大和と武蔵
第2次世界大戦中に製造された戦艦「大和」。
当時、世界最大の戦艦だったそうです。
ところで皆さんは、この大和に兄弟艦が存在していたことをご存知でしょうか。
大和と同じ設計図を用いて製造された兄弟艦は、名前を「武蔵」といいます。
大和の名前の由来は、奈良県あたりの昔の地名だろうと思っていましたが、武蔵の方は、剣豪・宮本武蔵が強かったから、それにあやかったのかと私は考えていました。
しかし、Wikipediaを見ると、「武蔵」も地名でした。
場所は関東で、現在の行政区分でいくと、埼玉県から東京都、そして神奈川県の一部を含む地域になるそうです。
それにしても、なぜ「武蔵」なのでしょうか。
「大和」の方は、飛鳥時代から奈良時代にかけて大和地方が日本の中心だったので、そこから名づけたのだろうという感じがします。
しかし、関東地方が日本の中心になったのは江戸時代からだと学校で習いました。
それなら、「武蔵」ではなく「江戸」と名づけた方が納得いきます。
しかし、さらに調べてみると、意外なことに、1200年ほど前までは武蔵国が「日本」の中心だったことがわかりました。
今回はそのことについて、以下の内容で書きたいと思います。
1 「日本」の中心、武蔵国
2 当時の栄華を物語る品々
3 現在も残る、戦艦武蔵の残影
1 「日本」の中心、武蔵国
上の見出しで、日本という文字にわざわざ「 」をつけていますが、実はこれには意味があります。
「Rapt理論+α」に、古代の関東地方には「関東日本王国」という国が存在していたという記事があったためです。
上記リンク先によると、西日本に倭国や大和王権が存在した時代、関東地方には日本王国が存在していたことが、中国の古書「旧唐書」に書かれていたそうです。
関東日本王国の勢力範囲は大和王権より広く、王は絶大な権力を誇っていたようです。
関東日本王国の権力を示す装飾品などを、以下に紹介していきます。
2 当時の栄華を物語る品々
関東日本王国には数多くの古墳が発見されています。
その数は非常に多く、大和王権の29,900基に対して38,000基もあります。
さらに、60mを超える巨大な前方後円墳の数では、関東日本王国が圧倒的に多いです。
古墳からの出土品には黄金の靴や黄金の冠、黄金のベルトに黄金の耳飾りがあり、これらは王の装飾品だったと考えられています。
また、関東日本王国の北部に位置する稲荷山古墳からは、王の名前が刻まれた鉄剣と勾玉、そして鏡が出土しており、いずれも国宝に認定されています。
鉄剣と勾玉と鏡、いわゆる「三種の神器」が関東日本王国に揃っているのです。
このように強大な勢力を誇った関東日本王国の中心地が、いわゆる「武蔵国」と言われる範囲でした。
つまり、戦艦大和の二番艦の名前が武蔵なのは、ごく当然のことだったのです。
天皇が毎年元旦に行う神事「四方拝」でも、武蔵国にある一宮「氷川神社」を拝んでいます。
これほど重要な関東日本王国および武蔵国ですが、学校の歴史の授業では、古代日本の関東にそのような巨大な勢力をもった国があったことは、全く学びません。
私たちに与えられている情報は、国により操作されているのです。
学校で学ぶ内容で、関東日本王国に関連しそうなものといえば、坂上田村麻呂らによる征夷や、「平将門の乱」ぐらいでしょうか。
しかし、関東地方に巨大な勢力をもった国があったことが、鎌倉幕府や江戸幕府成立のバックボーンになったであろうことは、容易に想像がつきます。
特に、「徳川家康」は江戸の町を構築する際、平将門の霊力を利用していたことが、RAPT理論で明らかになっています。
RAPTブログ:徳川家康と天皇家との霊力の戦い。北斗七星の結界とそれを打ち破る太極図について。
https://rapt-neo.com/?p=19713
上記リンク先によると、平将門の首塚や、平将門にまつわる神社が、江戸城北部に「北斗七星」を形成するように配置されているそうです。
なぜ北斗七星なのかというと、中国では、道教思想に基づき、北斗七星を北極星を守る「剣」としており、柄杓の柄の部分を剣に見立て、「七星剣」と呼ばれていました。
あの聖徳太子も、七星剣を帯刀していたと言われています。その剣は現在、大阪の四天王寺が所蔵しているそうです。
また、北斗七星の柄の先端にある星は、道教では「破軍」と呼ばれていました。
柄を剣に見立てたとき、剣先にあたる星です。この方向に向かって戦う者は勝ち、逆らって戦う者は負けるという言い伝えがあります。
図8を見ると、北斗七星の柄杓の柄に当たる部分が西の方角を指しています。
西の方角、つまり天皇が住む関西方面に剣先が向いているのです。
徳川家康は、関東日本王国の力を最大限利用しようとしたのかもしれません。
3 現在も残る、戦艦武蔵の残影
戦艦武蔵に話を戻しますが、武蔵の艦内には「武蔵神社」があったそうです。
御神体は、前述の氷川神社から分霊したそうですが、ここでも関東日本王国の霊力にすがろうとしていたと考えられます。
ただ、日本の神社で祀られている神々は、全てサタンであるということがRAPT理論で明らかになっていますので、その霊験は全くアテにならなかったと思います。
RAPTブログ:神社仏閣に潜む悪魔たち。またはアガルタから悪魔のメッセージを伝える人たち。
https://rapt-neo.com/?p=24282
実際、武蔵は1944年10月のレイテ沖海戦で沈没しており、船体は今でもフィリピンにあるシブヤン海の水深1,000m地点に沈んでいるそうです。
しかし、意外なところに武蔵の残影がありました。
武蔵は、長崎市にある三菱重工業長崎造船所で建造されましたが、建造に使用したドックは、今でも現役で稼働しているようです。
悪魔崇拝者たちは戦争を起こし、当事国双方に武器や兵器を高く売りつけ、それによって私腹を肥やしつつ、人々を不幸に陥れてきました。
過去に起こされた大規模な戦争の計画については、アルバート・パイクの予言という形でイルミナティが公表していたことが、RAPT理論で明らかになっています。
RAPTブログ:アルバート・パイクが予言した第三次世界大戦について。
https://rapt-neo.com/?p=23190
アルバート・パイクが1871年に、イタリア建国の父であるジュゼッペ・マッチーニに送った書簡には「世界を統一するために今後3回の世界大戦が必要だ」と書かれてあったそうです。
見ての通り、第一次世界大戦と第二次世界大戦は、ほぼ予言(計画)通りに実施されました。
そして、第三次世界大戦は、イスラム国の騒動をきっかけに起こそうとしていたことがよくわかります。
そして最終的には、人々を救いに導くキリスト教を破壊し、悪魔であるルシファーが支配する世の中を作ろうとしていたようです。
しかし、その計画はうまくいきませんでした。
RAPTさんが登場したことにより、サタンによる支配のカラクリがことごとく暴かれ、人々がおかしいと気づいたからです。
特にイスラム国については、あまりにもレベルの低い茶番劇が繰り広げられたのは記憶に新しいところです。
現在、ロシアとウクライナが戦争をしていますが、上に書いてある通り、ロシアは「イルミナティの目的を世界に促進させるためのお化け役」として動いているだけです。
また、パレスチナで起こっている戦争は、アルバート・パイクの予言には一言も書かれていませんでした。これも、イルミナティの計画が全くうまくいっていないことの証拠です。
このように、悪を行う者たちは次々と裁かれ、滅びの道を辿っているのです。
私たちは、彼らの滅びに巻き込まれないよう、サタンの支配する主管圏から神様の統治する主管圏に移らなければなりません。
このブログを読んでくださっている皆さんが神様を信じて救われることを、心から祈っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
画像引用元:
見出し画像:https://ja.wikipedia.org/wiki/武蔵_(戦艦)
図1〜図7:https://youtu.be/npaNBkp4-8A?feature=sharedより、画像をキャプチャ
図8・図9:https://rapt-neo.com/?p=19713
図10・図11:https://www.google.com/maps
図12・図13:https://rapt-neo.com/?p=23190
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