私のピアス歴。


17個。これが今の私のピアスの数だ。

初めてピアスを開けたのは6歳頃だったと思う。
当日アメリカに住んでいた私にとってピアスは非常に身近なものだった。
ある日、叔母が遊びに来ていた時にショッピングモールへ母と叔母と姉と行った。
今ではどうか知らないが、当時はモールのそこらでピアスガンを使ってピアッシングを行うサービスがあった。
「せっかくだから開けようか」
誰がそう言い出したかは思い出せない。
叔母、私、母、姉の順で開けたのは覚えている。
姉は慎重というかビビりというか、私を実験台にして安全を確認してから自分も行動に移す、要領の良い子供だった。
それに対して私は無鉄砲で恐れ知らず、好奇心が先走る子供だったので、叔母が開けた後にすぐ開けて貰った。
軽く耳がじんじんしたのを覚えているが、ちょこんと可愛いピアスが耳に輝いて嬉しかった。

日本に帰って小中高は既に開いているピアス以外は開けなかった。
流石に表立って校則違反するほどの度胸はなかった。

大学に入ってからピアスを増やしたい!と思いピアッサーを買って右耳に1つ、左耳に2つ開けた。
当時はニードルで開けるという基本も知らなかったため、バチンバチンとピアッサーで開けた。
上手い具合の間隔で開いてくれたのは本当に運が良かったと思う。
当時は塾講師のアルバイトをしていたのだが、よく5つもピアスをしていて大丈夫だったなと今になって思う。

その後就職、うつで退職してから左耳のヘリックス(いわゆる軟骨ピアスといってすぐに思い浮かぶ位置)に2つ開けた。
この頃にはニードルで開けるという知識がついていたので、ジュエリーのついたファーストピアスを用意してニードルで開けた。
これは後に位置と角度が気に入らず開け直すことになる。

それから少しして、体にピアスを開けた。これは家族も知らないピアスだ。そのうち飽きたら塞ぐかも知れない。

その後、トラガス(耳の付け根の出っ張っている部分)に開けたいと思って3回ほど挑戦したのだが、貫通はしたもののピアスへの接続が上手くいかず断念。
初めてピアススタジオを訪れて開けて貰った。ピアッシングも接続も一瞬で終わって驚いた。プロの技とはこのことかと思い知らされた。

それから数週間も経たずにアウターコンク(耳の上の方の平たい部分)に自分でピアッシング。
続けて位置と角度が気に入っていなかった左ヘリックス2連を開け直した。
それから1週間ほど経っただろうか、インナーコンク(耳の下側の軟骨部分)にピアッシングした。

それから2週間と経たずにハンドウェブ(手のひらの水かき部分)にピアッシングをして、私のピアッシング生活は終わる、はずだった。

が、何故か今、右耳の下側のヘリックスとアンテナヘリックス(耳輪を垂直に貫通する文字通りアンテナのようなヘリックス)、左の上の方のヘリックスが開いている。
何故かも何も自分でピアッシングしたのだが、ハンドウェブで打ち止めにするはずだったのに衝動的に開けてしまった。

そして左耳のロック(ルーク、ロークともいう。耳中央より上側の軟骨の出っ張った部分)にも開けた。実現するかは分からないが舌にもピアスを開けたいと思っている。

道行く人を眺めると、皆驚くほどピアスが開いていない。
可愛らしいイヤリングが増えたからなのかというと、そうでもないらしい。
耳に何もつけていないのだ。
私の生活圏の問題かも知れないが、何となく寂しい気もする。

ピアスは開ける時と安定するまでには痛みを伴うが、安定してしまえば痛みは一切ない。
バチバチ開いている私は確かにどうかしているが、今よりもっとピアスに寛容な社会になってくれれば良いのになぁ、とぼんやり思うのであった。

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