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こちら側への切符

私は身内にとても甘いです。
普段はほとんど怒らないのに、身内を馬鹿にする人がいたら一瞬で腹を立てるくらいには甘い。

そしてその「身内」の定義はとても広い。
私にとって身内とは、モノを作る人です。

ゼロから「作る」ということは、孤独を伴うもの。自分自身を切り刻んで作品を産み、自分の内面を人前に晒す作業です。
これをやっている人を私は身内と思ってしまう。
やっている人にしか分からない感覚を共有できる仲間だと思うから。

何かを作ろうと思っていても、まだ作ってない人はあっち側にいます。
でももしこっち側に来たのであれば、仲間です。身内です。
技術がまだまだでも、初心者でも、拙いものしか作れなくても、こっち側には違いがない。
私が絶対的に味方でいようと思う人たちです。

あちら側とこちら側の間には、暗い運河が横たわっていて、定期的に船が出ています。
しかし乗客はあまりいない。
いたとしても、途中の島で降りたり、小舟で引き返したりして、なかなかこちらへ辿り着けません。

楽しく作品を作れる人もいますから、こちらも悪くはないんでしょう。
でも私は、おいでおいでー!ということはためらってしまう。
あまり楽しくないし、孤独だし、知ってしまうと戻れないものもたくさんある。

だけど、これからこちらに渡ってきたいと思う方がいるかもしれないので、ちょっとメモを残しておこうと思います。
その切符を手にいれるのにはちょっとしたルールがあるんです。

「未完の砂漠」

こちら側に石を投げ続けるのをやめること。

こちら側は人数が少ないです。
だから、他の作者の悪口ばかり言っている人は、乗船切符が手に入りません。

だって、あなたがいま悪口を言っている作家は、こちらに来るとすぐ近くにいます。
飲み会で隣に座るかもしれないし、一緒に仕事するかもしれないし、ひとり介せばみんな知り合いみたいな狭い世界です。

人の作品や作家の批判ばかりしていると、いつまで経ってもこっちに来る気がないのだなと思います。
自分が石を投げ続けたところに、自分が行こうとするって矛盾がありませんか?
そして、いつか自分が石を投げられるのでは?と怖くて行けなくなりますよね。


作品を完成させること。

いくら勉強をしても、いくら練習をしても、いくらインプットという名の鑑賞を続けても、そもそも作品を作らないと切符が手に入りません。
当たり前すぎるけれども、完成することって結構難しい。

そしてコンスタントに作り続けることはもっと難しいですね。


初心者に対して優しくあること。

自分より下手な人や初心者に厳しい人は、こちらにも少しいます。

でも、
「こっちに来たいならもっと修練しろ」
「やめておけ、お前には無理だ」
「甘えるな、自分はもっとちゃんとやった」
と言い続けることはとてもダサいです。

来たい人には道は用意されている。
誰にでもこちらに来る権利があります。
そして、下手でもなんとか海を越えてこようとする人に、手を差し伸べるのがこちら側にいる人たちのやるべきことだと思います。

いつかこっちに来たら、自分のあとに続く人に手を差し伸べてください。
歴史はそうやって作られています。


noteは心地がいいですね。
作る側の人がたくさんいるから。
そして案の定、知り合いが結構いて、狭い世界だなって思います。

最近「作品を見る側」の人にも興味が出てきて、よくXでフォローしては眺めて癒されています。誰かを推すこと、愛を語ること、応援すること。そちらの世界も素敵なんだろうなあ。行ってみたいなあ。

さて、今日も船着き場に誰か来ていないか、見に行くとしましょうか。


ここからは、ちょっとだけCMです。

プロ向けのデッサンスクールを東京にて開催しています。
とはいえ、プロアマは問いません。作りたいと思っている人、作っている人のクリニックのような学校です。
絵を描いていて、なんだかしんどいなーと思ったら、一緒に絵を描いてみませんか。いろいろ相談とかできますよ。


サポート頂けましたら、際限なく降りかかってくる紙代と画材代に充てたいと思います。