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Shanty が来た! ~静けさを思い出し、受け取るとき~

久しぶりに、ネコと暮らしている。

呼ぶたびに心地よく、穏やかな意味を確認できる名前が良いと”Shanty(サンスクリット語で平穏)”と名づけた。 

40年ぶりぐらいの「久しぶりさ」である。若い頃、どうやらこのくしゃみと鼻水は、「ネコアレルギー」なるものだと判明してからは、ネコは遠ざけて暮らしてきた。               

名前は、Shantyと壮大だが、子猫。

今朝起きるや、コニョ・コニョ、もごん・もごん、私の脇の下で何やら動く。何をやっているのかと薄めをあけて気づかれないように見てみると、自分の尻尾を捕まえようと、Shantyが体を丸めて一人で何回転もしている。

人間が目を覚ましていると分かると、挨拶をしにくるので、まだ私が眠っていると思って一人遊んでいるらしい。

「無心に遊ぶ」とはこのこと。実に愉しそう! 

スカートをはけば、その中にもぐりこんで、私の体をメリーゴーランドの中心よろしく、駆け回っている。

紐一本見つければ、宙にゆれる紐を見つめて、全力でジャンプ!

ただ、つかみたいのである。

撫でられれば、喉のみならず前進をグルグルゴロゴロと震わせている。

体全体が『嬉し~い』の塊になったように。

全身で『ただ遊ぶ』『ただ嬉しい』の真っ只中にいる子猫のそばにいると、私たちもこの地球にやってきたときは、こんな喜びの塊だったに違いないと思わされる。

抱えきれない喜びやワクワクを体験しに、この星にやってきたのに・・・、なのに、なんとほど遠い心もちの中に、今、居るものかと・・・。


実は、以前「ネコアレルギー」について、あるところでこんな記事を読んだ。

”猫に対してアレルギーがあるということはまず第一に、あなたは親密な愛があなたの人生に入ってくるのを許せないでいることを示しています。愛があなたの人生に入れないのです。子猫はある程度の忠誠と愛をあなたに捧げてくれます。だれかと親密な関係になってくると、あなたはその深いつながりを受け入れることができないかもしれません。”

http://bach-iruka.com/%E3%83%9A%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8/27908/

スピリチュアル系の話は大好きだけど・・・いくらなんでもね・・・と長年放っておいたことなのだが、今になってみると「まさしく!」と思い当たる。

ほぼ一ヶ月前の、ある晩のこと。

成り行き上、子猫を拾ったばかりの女の子から、Shantyと名づけられるこの子猫を両手で預かったその瞬間、何かを『受け取った』のだと分かった。

目に見えない存在からの贈り物を手渡され、自分の両の手で『受け取った』のだと。神の恩寵を受け取る瞬間のように、・・・。

その時、子猫は、まだ捨て猫で、雨に濡れ、ノミがいて・・・・この世の惨めさを味わっていた。その子猫が『ミャー』とか細く泣いて、小さく丸めた体から体温が伝わってきたとき、何かが、確かに伝わってきた。

私が受け取るべき何かを、この小さなからだを通してこの存在は伝えているのだと。

久しぶりにネコの居る生活が始まってほぼ一ヶ月。

子猫がShantyと名づけられ、息子と子猫を取り合うように抱くようになり、あのときに受け取ったものがより確かに感じられるようになった。

しばらくの間『人間』であるという稼業をやっているうちに、身についてついてしまったさまざまな鎧。

言い訳・・・。                      

目の前にあるものを、楽しむことに対する疑い。

のんきであることに対する恐れ。

目の前でただ甘え、じゃれ付き、そして眠る子猫と暮らす時間は、こんな人間稼業の垢を落とすのにもってこいだ。


私たち人間が、この世に降り立つ瞬間まで、持っていた抱えきれないほどの喜びの感覚。

満たされて、在るがままであるということ。

そしてワクワクとこの世の中を体験する期待と愉しみに満ちて、この星にやってきたということ。

この感覚を、自分が今思い出す その途中にいて、それを手助けするためにこのネコはやってきたのだ。

文字通り、自分の中にある 平穏さ、Shanty を思い出すために! 


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