「建築の公共性ー誰のためにつくるのか」 シンポジウム感想

「建築の公共性ー誰のためにつくるのか」シンポジウムを拝聴した。https://www.aij.or.jp/jpn/symposium/2019/20190328.pdf

建築学会で古谷会長が設置した2つのタスクフォースのうちの1つ「社会の信頼に応える建築の設計者・施工者の選定方式を検討するTF」の「社会が受容する「建築の公共性」に関する検討WG」による。このシンポジウムを開催することによって、TFとWGの名が表す建築の最も重大な課題の1つに、真正面から取り組むことについて、学会という場で明確に示されたことが、本当に素晴らしいと思う。

民間、公共建築問わず、多くの建築があまりに私的につくられており、発注者と設計者の関係を本質的に考え直すべき、という山本さんの強い問いかけからスタート。

分けて議論された訳ではないので、順番が前後するけど、民間の建築に関しては、北山さんから、保留床×単価=開発資金となり、都市がただの商品の集積となってしまっていることに対して問題提起。弁護士の五十嵐さんは、日本では世界でも例のない急激な人口減少が予測され、所有者が不明な土地が増加する中、土地所有権への絶対視自体を問い直し、土地基本法の改正と建築確認申請から建築許可制への移行を提言。山本さんが「五十嵐さんはコミュニティをつくるのに建築家が参加すべきというスタンス」と合いの手を入れ、五十嵐さんが「区分所有ではなく、現代(漁業権とか温泉権ではない)総有へ」という更に面白そうな話に展開。塚本先生からはメンバーシップの話。

公共建築に関しては、憲法学者の木村さんは法学の立場から、建築家の公共性に関する言説について。「公共性を目指したプロセス」という言葉はまさに。小野田先生は英国のPFIのプロセスの何重ものゲートウェイによる組織的管理と、RIBA等の専門家集団の果たす役割について。日本の具体的な取り組みについては、次回4/22のシンポジウム「社会の信頼に応える建築の設計者・施工者の選定方式」を待て!という感じでしょうか。いいところで次回予告みたいなそわそわ感。元群馬県のコンペ仕掛け人の新井さんも登壇するようで面白そう。

PDでは、大野先生や藤村さんから、民活等による自治体職員の減少・弱体化が指摘された。そこを専門家がどう補い、更に木村さんの言葉を借りれば「役に立つ」システムをつくるのかが、鍵になるように感じられた。利用者や周辺の住民、地域社会との関係について、設計者が専門家として役割を果たし、空間化していくには、自治体職員をサポートするシステムが必要。

文科省でも一時期、「小中一貫教育・学校施設の複合化に関する施設計画・設計プロセス構築支援事業」っていうのをやっていて、すごく良い取り組みだと思っていたのだけど、一時的な助成金からどのように継続できる形に持っていくか、が課題だと感じていた。

例えばスイスでは、公共建築はプロジェクトをオーガナイズするプランナーと呼ばれる人が原則(条件はあるかもしれないけど)関わることになっているらしい。長期間に渡るコンペや、コンペの審査に含まれるワークショップをオーガナイズしたり、ステイクホルダーを適切なタイミングで呼んで打合せや建設委員会をセッティングする。4年前に教育施設環境研究センターのシンポジウムにプランナーが来てくれたときの話で、今は変わってるかもしれないし、もしかしたらプランナーによって能力は色々なのかもしれないけど、こういうオーガナイザーや計画者への報酬を、制度化するのは大事なことだと思う。どのくらいの権限や影響力(議会や議員を巻き込めるまでいけるか等)を持てるかも重要。小野田先生によると、イギリスの例では、アドバイザリーやコンサルをしっかり入れて長期間で計画を練った方がトータルの事業費は下がる、という話だったかと思うので、コスト的にもメリットがありうる。そのオーガナイザーの派遣には建築学会等諸会も一役買ったらいいのでは。

聴衆それぞれが、各々の立場で、引き続き考えていくような、大きな投げかけのあるシンポジウムだった。五十嵐さんの話が面白かったので、私はとりあえず現代総有の本を注文した。自分の分野からの興味としては、公共建築のイギリスのPFIのプロセスでCABEとかRIBAの果たす役割について、小野田先生の黄表紙を再読。建築の公共性について、引き続き考えていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?