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虹の袂

 ヨッちゃんは、山口県の宇部から東京へ出てきたと言っていた。何になりたいとか何をしたいとか特に目的があったわけじゃない。ただ、田舎には彼女の居場所がなかったから、雑多な人間がいる東京なら、多分ここよりは自分をゆるしてくれるんじゃないかと思ったんじゃないかな。
 そうして、それは当たっていて、風変わりな人間ばかりが自然と集まる八百屋でアルバイトを始めて、私とも出会ったわけ。

 その八百屋は無農薬栽培の野菜を売るお店で、普通のお店とはだいぶ違っていたから、働いてる人も変わってる。大体、社長がロン毛のヒッピーなんだから。働いてる人たちも仲間のヒッピーたちで、ロン毛率が高かった。
 ネクタイ締めて会社に行くのを拒否してドロップアウトするのが一つの生き方で、インドに行ってみたり玄米菜食を実行してみたりする。
 別の価値観で生きることを実践している人たちの集まりだった。
 そういう人たちは私やヨッちゃんよりだいぶ歳上の人たちで、歳が近いアルバイト仲間たちは、絵を描いていたり、オーガニック料理やお菓子を作っていたり、大道芸で火を吹いたりする子もいた。
 私やヨッちゃんみたいに、世の中に居場所がなくて、何をしたらいいのかもわからなくて、つかの間でも息がつける場所として、そこに流れついた子も多かった。
 世間の普通が合わなくて、でも自分の力で何かできるとは思えず、同じような悩みを抱える仲間と一緒にいれば、少しだけ安心できたのだ。

 ヨッちゃんは、おっとりとした素朴な子で、寂しがり屋で、不器用だった。
 ある時、デートした朝帰りにバイトに行かないといけないからと、私の部屋に寄ったことがある。パーマを当てた髪の毛はあまり彼女に似合っておらず、きつめの化粧もなんだか無理をしているように見えた。
 どこで知り合ったの?と聞くと、間違い電話で、と言う。間違い電話?そんなはずはないだろう…あ、テレクラか、と思ったけれど言わなかった。テレクラに電話を掛けてしまうほどの彼女の寂しさを、私は解ってあげられなかった。その彼氏?とはその後も何度か会ってたみたいだけど、向こうは彼女がいるらしく、だんだん冷たくされるようになったらしい。
 そんな男よくないよ、と私が言っても、寂しい彼女は会えるうちは会いたかったらしい。

 そのうちに、気持ちがすさんできた彼女は、八百屋のバイトに度々遅刻するようになり、自由な雰囲気の職場とはいえ、規律を守らないのはさすがにダメで、彼女はクビになってしまった。
 彼女がバイトをやめてしまってからは、会うこともなかなかなくなってしまったが、時折手紙をくれることがあった。
 お好み焼屋さんでアルバイトを始めたらしい。のんびり屋の彼女なのに、忙しいお店で頑張っている様子だった。手紙にはこうあった。

「お好み焼屋さんで働いています。すごく忙しいお店で、頑張ってます。お店の人にも仕事ができる、と言われるほどになりました。」
「でも、、頑張って、頑張って、そうして疲れて。この頑張ってる私はいったい誰なんだろーと思う。もっと、ないのか?」

 30年以上も前に貰ったこの手紙は、その後私が火事にあって消失してしまい、今はもう手元に無いのだけれど、この文面は今でもよく覚えている。特に「もっと、ないのか?」という彼女のやるせない叫び。これは今でも私の心の中にずっとある叫びでもある。
 そうして人生終盤に向かう日々には更に切羽詰まった意味合いを突きつけられる言葉だ。
 なんでもないような顔をして、周りの様子を見ながら生活し、苦しいことがあっても大したことじゃないんだと自分に言い聞かせ、何があったって、ただそれだけのことじゃないかと嘘ぶいていれば… 心はいつしか自分を見限るようになる。確実に時間は経ち身体が萎え何処に行けばいいのか最後まで分らず道にブッ倒れてまだ何もしていませんと泣き叫んだ所で… おしまいはやってくるのである。

 虹の たもとにたどり着けたら、と思って歩いている。けれども虹の袂には決してたどり着けない。それは夢の中の景色の中にだけ、存在するのかもしれない。
 せめてほんの少しの間でも、安らげる時間が持てたなら、幸せだったのにちがいない。

 

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