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昇華

去年の夏、病にかかった。気の病だった。

原因は自分のせいでもあり、誰かのせいでもある。よくある話なのかもしれないが、いざ自分に降りかかってきた時、それを受け止めきれるほどの心の容量を僕は持ち合わせていなかった。

症状は睡眠障害と摂食障害。
2カ月もの間、眠ることも、食べることもできない日々が続いた。睡眠導入剤を飲んでも効果がなく、体を疲れさせようと深夜2時から1時間半、近所を散歩した。やっとのことで寝ても1時間くらいで目が覚める。食事も喉を通らず、吐き気を我慢してポカリを飲むのがやっとだった。
今でもゾッとするのは荻窪駅での出来事。ちょうど乗り換えの電車を待っていた時、人身事故のアナウンスが構内に鳴り響いた。2駅隣で、今この瞬間、誰かが命を落とした。その時、心の中で呟いたのは「かわいそうだなぁ」ではなく、「またかぁ」でも「帰り遅くなるなぁ」でもなく、「その道を選ぶ気持ち、わかるなぁ」だった。今思えば、とても危険な感情に共感していたのだった。

死神が最もそばにいた2カ月だったと思う。
これまでに1度だけ、生死の間をさまよう病気にかかったことはあった。けれど、心の傷は、身体の傷よりも深いところまで届くことを知った。

苦しみを昇華する。
このことについて、あれほど学んだことはない。大事なものはすべて、当時の友人たちが教えてくれた。

ある人は何時間も話を聞いてくれた。ある人は一緒にご飯を食べてくれた。ある人は叱ってくれた。ある人は下世話な話で笑かしてくれた。ある人はこまめに気にかけてくれた。そんなこんなで、僕はいま日常に戻れている。

結局、人に大切なものはとてもシンプル。そんなかんたんなことの可能性に、もっと深く深く視線を向けるべきだ、特に僕は。

僕は、みんなが困ってる時や大変な時には何もしてあげられなかった。むしろ困らせてばかり。なのにどうして。どうしてあんなに助けてくれたんだろう。やめなさいよこんちくしょう。

感謝しても、後悔しても、しきれない。
自分は、誰かのそんな存在になれているだろうか。

んー。


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