しばらく彼女の演奏を聞きながら、自分はビールを一缶、ゆっくり空けた。昼過ぎになり、やや日が陰ってはきたが、上着を軽く羽織ればまだ快適な、暖かな春の陽気だった。

そのうち興が乗ってきたのか、彼女の演奏は雑居ビルのベランダで鳴らすには音がやや大きくなり過ぎたのかもしれない。ゴソゴソと、隣の部屋の住人がガラス戸を開けてベランダに出てきたらしい物音が聞こえた。

しかし彼女はそれに気づかず、ただ一心にマンドリンを弾き続ける。そうやって古い、昔の曲を弾きながら、故人との思い出に浸っているようにも見えた。だからもう少し、彼女の気が済むまで弾いたらいいと自分は思った。

だが仕切り越しに感じる隣の住人たちの気配が気になった。どうも何人かがベランダに出てきているようだ。これは先に謝ってしまった方がいいだろうと思い、いつ自分から声をかけようかと迷った。そのタイミングで隣との仕切りがバンっと破けたから、ひどく驚いた。

そして数人のお爺さんお婆さんたちが、こちらのベランダに雪崩れ込んで来たのだった。

「やあどうも、いい音色ですな」
「曲も素敵」
「つい心引かれてね、思わず出て来てしまいましたよ」
「やや、お嬢さんは演奏を、どうかそのまま、そのまま」
「とてもなつかしいわ……」

ベランダの仕切りを破って登場したにしては雰囲気も身なりも異様に上品な老人たちは口々に挨拶をする。そして彼女の演奏にじっと耳をかたむけた。

突然のギャラリー出現にも動揺せず、彼女はただマンドリンを弾き続けた。おれが知らない、ずっと昔の、古びているようで逆に新鮮な、でもやっぱりどこか懐かしく感じる……そんな曲ばかり立て続けに弾いた。

「……どうも、ご静聴ありがとうございます」

ようやく演奏が一段落して彼女が挨拶をすると、老人たちは盛大に拍手。それから各々どこからともなく自分の楽器を取り出して、品よく一礼。彼女もまた当然のように一礼を返す。

どうやら老人たちも参加して、そのまま次の曲に入るらしい。うちのベランダと隣のベランダは、ちょっとした即興オーケストラの演奏会場となったのだ。


👂


「……あれ、この曲は知ってるぞ」と、そのとき自分は思った。

それまでは、知っているような気もするが、やっぱり知らない……という曲ばかりだったのだが、このメロディには明らかに聞き覚えがあった。

そこでバイオリンのお爺さんと目が合うと、パチリと小粋なウインクをしてくる。

いつの間にか自分の後ろにいた打楽器のお婆さんが耳元で「さ、あなた歌うのよ」と囁いてきた。

「え、嘘だろ」と思わず彼女の方を見たのだが、彼女も演奏しながら「あれ、歌わないの?」という目で自分を見てくるので仕方なく、

「ひとりぼっち、おそれずに生きようと」

なんとかタイミングを合わせ、おれはおずおずと歌いはじめた。

「カントリーロード、この道……」

老人たちはより一層、体全体を使うようにして演奏を盛り上げる。彼女もマンドリンを一心にかき鳴らす。音楽の時間と金曜ロードショーの月島雫ちゃんを思い出しながら、おれは口を大きく開けて懸命に歌う。

「ずっと行けば……」

ああ、やっぱりこの曲、いい曲だな。まあでもあの演奏シーンはやっぱりちょっと恥ずかしい、というか観ているこちらが照れてしまう。しかしそんな感じはあのシーンだけに限らないし、観ていて「うわあ」とか身もだえてしまう気恥ずかしさ、むしろそれこそあの作品の魅力であるわけで……。

おれは口を大きく開け、体全体で大きくリズムをとるようにして懸命に歌いながらも、ある種メタフィクショナルな思考を巡らせていた。

「あの街に、つづいてる気がす……」

……と、ここでおれは思い出す。

いや、思い出してしまった。

隣は、ずっと空き部屋だったはずだ。


👂


バイオリンのお爺さんと再び目が合うと、またしても粋なウィンクをしてくる。ところが今度はその目玉がコロリと足下に転げ落ちた。おれは思わず目を背けた。

……隣が空き部屋になる前にはクラシック音楽関係の協会の事務所かなにか入っていたとか、以前に誰か、たしか大家さんから聞いたような気がする。しかしとくにそこで不幸な事故や事件があったとか、そんなことは別に……こんな考えが頭に巡った。べつに考えたくもないのに考えてしまう。

「ホラホラもっと声をお腹から出して、全身全霊で音を楽しむのよ……!」

不意に後ろから声をかけられ、ハッとして振り返れば、打楽器担当のお婆さんは何か骨のようなもので木魚を叩いている。

古めかしいが上品な装いの衣服はいまや朽ちたようになって乱れ落ち、半ば剥き出しになった彼女の身体も木乃伊かゾンビのように痩せこけ朽ちかけ腐乱していた。このお婆さんが木魚を叩くバチにしているのは、彼女自身の肋骨なのだろうと思い当たる。

唐突にやってきた恐怖に戦慄きならも、おれは歌い続けるしかない。ここまできたら、最後まで歌い切るしかないのだ。でないとどうなるのか分かったものではない。

「……帰りたい、帰れない」

どうしてもこらえ切れずに彼女の方に視線を向けると、幸いな事に彼女は依然として彼女のままの姿……なのだったのだが、彼女が演奏しているのはマンドリンだったはずなのに、いまは琵琶になっているのは何故なんだ。べべん……と彼女はそれを諸行無常めいてかき鳴らす。

その琵琶とも、さらに木魚とも、または得体の知れない、おれが知らない様々な楽器の音色にも、どういうわけか不可思議に調和してしまう、この曲の旋律。どうあっても名曲は名曲らしい。

うちと隣のベランダが得体の知れない亡者と彼女による即興オーケストラのステージならば、この雑居ビル六階のベランダの柵の外の中空には観客席になっていた。

いつの間にやら魑魅魍魎もしくは浮遊霊などで構成された多くの観客が集っていた。彼らはそれぞれ不気味だったり恨みがましそうだったり半透明だったりするのだが、皆ただ大人しく我々の演奏に耳をすませている。熱心な観客だった。

そしてラストのフレーズは、オーケストラの皆で一斉に唱和する。

「カントリーロード……」


👂


ようやく曲が終わり、彼女と、いまやリビングデッド剥き出しの老人たちは、ただ静かに余韻に浸っているようだった。中空の観客席ではスタンディングオベーションの嵐……といっても、その観客たちが立っているのか浮いているのか判然としなかったが、まあとにかく惜しみのない喝采が自分たちに送られていることは確かだ。おれは戦慄していた。

やがて即興オーケストラの老人たちは一礼、すぐ隣の部屋に、あるいはそのまま床に沈み込むなどして何処かへと帰っていった。あれだけ集っていた観客たちも、いつの間にか雲散霧消していなくなった。

彼女とおれだけがベランダに残った。それから彼女はまるで何事もなかったかの様にケースに琵琶……いやマンドリンをしまうと何も言わずに部屋に戻った。

おれは久しぶりに人前で歌った事の気恥ずかしさ、あるいは快さ、それから理解不可能な事象への戸惑いと恐怖がない混ぜになっている、とにかく名状しがたい感情の波、その渦に飲みこまれていた。コロナビールをさらに二缶ばかり一気に空けた。

いくら待っても彼女は部屋に入ったまま、ここに戻ってこない。日はもう落ちかけている。すぐ下の街路樹の辺りでカラスが鳴いている。どこか遠くの方でサイレンの音がする。次第に風もつよくなってきたようだ。

そのうちに、わけがわからなくなってくる。また、いつものように。

……逢う魔が時は、これでもう過ぎたのか?

おれに古いマンドリンの音色を聞かせてくる彼女は、そもそも現実に存在したのだろうか。その彼女だったり、さっきまでの即興コンサートの様子……上品で音楽を愛好する亡者だったり由縁も不明な幽霊や魑魅魍魎たち、それらを観測した自分という存在、このおれという主観は本当に存在するのだろうか。こんなにも架空のように様変わりした世の中のニュースを、流し見するのが基本の昼のT V映画のワンシーンのようにながめ、ほとんど家の外には出ずに誰とも会って話さず働きもせず、ただひたすら引きこもっている自分は、たとえば亡者か幽霊か魑魅魍魎あるいはanimationの登場人物たちと一体どう何が違うのか。もうはっきりと区別もつかない。うたた寝の悪夢のように。

それでも、よく自分の周りを観察して耳をすませてみる事だ。風にのって微かに、得体の知れない旋律の飛沫がこちらに向かって飛んでくるような気がするだろう。自分とそれらは最早入り交じって互いに伝染してしまっているにしろ……最後まで奏で歌いきる事が望まれる。

この話の教訓は一つ。

古い雑居ビルのベランダで、楽器を演奏してはいけない


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