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【東日本大震災】被災者生活の中、卒業式

震災2日目からは、後に半壊と認定された我が家に戻った。ガス、電気、水道は全部NG。でも自分の家がいい。

二手に分かれて毎日3時間、雪の中を並び、調達できた食材をカセットコンロで煮ただけの食事がエンドレスに続く。洗う水がないから残さず食べるし生存本能なのかひたすら食べてたので太った。歯も磨けない。頭かゆい。お風呂入りたい。でも。徐々に沿岸部の深刻な被害が分かってくると内陸部の自分たちを被災者とはいえない。むしろキャンパーだよね、と非日常を楽しんでみる。

月の半分は出張しているダンナさんも今は大活躍。水がないなら雪を溶かせば良い。子ども達が雪を運びお風呂場にためてみたけど溶けずに固まったまま。すると次は、私がアメリカンカントリーにはまってたときのラティスをダンナさんがベランダで燃やして雪を溶かす。3日ぶりに顔を洗えて4人で狂喜乱舞。燃えかすが顔についても気にならない。夜は、リビングにありったけの布団を並べてダウンジャケットを着たままで就寝。サバイバルゲームだ。

電気が回復したのは4日後。人生で20番目ぐらいに嬉しかった。10日目には、オール電化のおうちに呼んでいただいてお風呂!でも垢がこびりついて膜になってるらしくお風呂に入ってもふやけない。タオルでゴシゴシしても取れない。髪も相当にゴワゴワで汚れが取れたかは不明だけど、とにかく嬉しかった。

震災から2週間後の3月25日は予定より1週間遅れでユウイチの卒業式。学校はあちこちひび割れていてグランドは大きく陥没してるし自粛ムードはあったけど英断してくれた教育委員会の皆さんに感謝。女子達は袴もなくみんな質素に普段着。私を含め号泣スイッチが緩い母達もほぼ無感動であっさり終了。まだ水もガスも戻ってない時期。プチキャンプ生活と言い聞かせてたけど夜中に歯ぎしりするらしく、朝起きるといつも顎が痛くて頭痛も治らずイブを常用してた時期。みんなも感動する余裕はなかったんだと思う。

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あの時期、粛々と毎日が過ぎていきました。自分たちが被災者なんて申し訳ない、という共通理解があったからなのか、東北の人の忍耐強さなのか。怒号は一切見聞きしませんでした。私はキレやすい体質なので、子どもが乳幼児や幼稚園児だったら冷静に対処できてたか自信ありません。


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