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「答える」と「応える」

このふたつには絶望的な差があるけど忘れがちだと感じているのでメモ。

正解のある問いに対し、正確な解を出す。これが「答える」。それに対し、正解のないものに最適な答えを出す。それが「応える」だと仮に定義しよう。

例えば、前者は学校のテスト。逆に後者はそれ以外とも言える。ふたつの違いは、その答えを導き出すための要素に「相手」があるかどうか。

僕の人生の約半分を占める学校生活で求められていたのは「答える」だった。一方、仕事の場面で大事なのは「応える」だろう。仕事には必ずお金を支払う側がいる。その人たちの求めていることを、きちんと汲みとり結果を出そうとするのが「応える」ということ。

応える=他者の思いを汲み取る+答える
とも言える(?)。

学校のテストが得意でも、働き始めるとうまくいかない理由は、「答える」の意識で働いてしまっているからかもしれない。僕はけっこう苦労したし、今も「応える」の修行中。

かなしいことに、自分は人間だ。社会性を武器に発展してきたDNAの乗り物。他者との接触抜きにして生きるのは難しい。 だからこの世界で、他者の考えも汲みつつ解を出し続ける「応える」姿勢のほうがうまくいく。

ただ注意なのは「答える」が必ずしも悪いわけじゃない。アーティストと呼ばれる人たちの多くは、誰かに必ずしも「応え」ているわけじゃない。また、アーティストではなくても「応える」前に自分なりの「答え」を持つべきだとも思う。

結局だいじなのは、自分と他者の塩梅ということなんだろう。むずかしいなぁ。

話は変わるけど、AIがコンピュータの域を越えるラインは「応えられるかどうか」だと思う。

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