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肉そばが、一番うまい 【JR巣鴨駅周辺】

ある冬の日。夜歩いていたら、しぶい佇まいの中華料理店が目に入った。駅から少し離れた住宅街にぽつんとある、いわゆる街中華というやつだろう。看板や店舗には年季が入っているが、「絶賛営業中」という現役感をバリバリ漂わせている。

「これは……」と思ったので、早速スマホで検索した。このようなウォーク&サーチというのが、最近のトレンドです。

検索したくなる=知りたくなるような事象に引っかかるために、リアルワールドを練り歩く。なんかそういうことを東浩紀あたりが数年前に言ってたような気もする。まあ今どきは誰もが自然にそうしてるからトレンドでもないか、別に。常時接続社会はすっかり定着した。

というわけで検索してみたのだけど、ネットにはそこまで情報がない。食べログもレビュー3件だけだ。

しかし得られた情報もいくつかあった。
なんでも、このお店自体は創業50年以上という歴史があり、80歳くらいのおじいさん店主がいまでも現役で鍋を振るっているらしい。

これはかなり気になる。

数日後、とうとう入ってみた。

仕事帰りの妻と二人、互いに腹を空かせて駅で待ち合わせた。駅前の喧噪を離れ、薄暗い住宅街の方へ入っていく。

5分ほど歩いて店の前に到着。冬の夜の路地裏に、暖色系の街中華が、ぼんやりと浮かび上がっていた。引き戸をガラガラ開けて入店する。

コの字型のカウンター席に妻と並んで座る。そこで意外にバラエティに富んだメニューを眺めていると、話しかけてきたのは出前帰りらしいヒゲ面の男性。彼はおそらくは店主の息子、二代目だと思われる。それからきっと元暴走族に違いない。
すっかり更生して店を継いでいく意志を固めて久しいのだが、出前のバイクさばきにヤンチャ時代の残滓が色濃くただよう。とくに跨がり方とかカーブの体重移動にそれが強く出る。まあ見てはいないけど。そういう脳内妄想が瞬間的に膨れた。でも実際に話し方とか口調から、そんなヤンキー具合が濃厚に香ってきた。いや、とても親切にメニューの解説をしてくれていたわけだけど。

「こんな寒い夜は、うま煮そばなんかいいんじゃないかな。うちのは塩味のあんかけで……」

その2代目が語っていると、カウンターの中からおばあさんが顔をひょいと出して妻に話しかける。

「女の人だったらさあ、身体冷えちゃうでしょ。うま煮は身体も暖まるからいいわよ。でもね、そばじゃなくてご飯ものも色々あるのよ。例えば男性に人気なのが……」

きっと女将さんであろう彼女は、元ヤン息子のあんかけ推しを補強するかにみえて混ぜ返した。

そのタイミングで、今度は自分の位置からはちょうど陰になっている厨房から、年季の入った鶴のような声がした。

「……肉そばが、一番うまい」

しわがれているようで甲高く、なんとも味わい深いおじいさんボイス。それを発したのは、どうやら店主のようだった。ネット情報が正しければ御年80歳を超えるはずの、街中華レジェンドである。

唐突に響いたその声に、私と妻はすこし驚いて固まってしまう。それで店全体の空気も一瞬固まった。

「……そうね。肉そばも人気ね。でもね、ご飯ものも色々あるし、他にも一品料理もセットにできて……」

フリーズした空間を動かすように、女将さんが先ほどまでの話をリピートしたところで、

「肉そばが、一番、うまい」

また鶴のような声が響く。再び凝固する店内の空気。

「あと、あんかけになっているのは他に……」

今度はあんかけ元族息子が再びあんかけを推したところで、

「肉そばが、うまい!」


まさに鶴の一声。その三連打が決まった。

もちろん私はその声に従って、肉そばを注文した。そして妻はあんかけのたっぷり掛かった、うま煮そばを選んだ。

父と息子、初代と跡継ぎの間を取ったような形にしたのだ。妻と二人できてよかったと思う。私一人で両方は食べられない。また太ってしまう。

そして待つこと10分弱。

満を持して目の前にやってきた、肉そば。

……たしかに、うまかった。

なにか特別に変わった味付けや具材、盛り付けというわけではない。だが庶民的な街中華の範囲のなかでも、なるだけ良い材料を使い、しっかり丁寧に調理されていることが分かる。
大胆にして安定した肉と野菜の炒め具合、満足感のある濃厚な味付け。スープのしみじみとした深み。そして昔ながらの縮れた中華麺。すべてが調和していた。ああ完成された街中華のすばらしさよ。

そして「肉そばが、一番うまい」とは言うけれど、うま煮のあんかけそばも、もちろんうまかった。ボリュームだってかなりある。コスパも抜群。食べきれないと訴える妻のをかなり食べたから、腹がパンパンになった。たしかに身体も暖まる。汗が流れてきた。

創業50年、その歴史とこだわりをたっぷり味わった。

鶴の一声おじいさん店主は、猛然と肉そばを作り終えた後、調理場の丸椅子にへたっと座り、そのまま、そこでじっとしている。まるでラウンドを終えたボクサーのようだ。きっと肉そばとか、コアなメニューのコアな調理部分に己のすべてを賭けているのだと思われる。その凄みのようなものが、カウンターの向こうから漂ってくる。

そんな夫とは対照的に、愛想がよくて、おしゃべりな奥さんが教えてくれた。なんとこの鶴の一声おじいさん店主、元々は長崎で洋食の修行をしていたそうなのだ。

なるほど、だからオムライスにハンバーグ、カレーといった洋食メニューも充実しているのか。そうすると女将さんの推しであるご飯もの、がぜん魅力的になってくる。

なかには長崎名物のトルコライスなんてものまであって、これがすごく気になった。今度はこれを頼もうと思った。

このトルコライス、そして肉そば。
どうやら、この二つが看板メニューのようになっているらしい。

10年位前に、浜崎あゆみがテレビでその2品を紹介したそうだ。それからしばらく店のキャパを大きく超える客が押し寄せて、大変なことになったらしい。

ずっと通ってきていた常連の足が、逆に遠のいてしまったりもした。だからそれ以来、マスコミ取材は基本的に断っているのだと、あんかけ族の二代目総長は我々に語った。

「浜崎あゆみの曲をいくつか作っているアーティストの何某君という人が近所に住んでてさ。彼がうちの常連だったもんで、そこからの情報だったみたいで、アユのやつがさ……」

そうやって、やや誇らしげに語る感じがまたヤンキー臭くもあるなと内心思ったのだが、こうして店を引き継いで堅実に、まっとうに盛り立てようとしているのだ。彼は立派な跡継ぎなのだろう。現にあんかけもうまかった。

ずっとこんな感じ、へんに気取らないスタイルで、末永く続いて欲しい店である。そう心から思った。

昨今、こういった個人店は、油断すると滅びていく一方ではないか。このままいくと世界がスタバとかアトレそのものになってしまう、かもしれない。そんな危惧を抱いている。

「肉そばが一番うまい」

きっとなにを注文してもちゃんとしてるのだろうけど、とにかく自慢の肉そばを推す、そのおじいさん店主の声真似。

私は家に帰ってからも、ずっとそれを繰り返していた。

「肉そばがぁ、一番うまい」

ちょっとかすれ気味の甲高い調子で、独特の抑揚をつけるのがポイントだ。

「肉そばがぁ、一番ぅん、うまぁ……」

「しつこい! それに本物から段々と離れていってる!」

妻に叱られた。これは近いうちにまた本物を聞かなればならない。そしてまた肉そばを頼む、かは分からない。だってトルコライスが強烈に気になる。でもやっぱり肉そばが一番うまいと言われたら、それを頼まないわけにはいかないしなあ……。

以上が、今年の初めくらいの出来事です。
その後、ちゃんとトルコライスも食べました。こちらも味とボリューム、両方に満足できる一品でした。でも最近行ってないなあ、とふと思い出したので、以前に書いたものに加筆修正して記事に。店の名前も別に載せてもよかったんだけど何となく控えました。まあ正しく検索したら、普通に出てきます。テレビ取材は拒否しても、そのうち『渋いぞ!街中華!』なんて雑誌とかネットメディアとかの軽佻な特集に取り上げられるかなとは思うし、その軽佻なメディアを軽佻だと批判するかのようなスタンスでいながら、じつは軽佻なメディアの片棒を担いで、その片隅にいる軽佻な私自身とは一体。まあ別にそんな軽佻なジレンマはどうでもいいとして、とにかく「肉そばが一番うまい」、そういうことでした。

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