命への懺悔

こう書いてしまうと大げさかもしれないが、今、人間より小さな命に懺悔をしたい気持ちでいっぱいだ。

悩んだあげく、決断した愛猫の避妊手術をした。

手術終わって、麻酔からさめるまでのグッタリとしたコニャンコを見ながら傲慢な人間の立場に辟易した話・・・。


先々週のとある日・・・・夕方、自宅に戻ってみると、大家さんちの大型犬が麻酔をかけられて台の上に寝かされていた。なんでも、避妊手術を受けさせるという。

大家さん曰く、先日、目の前で 近所の野良バリ犬と ランデブーの最中を目撃してしまったとのこと。『あんな犬との子供が生まれたら、目も当てられんわ!』とご立腹の様子。

ちなみに、大家さんちの犬は、金色の毛並みも美しいゴールデンレトリバーである。彼女が、ノラの彼のどこにほだされたのか?それとも相思相愛だったのかは、全く持って不明だ。

しかし『情事の翌日に手術をされてしまうというのは、人間に当てはめるとずいぶんな乱暴な話!』・・・・とこのとき間では、まだよそ事であった私は、思ったのだ。

ちなみに、このとき手術を受けたゴールデンレトリバーのNちゃんは、麻酔が効きすぎて、手術後4時間を過ぎても、動けなかった。

麻酔が効きすぎてダラリとたらした舌を引っ込めることもできずに、寝ているNちゃんの目に、一粒の涙を見たときは、人間として申し訳なさ過ぎて涙が出た。つい、2週間ほど前のことである。


閑話休題。我が家の猫の話である。

さかのぼること、4ヶ月、今年の一月に思いがけず、お姫様 コニャンコ Shantyがやってきて、平穏で満ち足りた日々が続いていた。

飼っているほうの人間がネコなで声になり、『にゃー・にゃー』言葉が生活に侵入してきた。思春期の入り口で 何かとプンスカしていた息子も、ネコを前にでれでれレモード全開!? 柔らかい ふにゃりとした その体をなでる瞬間は、頭のスイッチを『ぱっちん』とばかりに切って、その瞬間に没頭できるしあわせ・・・・。

壁にいたチッチャ(バリの言葉で ヤモリ=家守り)をしとめようとネコが思い切りジャンプして、壁掛け時計が粉々に割れてしまったことも・・・

見事に食いちぎられた トイレットペーパーが 床に散乱していたことも良しとしよう。

こんな ネコへの親ばかぶりは、自分でも笑えるほど。散々、都合のいいときになでては、さわり・・・

しかし、ここ数日、庭に知らない近所のネコが出没しはじめ、真夜中には 盛りがついた猫が ニャーゴ♪♪ ゴロ・スゴ・ニャーゴ♪♪と激しかった。

その声を聞いた大家さんちの犬たちがほえまくり、近所の犬もほえ・・・外では、真夜中に大変な騒ぎ。

肝心の家の娘っ子ニャンコは、犬の声におびえて、私のベットの横にもぐって寝ていた。

実は、ここ数ヶ月、お年頃になったらどうするの!?と考えては、先延ばしをしてきた。

大家さんちの犬の手術を、興味半分から見ていた息子にも聞いてみた。

『手術みていて、どうだった!?』

『最初は、案外へいきだったけど、途中からだんだん気持ち悪くなってきて、吐きそうな気分になった』

『それで、我が家の猫はどうしたらいいと思う?』

『ボクは、家の猫も早く手術をした方がいいと思う。だって、赤ちゃんが生まれても、育てられないんでしょ。』

『えー!?あの手術見ていて、そんなに冷静に思うんだー』

(ちょっと、こちらのほうがびっくり。息子が犬の手術を見ててもいいかと聞いたときに、私は、将来の性教育という意味でも見て来い! と思った。しかし、女親の思いとは裏腹に、あくまで 自分のこととは切り離して、あっさりと戻ってきた息子。犬・猫・ニンゲン、どこまでも、男子は男子なのか・・・!?)

急遽、手術を決断せざるをえなかったのは、昼まから我が物顔で 庭を闊歩するオス猫が現れたこと。そして、家族の祝い事で近く家を空けざるをえない事情ができたことの理由による。

とりあえず手術の予約だけでもと獣医さんに電話をすると『今日の午後に来ます』との返事。迷う暇なく、いざ手術。

花のつぼみ開き始める乙女だった、我が家のお姫子ニャンコは、きょう、一挙に更年期の私の体を追い越してしまった。

私が、こんなにも 子猫が失った子宮に罪を感じ、言い知れぬ懺悔の気持ちを感じるのは何故だろう?

もしかしたら、一匹のメスとして、もっとこの世に命を産み出したかったという後悔の念なのだろうか。そんな一匹のメスが、別の種のメスの生む力を摘み取ってしまった罪悪感なのだろうか。

覚めやらぬ麻酔から、嘔吐してぐったりした愛猫を 眺めながら 懺悔の夜が更けてゆく。








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