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山林の作ること

生まれて物心ついた時には、美しい落葉松林に生きていた。棚田、棚畑の村に生きていた。

わが家の庭は広く、間伐材のシーソー、丸太渡り橋、トラックタイヤの馬跳び 木のブランコや鉄棒まであったのだ。小さなアスレチック並み。

家畜も牛、子豚のむれ、八木、兎、モルモット、チャボの群れがいて、部屋には猫、庭は番犬がいた。

庭は時々、熊の親子連れやニホンカモシカ、近所の牧柵を乗り越えて散歩する牛が歩いていた。
狐や狸、野兎や鳶、鷹も舞い小鳥達が歌っていた。数百メートル先には沢が流れ、その周りは落葉松林、下には熊笹が生えていた。

春は落葉松のあわい黄緑色の芽吹きに、黄色の山吹が咲く、美しい山村だった。
長閑な村に生きていた。

本道には湯道を守る100体の観音像が山の温泉まで続く。日当たりの良い南傾斜の亜高山帯。

そこに暮らす事は、決して豊かではなかった。
わが家は農業を生業でずっと暮らしていた。
某アイドルグループが山村で農業をしていたが、あれに電気が通っている感じに近いと思う。

わが家の敷地内には、農業用水用に小さな池と細い用水路がある。祖父が戦中にわざわざ水源を確保する為に選んだ開拓地だ。
当時、材木問屋の大番頭の祖父は、戦争を見越して土地を買い、幼い息子、私の父と開拓した。

山林はなぜか買わなかった。
田畑があれば、食うに困らないと考えての事らしい。

子供の私が物心ついた時には、祖父はお仏壇の人だった。
私が生まれる20年以上前に他界した。
尋常小学校高学年児童だった父が、長男として、わが家をずっと支えていた。

農家は貧乏。山持ちと果樹農家はお金持ち。
そんな背景のる村でもあり、戦国時代の武士の末裔、地主の家系はお大臣。

そんなことを耳にした時に、なぜ家は儲からない仕事をしているのかと、父に問うたのは、小学校低学年のことだった。

水、土地があれば、女子供たちだけでも生きていけると祖父が考えた結果だろうとのことだった。それは、祖父の余命が長くはないと、本人が悟っていたかららしい。
事実、祖父は、南方から徴用を終えて帰国後、癌で戦後数年で他界した。

じゃあ、山持ちには、ならなかったのかと尋ねると、女子供たちだけでは力仕事、山野部の仕事は難しいとのこと。植えるだけでは駄目で、切り出しやら、管理やら何かと大変なこと、樹が育つ迄に収入を得る事が難しいことを聞かされた。

そして、このような寒冷地では、人気の杉、檜が雪で育てるのが難しく、落葉松を植えた植林事業をしていることを聞かされた。
そしてそこに、第二次世界大戦の影も落ちていることも。

日本が戦勝国としていたなら、軍隊に材木を供出が出来るだろう。アジア諸国に輸出、帰国後の兵隊さんたちの住居に、電化による電柱の需要も高まるはずだと先読みした。

また、敗戦国となれば、復興の為に材木は必要だとする考えもあり、戦地への供出を始めた戦前から、戦後まで伐採と植樹を繰り返していたらしい。 


この山林には、そろそろ40年以上の落葉松があるはずだ。月ノ輪熊、雉子、ニホンカモシカ、ニホン猿もいる。小さなサンショウウオやカジカも、沢蟹も、沢に僅かながら居る。
山繭蛾も大紫蝶も居る。トンボも群れをなす。

この人の手が入りにくくなった山林は、野生動物の温床でもある。

そんな穏やかな山林は、狩猟期間を持っている。冬山を歩く時には、鈴と愛犬を連れ歌を歌えと教えられている。

昔ほどハンターは減ったとはいえ、用心は必要で。
正月三が日は、山の神様を静かに過ごして頂く為に、奥まで入って山のものをとるなとか。

そんな人の生活習慣と、山林との共存を続けて今がある。

けれども、この山林には、「戦争」という過去の人の意図と歴史がまだ残っているのだという事実。
この事実に、令和を生きるどれだけの人が、気づいているのだろう。

樹がそこにあることにも、なにかしらの意味と理由がある。
そしてそこに佇むとき、私は時の流れと山の何か不思議な力、精霊の様なものを感じる。

幾度となく、木々の中に立つと、子供の頃から、私名を呼ぶ不思議な声を聞いてきた。その度に愛犬は地にひれ伏して怯えた。声の聞こえる方に好奇心で行こうとすれば、愛犬はその場から動かず、自宅に戻ろうとした。すると、急に恐怖心にとらわれる。
以来私は、その声が聞こえたら一礼して立ち去る事にしている。
奇妙な感じだが、私にはそれが現実なのだから仕方ない。

山林は、もしかしたら木々を介した1つの結界なのかもしれない。商品として植えられ、人との関係が希薄になり、山林そのものが大いなる意識とか、こうありたいという願いを持っているのならば。
戦の愚かさを憂い、自然界の秩序維持を目指すのかもしれない。
それでも、山林は、万が一の時には人を護ろうとするのだろうと、なんとなく思う。根拠など全くないが。

この山林の春の芽吹きの美しさは、もうふた月ほどだろう。
人が何を思っても、何をしようとも、落葉松林は、山の守護者なのだろう。



よろしくお願いいたします。