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僕のしょうもない自意識

はじめに

初めての記事なら、やっぱり自己紹介から入りなさいよ‼️

という気持ちと大幅に矛盾しておりますが、
何はともあれ、書いていこう‼️
(おいおい…やけに強引だな…)

というのも…。

僕は、4月半ばごろからnoteを投稿しようと思っていました。

ゴールデンウィークには、「記事を2つ書く」という目標も立てました。

しかし今日まで、5つくらいのテーマで下書きを書いていましたが、完成した記事はゼロ。
今日まで自分に対して何度「いい加減にしろよ」と言ったことか…。

そんな日々を送っていた中で今日、衝動的に記事を書くきっかけがありました。(記事というより、作文ですが…)
それは、偶然Twitter上でお知り合いにならせていただいた方からのリプライでした。

そのリプライに僕は、
浅薄な考えで返信をしたくなかったこと
そして、
内省したいと思うキーワードが入っていたこと

その2つの理由から、この作文を認めました。

ご一読いただけますと幸いです。


僕の自意識



自意識…

なんとなくその言葉の意味は理解しているつもりですが、内省の方向性がずれないように調べてみました。

じいしき
【自意識】
自分自身についての意識。自我の意識。

なるほど。僕は、自分自身に対して何を意識しているのだろうか?

すぐには思いつかない…
多分、普段僕が意識していることの多くは、他者や他物が絡んでいることなのだろう。
ということは、今の僕はきっと自分と本気で向き合えていない。

それでも、自分が意識していることなら、自意識と言えるのか?

それはさておき、今回は僕が僕に対して意識していることについて、考えます。

少し考えて思いつくことを、箇条書きにします。

•生活習慣を整える。
•ゆとりを持つ。
•自分の世界を広げていく。
•毎日筋トレをする。

んん、なんだかこれ、だらだら続きそうなのでやめます。
それに、常に意識できてることでもないし、良いことばかりだし…
テーマとずれてしまうので…

そういえば!
ちょっと自分のツイートを見返してきます。

うん。やっぱり。
僕は自意識に関する気づきを、つぶやいていました。

そのツイートをいくつか紹介いたします。
少しでも僕のことに興味を持っていただけたら幸いです。また、フォローしていただけたら、とても嬉しいです。

※おことわり
僕は自分がその人のこれからのツイートが気になる、という方のみフォローさせて頂いているので、その点ご理解いただけると幸いです。


やっぱり、良いことばかりだなぁ。
僕自身のしょうもない自意識ってなんだろうか?

もしかすると、これらのツイートに対して「良い」と思っていること自体が案外しょうもない自意識だったりするのかもしれません。

もしそうだとしたら悦に浸っているぶん、一番厄介な自意識になりかねない。

なぜなら自身の価値観や先入観で、美化してしまっているがために、そこに気がつくことが難しいから。

それを自らの手で打ち壊すのはなかなか難しい。


これは余談ですが、少年院に在院してまもない頃、僕は自分の自意識をほぼ全てぶち壊しました。
それでも意識的に矯正教育に取り組めたのは、法務教官の先生方から毎日日記にコメントをいただいたり、日課の中で話をしたり、毎週のようにじっくりと面接をしていただき、新たな自意識を構築する機会がたくさんあったからです。

少年院で過ごした時間は僕にとって、全てが自己投資であり、自分自身と向き合えた、これまでの人生の中でとっても大切な時間になりました。


話を戻します。

ここまで書いてきた中で、しょうもない自意識に気づくためには、やはり外からの刺激を得ることが、とっても重要だな。

という結論に至りました。


……。


いやいやいやいや!
まだ1番肝心な本題に触れてもないのに、結論だなんて、「アホか?」って感じですよね笑

僕のしょうもない自意識

考え始めて約1時間半が経ちましたが、2つ自分のしょうもない自意識に気がつきました。(これもまた、僕が思うというだけであって、本当にしょうもないのかどうかなんて、わかりません。きっと正解もない。)

1つ目。
「頑張れてはいないけど、頑張ろうとはできている」

これのどこがしょうもないのかと言うと、明らかに、「頑張っていない自分」を肯定していますよね。

頑張らないことを肯定して、心のどこかでやらない理由にしている。

自分の首を絞めている、まさに「しょうもない自意識」だと思います。

この自意識をぶち壊すためにこれから、新たな自意識を意図的に洗脳させていきます。

それは…
「思ったことや考えたことに自己評価をしない」
そしてその後には必ず、
「それ、やってみたの?やらないの?やるよね?」
と、問いかけます。
さらに、
「やるかやらないかだよ」
と、言い聞かせます。

ちょっと、印象に残っている少年院での日記のことを書かせて下さい。

僕は、
「今の僕には自信も勇気もない。覚悟もない。だから何もできないんです。」
というような事を書きました。

それに対して、先生からのコメントは…
「イチローが野球を始めた時、本田圭佑がサッカーを始めた時、彼らは自信や勇気があったから、野球やサッカーを始めたのか?
彼らは、やりたかったから始めたんだ…
大切なのは自信や勇気ではなく、やるかやらないかだよ」

このやりとりを胸に、先ほど書いたことを自分自身に問いかけます。

次に2つ目。

「僕は、無知で無能で無力なんだ。だから、僕がサボってた間に学校に行って、今まで真っ当に生活してきた人たちの輪に入るのは迷惑になるからやめておこう」

……。
言語化…。下手くそすぎる…。

これは、自分が傷つきたくないことの裏返しで、そんな自分を守ろうとして生まれた自意識だと思います。

確かに、場違いかもしれない。それに、同世代の人と話をするにしても、僕が無知であるが故に、相手に知的メリットは何もない。
その結果、迷惑をかけるまではいかないにしても、
「コイツと話しても面白くないや」
「あいつのせいで時間を無駄にしたな」
こんなふうに相手から思われることを、僕は極度に恐れている。

僕はかなり、ネガティブな思考に陥りがち。
この自意識はそれに加えて、
少年院でソクラテスの無知の知という言葉を知り、自分がまさにそうであるとよく自覚したところから生まれた、強烈な劣等感からできている気がする。

だけど、とある日の日記で僕はこう書きました。
「確かに僕は無知であり、無力で無能である。だけどそれを自覚した上で、僕は無知、無力、無能にはなりたくない。」

つまり、「もがいてやる」と頑固な意思を日記で先生に訴えました。

僕は今でも、日記に記したその時のままの気持ちを持っています。

しかしながら、負けん気だけでは、この自意識を打ち破るのは難しい、とも思っています。

では、どうする?

人に率直に教えを求めることが1番だ。
そう簡単に考えることはできるけど、今の僕はそれすらも恐れている。

だからといって、どうしても人に聞けない時、やるべきことは、「傷つくことを恐れて歩みを止めること」ではない。
その恐れは、無知であるが為にきているのだから、「勉強」をするべきなんだ。

今すぐにこのしょうもない自意識を捨てようと、人と関わり、無知な自分をぶつけられなくてもいい。

だけどその代わりに勉強をすること。足を止めずに、少しずつでも恐れを解消していくこと。
その方法を試行錯誤していくこと。
また、失敗を恐れて傷つきたくない自分を守りに入るくらいなら、
「完璧や成功なんて求めなくてもいい」
くらいの気持ちで挑戦していくこと。そうすれば、いつしか自分の現在地が明確に見えてくる。そこには、過小評価も過大評価もない。ネガティブもポジティブもない。
現実だけが残る。
妄想なんかより、リアルの方が、ずっとずっと楽しいはずなんだ。
現実は苦しいこともあるけれど、私は、そう信じ抜きます。
それが、僕の今やるべきことだ。

まとめ

「頑張れてはいないけど、頑張ろうとはできている」

→今すぐ捨てます。
時々、無意識に拾ってしまう可能性がありますが、その度にすぐ捨てます。

「僕は、無知で無能で無力なんだ。だから、僕がサボってた間に学校に行って、今まで健全に生きてきた人たちの輪に入るのは迷惑になるからやめておこう」

→歩みを止めずに戦い続けます。

宣言

僕は、5月26日に今年の宅地建物取引士資格試験に挑戦する決意をしました。

しかし、その日から今日まで勉強した時間はたったの3時間…。

3時間しか勉強する時間が無かったのではなく、僕が3時間しかやらなかった。それが事実です。

必ず試験は受験します。準備ができていようがなかろうが。自分自身の現在地を知るために。

この挑戦は、ネガティブで自分のことを卑下する僕。
そんな自分を僕が救う挑戦でもあります。

2つ目のしょうもない自意識を捨てるために、自分のために精一杯やります。

落ちたら、どうか盛大に笑ってやってください。よろしくお願いいたします。


おわりに

最後までお読みいただき本当にありがとうございます😭

もしよろしかったら、
Twitterでご感想やご意見をつぶやいていただけたら幸いです。
どのようなご感想、ご意見でも構いません。
真摯に受け止め、次の記事に活かして参ります。

改めて、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
心より感謝申し上げます。

未来



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