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名前について

このnoteを始めるにあたり、㈴というか、人なら人柄表すであろう、自分から発信する、この独創的な世界を書くと、独特な本質が全て出ますよね〜。こういう何かを書くっておもしろですけどね((◍•ᴗ•◍))www

COLORがでるというか、オリジナルの世界観が炸裂しやすい♬

芸術家や芸能人や著名人はたくさんの世界観を秘めてて、オーラは色々ですよね。

このnoteの由来

DV機能不全・薬物依存という複雑極めた、幼少期〜思春期を経験し、特異な家庭環境がありましたが、両親は私が20代前後半に早くに他界したので、私自身も心療内科・精神科・催眠療法・スピリチュアルカウンセリングと経験してきました。20代は癒やすのに、時間がかかってました。その時間は自分に大切に使う事で、逃げる態勢より、向き合う事に少しずつシフトを変えてきました。高齢出産で子供を授かり発達障がいの子供と主人と仲良く暮らしてます。

このnoteの名前の由来

【ブッダな】って変わってる!?👆😚

そのとおり、なんです!変わり者なんです(笑)珍獣やド天然とも言われてました!!自己紹介はさておき、本題に入りますと…

ブッダとつけた部分については、仏陀が好きですが、信仰心という宗派は特にありませんし、仏陀は崇高過ぎて、おそれ多いです……… ( ꈍᴗꈍ)

名前の本質的な意味は⬇⬇

仏になった親と過去の自分自身の集大成などなど、やっと私は自分自身と向き合えたよって素直になれた事も含めてつけました。少しずつです。原点の自分を少しずつ愛せる様にスローステップで取り組んでます。

自己肯定感ワーストから奪還してきた。

幼い頃は素直だったのに!とか、もう少し、素直に人の顔色みて動いていたと言われてましたが、素直に聞くことが親の反抗心や思春期もあわさり、親に対しての当時は本当に好きになれませんでした。同級生ともうまく付き合えず、余計にメンタルは病み対人恐怖症・恐怖感は拭えずにいました。数々のメンタル疾患になった過去があります。昭和の認知度・理解度がなく苦労しました。当時は異端者扱いかもしれませんね(・・;)(笑)www

今は、自分自身の短所・長所を少しずつ受け入れ嫌いなままで人生終わりたく無かったのです。自分自身にもこういう所があるし、こんなにも素晴らしい部分も取り入れてこれた。

名前に性別がわかるものにしたくなかった

元々、中性的な名前というか男性よりの名前で保険証の確認される事も多くて。

生まれてこのかた、女性という性別で特に苦しめられた経験がある。女性は生理がはじまり、思春期には大人でも子供でもない心身のホルモンバランスの変化に戸惑う。

性的なことの被害も合わさると、よくココまで生きてこれたと思う。別のnoteのタイトルで生い立ちは書いてる。

否応なしに女性なんだから、こうあるべき!と言われ続けた記憶がある。

結婚適齢期になれば結婚や出産を気持ちに反して急かされる。

結婚も未婚も産む産まないの選択肢も自由だし、誰が何と言おうと、別に人それぞれの自由だ!いつでも良いのではないか!?言いたいが女性には出産適齢期がくる、排卵するのも、生理は永遠に続かない。更年期はいずれやってくる。

今の性別に対する認識

子供を産んで社会的には女性として生活をしているが、ワタシは性転換をしたい訳でも男装したい訳でもない。過去は単に女・男とも性別に影響を受ける生活に苦労したのだ。

今は子供と巡りあって、ようやく女性としての感覚が正常値というか今は気持ちが安定している。人生のなかで否定感情に囚われなかったのは唯一そこだけかもしれない。

結果論で言うと、若い頃の結婚は選択肢に無かったのは、メンタルが不安定で病院や両親の看取りでツキモノが落ちたみたいに、やっと自分自身を解放できた時期なのかもしれない。別に結婚を否定してる訳ではない。単にその時期にいなかったのかもしれない。

結婚のあとの妊娠・出産終えて数年以上は経過してる。イメージががらりと変わり、自分自身に自信を少しずつ失敗しても自己受容する事の大切さを発達障がいの我が子に教えてもらい、スローステップでこれた。

性別嫌悪から今に安定するまで

DVの亡き父親の影響としか言えないが、父のバックグラウンドをみて少しは気持ちは汲んでみたが、生きにくい世間に縛られた被害者だったのだろう戦前後に育ってきた父も昔は今ほど自由を選べる環境では無かったのだと思う。親になり理解する事も増えた。親も理解されない人だったのだろう。

生まれた時は、女と男🚻で区別されるのはトイレの表記や何かの集まりでは、社会的にはそうせざるおえない。戸籍では目印にもなるから、社会活動する上では、どこかに属さないといけないのも理解できる。

性別に囚われる事なく生きたい人々はいる✨

事件・事故防止や倫理的・道徳教育でも女性も男性も活き活きとした活躍の場所はあって良いと思う。

どこにも属せない【性別】というネーミングに苦しめられた人々には居場所ができる事も救いだと思う

【性別という】⇒【自由性】で生きても良いと思う。

【時代背景は激変しても…】

昭和の何ないメンタルケア理解度・認知度がなく子供たちは置き去りにされてきたのは、現代文明が進化しても40年前から変わってません。スマホ・IT社会・不登校・保健室登校・スクールカウンセラー・DV・薬物依存・虐待・イジメ・ネグレクト・社会不適合・人とは違う特性や病・性別違和感、こういうのが、時代背景と共に段々と世間に認知される様になってきました。

被害者の救済が遅くて、被害者ばかりが出てくるのに、加害者への対応も遅れてる。加害者をどうにか出来ないのかと思うが、民事介入しにくい案件でもある。

【過ぎたるは猶及ばざるが如し】

何事も程ほどが肝心で、やり過ぎることはやり足りないことと同じように良いこととは言えない。 良いと言われることでも、やり過ぎは害になるということ。 『論語・先進』にある、孔子が二人の門人子張(師)と子夏(商)を比較して言った言葉に基づく。

⬆※辞書を引用※⬆

皆さんにも名前というのは本当、人生ではきっても切れないですよね。

名前って知らない間に加護があるみたいで、昔スピリチュアルカウンセラーのかたに、違う名前なら破綻してたかもしれないと、言われました。そう聞くと、今の名前も悪くはないのか!?

昔も今でも生きやすくするために改名したいと思う事もシバシバありましたが、まぁ、結婚して苗字は変わってるので、それだけ救いです。

自分自身の人生で少なくとも関わり合いのある名前について今回はテーマにさせて頂きました。

【命名】ブッダな

素直になれなかったり、生きにくい社会や仏になった両親や自分自身の過去の浄化も含めて名付けました。少しずつ自分を受け入れてきた。自分自身を受け入れれない苦痛を味わったものにしか分からない部分も大きい。

今後とも宜しくお願いします。つたない文章や似通った文が出てきますが、それも愛嬌で宜しくお願いします♬

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