Amazing Grace(3)

前回の投稿で、ジョン・ニュートンが見た不思議な夢のことを書きました。

ヴェニスから帰国後、ジョンは再びケント州に長く滞在し、愛するメアリーのそばにいる生活を送っていましたが、ある日、海軍に強制徴募されてしまいました。

1740年に起きたオーストリア継承戦争で、オーストリア大公国を支持するイギリスと、それに対抗するフランスやプロイセンとは戦争状態にありました。

イギリスは海軍の大幅な増強を目指していましたが、当時のイギリス海軍は待遇が非常に悪く、志願者が少なかったため、民間の水夫を拉致まがいのやり方で強制的に海軍に入隊させる『強制徴募』が行われていました。
『強制徴募隊』と呼ばれる屈強な男たちが酒場などを急襲して船員を捕え、軍艦に連れてくるといった乱暴なやり方で、水兵を集めていたのです。
強制徴募は、当時の法律では合法と認められていたそうです。ジョンは父親に手紙を送り、自分が強制徴募されたことを知らせました。父親は手を回して、ジョンを水兵ではなく、士官候補生として乗船させるようにしました。
そのため、最初は周りの船員たちからも嫌がらせを受けることなく過ごしていましたが、当時のジョンは非常に傲慢で虚栄心が強く、勝手な行動をし、悪なる行為を行うことを楽しみに生きていました。
そのため、艦長や他の船員からもよく思われていませんでした。

ジョンが乗船した軍艦は一度イングランド南海岸から出港しますが、嵐にあい、多くの乗組委員が負傷したため、程なくイギリス南西にあるプリマスという港に停泊しました。
ジョンはそこで、プリマスから数10km西にあるトーベイ湾に父親が来ていることを知りました。
父親に連絡が取れれば、軍艦から降ろしてもらえるかもしれないと考えたジョンは、士官候補生として乗組員が脱走しないよう見張る立場でありながら、自ら脱走してトーベイ湾に向かいました。
あと2時間も歩けば父親に会えると思っていた矢先、イギリス軍の部隊に出くわし、プリマスに連れ戻されて2日間留置場で監禁されてしまいました。
その後、軍艦に連れ戻され、足枷をはめられ、裸でむち打ちの刑にされました。傷口には塩水がかけられ、その上から包帯が巻かれたそうです。
さらに、士官候補生から水兵に降格され、艦長から激しい虐待を受け、他の船員たちからは侮辱される日々を過ごすことになってしまいました。

このとき、ジョンの心の中は、愛するメアリーに対する極度の情熱、激しい欲望、そしてひどい怒り、どす黒い絶望感でいっぱいでした。
救出される望みも、苦しみが緩和される方法もなく、ジョンに味方して不満を聞いてくれる友人もなく、心の中も外の世界も、暗黒と悲惨しか認められませんでした。
参考文献によると、出航する軍艦の上で、ジョンは海に身を投げ出したいという誘惑にかられたそうです。
『海に身投げすれば、お前の悲しみに一気に終止符が打てるぞ』と、サタンがジョンに囁いたのでしょう。しかし神様は、ジョンの心にメアリーへの愛を思い出させ、ジョンの衝動を抑えてくれました。それだけではなく、神様はこの絶望的な境遇からジョンを救い出す計画を、隠密に進めてくださっていたのです。

ジョンが乗った軍艦は、アフリカ北西部にあるマディラ諸島で任務を終え、翌日出航することになっていました。
ジョンは、その日に寝坊してしまい、以前の仲間であった見習い士官の一人に叩き起こされました。この見習い士官は、なかなか起きようとしないジョンが寝ていたハンモックを切り、ジョンを床に落としたのです。そのためジョンは、渋々服を着て甲板に上がりました。

その瞬間、ジョンの目に、一人の男が甲板で自分の服をボートに積み込んでいる姿が飛び込んできました。慌てて話を聞いたジョンに、その男は『軍艦の近くに停泊していたギニアの商船から、二人の男が軍艦に乗船してきたから、こちらも船員を二人、商船に移さなければいけない』と話しました。
この話を聞いたとき、ジョンの心は火のように燃え上がりました。ジョンは自分の上司に、自分がギニアの商船に乗れるよう、艦長にとりなしてほしいと懇願したのです。
ふだんはジョンと仲が悪いこの上司は、このときばかりは何故かジョンに同情し、すぐ艦長に掛け合い、ジョンの職を解き、ギニアの商船に移れるようにしてくれました。
もしこの日、ジョンが寝坊していなかったら、そしてちょうどいいタイミングで見習い士官がハンモックを切らなかったら、そしてジョンの上司が艦長に掛け合わなかったら、ジョンはこの後5年間、水兵として絶望的な境遇の中で過ごさなければならなかったことでしょう。

ジョンはこのときの体験を、友人に宛てた手紙にこう記しています。

これは、私の人生の中で数多く起こった重大な転機の一つでした。このときも、神はいくつかの思いがけない状況をほぼ一瞬のうちに共起させることによって、その御意志と思いやりを示してくださったのです。こういった突然の好機は何回か繰り返し起こり、その一つ一つが私をまったく新しい展開に導きましたが、これらの好機は、これ以上は引き伸ばせないぎりぎりの瞬間まで遅れるのが普通でした。
(引用ここまで)

しかし、軍艦から下船できたとき、ジョンは心の中で『赤の他人の中にいるので、これからは、誰にも制限されず、好き放題、放埒な生活を送ることができるかもしれない』と考えていました。
このときのジョンの状態を、ジョンは聖書を引用して説明しています。

その目は絶えず姦通の相手を求め、飽くことなく罪を重ねています。彼らは心の定まらない人々を誘惑し、その心は強欲におぼれ、呪いの子になっています。
(ペテロの手紙二 第2章 14節)

結局、ジョンはギニア商船の船長にも嫌悪感を抱かれ、半年後、ジョンは出航を控えたギニアの商船から降り、アフリカに残る決意をし、奴隷貿易に携わるようになったのです。
ギニア商船の乗客の中に、奴隷貿易で財を成した白人男性がいました。ジョンは彼の成功譚を聞くうちに、自分も同じような成功を収めることができるかもしれないと思うようになり、彼の下で働くという条件で商船の職を解いてもらいました。

しかし、この男性は妻の黒人女性のほとんど言いなりであり、しかも何故かこの黒人女性は、ジョンのことをひどく嫌っていました。
病気になったジョンに食事を与えず、あざけり、侮辱をしました。
夫の白人男性も、ジョンを連れて航海に出たとき、仲間の奴隷貿易商人から『ジョンは不誠実な人間で、商品を盗んでいる』というデマを吹き込まれ、ジョンに食べ物を与えず、自分が船を離れるときはジョンを甲板に拘束し、風雨にさらされるままにしておきました。
ジョンの衣服はシャツ1枚、ズボン1本、帽子がわりの木綿のハンカチ1枚、上着がわりの1.8mほどの長さの布1枚だけでした。1枚しかないシャツを岩の上で洗い、濡れたままのシャツを着て、寝ながら体温で乾かしていました。
体は痩せ細り、他の商船のボートが海岸に来ると、姿を見られるのが恥ずかしいので森の中に隠れる日々を送りました。
このような生活が1年ほど続く中、ジョンは父親に手紙を2、3度書き、救助を求めました。
ジョンの父親は自分の友人に相談し、友人は、ちょうどジョンがいるあたりの港に出航する準備をしていた配下の船長に、ジョンを故国に連れ戻すよう命令を下しました。

1747年2月、ジョンの仲間の使用人が浜辺で航行中の船を見つけ、貿易をしようと狼煙を上げました。
船は停泊し、この使用人はカヌーに乗って船に向かいました。
船の船長が使用人にした最初の質問は、ジョンに関することでした。
このときジョンは、海から離れた場所へ商品を探しに行こうとして、2日前には出発する予定でしたが、品揃えができず、出発を遅らせていたのです。
船長は、ジョンがすぐそばにいることを知ると、陸に上がり、ジョンに面会しました。
しかしジョンは、アフリカでの生活に慣れてしまっており、イギリスに戻ることにあまり気乗りはしなかったようです。そこで船長は、『最近亡くなったある人が、ジョンのために遺産を400ポンド残してくれた』という嘘をつきました。
ジョンはその話も信じられませんでしたが、実際に高齢の親戚の人から遺産を受け取れる立場にいたこと、イギリスに戻れば愛するメアリーに会えるかもしれないこと、遺産が手に入ればメアリーとの結婚の承諾を得る材料が増えるかもしれないことなどを考え、アフリカを離れる決意をしました。

神様はこのように、またも奇跡を起こされました。ジョンはこの経験を、以下のように述べています。

この種の出来事に偶然しか見ない人たちの盲目を、どれほど哀れんだらよいものでしょうか。当時の私もあまりにも盲目で愚かでしたから、何も考えず、起った事柄に何の意味も求めませんでした。
風のままに流され、揺れる海の波のごとく、私は眼前の出来事に支配され、それ以上を見ることができなかったのです。しかし、盲目の人たちの目となっていらっしゃる主は、私の知らない方法で私を導いてくださったのです。
私は今はある程度心が啓かれていますので、人事において神がその無比の力と叡智を最も明瞭に示されるのは、これらの一見偶然に思える出来事をうまく調整して同時に起るように配慮するところにあることを、容易に理解することができます。
(引用ここまで)

このように、神様はジョンを救いに導いてこられました。そして、アメージング・グレースの歌詞が誕生するきっかけになる出来事が起きるのですが、それは次回に回したいと思います。

参考文献:
「アメージング・グレース」物語(増補版)
   ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝
 ジョン・ニュートン著  中澤幸夫 編訳




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