丸の内でOLしてましたっていう話

東京丸の内の会社に勤務していましたと聞いたら、きっと誰もがキラキラのバリキャリ女子を想像されるかもしれない。でも、実際はちょっと(というかだいぶ)違っていて、たまたまひょんな事からそこにたどり着いたのです。

当時、本人はその場所が日本の一等地だという事もよく認識できていなくて、毎日東京駅構内の人の多さと満員電車の密集度に息がつまる思いで、第二の故郷オーストラリアに帰る日をただひたすら待ちわびながら通勤していた社会人一年生。

二重橋前駅近辺はまだ丸ビルの工事が進行中だった頃のお話で、オフィスの近くにお昼ご飯を買いに行く場所も多くはなく(東京駅の地下か八重洲側まで歩けばもっと選択肢はあったような記憶)、当時はバンに乗ったおばちゃんがお昼頃になるとお惣菜のようなお弁当のようなお手頃ランチを売りに来ていて、週に何度かはお財布を持ってこじんまりとその短い列に並んだりもしたものです。

勤めていた会社はというと、アメリカに本社がある知る人ぞ知る外資系企業。でも、当時の東京オフィスはスタッフも20名弱、留学経験者も帰国子女もゼロ(=英語が得意な人がいない)という、少し稀な環境でした。(そういえば、日本語が堪能なアメリカ人スタッフが1人駐在で勤務していた)

ある時、アメリカの本社から社長が来日するというので、東京駅の反対側·八重洲口にある某媒体(経済系)の本社に日本オフィスのスタッフがお供することになりました。そこに選ばれたのが、中国語が得意で英語も少し話せる男性山田さん(仮)と、そして通訳係として白羽の矢が立ったのが、この私でした。通訳の経験もなければ、実はもともと英語が得意な訳でもない私。(まあ、確かに留学はしてましたが、英語ができるレベルにも色々ありまして、通訳のトレーニングなんてレベル高すぎて足元にも及ばない)

でも、まだあの頃はなんでも仕事は「できます!」と言って引き受けるのが良い事と信じて疑わなかった私。数年間は英語圏で過ごした経験もあるのだし、持ち前のポジティブ思考で「いいですよ。(まあ、なんとかなるでしょ)」と快諾。いざ通訳係として一緒に社長と訪問先の某社を訪れたのでした。

まさか、この後あんな悪夢が待ち受けていようとはまだ想像すらできずに。

そもそもなぜその丸の内の外資系企業で働くことになったかというと、その前職である東京・大手町のとある会社に勤務していた頃にさかのぼります。(そうです、社会人1年目なのに「前職」です)

その会社は、日本経済界を代表する、とある企業の系列会社でした。社員数が数百人そこそこの規模で、フロアも二つに分かれていました。バイリンガルや帰国子女の割合も多く、会社のカルチャーも比較的オープン、いかにも仕事のできそうな女性の先輩もたくさん働いていました。定期的に顧客を招待して開かれていた立食パーティー(&飲み会)も、参加する誰もがビシっとスーツを着こなし、会話も立ち振る舞いもスマートで、社内の人間関係も風通しよく居心地もそれなりに良い会社でした。

私は顧客サポート担当で、割り当てられた担当企業に出向いてサービスのフォローアップや使用説明をするのが主な仕事内容でした。BtoBサービスのため顧客はすべて法人、担当は主要都市銀行や政府系機関等です。どこの顧客に会いに行っても、判を押したように全員そろってグレー系または紺色系のビジネススーツを身にまとっているという、絵に描いたようなコーポレートの世界。もちろん私も、毎日黒かグレー系のパンツスーツを着て通勤していました。

今思えば、東京のビジネス街ど真ん中で、お堅い系会社のお堅い人たち相手に、よく普通に20代そこそこの世間知らずの無知な小娘が仕事(をしてるようなフリ)ができていたなあと。毎回、営業担当者と一緒に新しい会社を訪問するのは楽しかったけれど、特に話が上手くできるわけでもなく(というより何を話して良いのかもわからない)、いつも訪問先で口数少なく微笑んで頷いているだけの自分に、これでいいのだろうかと自問する日々。

特に大きな失態をするわけでもなかったはずなのに、ささやかなダメだしをされていた記憶しかなく、例えば先輩に頼まれて提出したエクセル表のつくりがイマイチだとか訂正するたびに毎回指摘されたり。細かいことで注意されることはあっても、何かを褒められた記憶はなく(社会人1年目なんてそんなものだと言われればそれまでだが)、おおらかに褒めて育てるオーストラリアで学生時代の数年を過ごしてきてしまった私には、帰国後の軽いカルチャーショックのように確実に自信を失い始めていたのでした。

そして入社から半年ほど経ったある日のこと、担当していた取引先のひとつの会社から連絡が入りました。今度ぜひランチをご馳走したいと。はじめは意味がまったくわからず。しかも、その取引先にはいつも先輩か営業担当と同行していたにも関わらず、私一人だけへのランチのお誘い。先方は取引先の社長池内氏(仮名)と、その下で仕事をする平田氏(仮名)。

特に断る理由も見つからず、当日指定されたレストランへ行ってみると、なにやら高級会員制レストランのような場所で、テーブルナプキンの厚みとその必要以上に糊ずけされた手触りが一番印象深かった。何を注文して食べたのかさっぱり思い出せないけれど、食事中に是非うちの会社にきて働きませんかという話になった事はしっかり覚えている。世に言うヘッドハンティングである。しかし、なぜ私が。。

理由が思い当たらない。特別良い仕事をしていたわけでも、その会社とのビジネス上の深い関係を築けていたわけでもなかった。なにしろ入社半年の下っ端である。確かに一人でその会社を訪問することは数回あった。けれど、だからと言って何か評価されるべき仕事をしていた心当たりが一つもなかったのだ。

ひとつだけ思い当たることがあるとすれば、地味なパンツスーツを着て、口数少なく相手の話を聞き頷きながらメモをとる姿が、まるで落ち着き払った「仕事ができそうな雰囲気」を醸し出してしまっていたのかもしれない、ということだった。

これは困った。お断りしなければ。と思っていた矢先、平田氏から出た言葉は「来月から入社すれば、月末の上海出張に一緒にいけますよ」という言葉だった。

シャンハイシュッチョウ。海外好きの私には直球どストライクの殺し文句だった。上海、行ってみたい。会社の経費で上海に連れて行ってもらえるなんて。海外出張だなんて!!!この時点で、私はウハウハ、目にはハートマークが浮かび上がっていたに違いない。

そんなこんなで、あっさり辞表を書き転職を決意した20代前半の私。
入社半年で退職される側の会社の立場なんて微塵も考えずに。

(経営・採用する立場を経験した今なら確実に言える、これほど無礼で身勝手で自己中心的な行動はないと。会社に利益をもたらす働きができる前に、会社から自分への投資=教育と毎月のお給料だけもらって、簡単に転職してしまう。あの頃の私は、上海出張しか見えていない本当に身勝手極まりない社会人だった)

そして、転職後、楽しい上海出張が終わった直後にあの悪夢が待ち受けていた。


〜続く(かもしれない)〜


よろしければサポートお願いします。クリエイティブ活動の費用として大切に使わせていただきます。