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僕が生きる道 リゾートバイト              

みなさんこんにちは!
未来です。

今回はざっくりいうと、僕の今現在の人生観をまとめたものです。
少年院での矯正教育を経て、社会復帰してから約9ヶ月。
そんな人間がどう生活してきたのか。
今、何を思って生きてるのか?

赤裸々に、人間臭い文章を綴りました。

もしかすると…

少年院出身者の人生観なんて…
つまんない生き方してんだろう…

なんて、思われる方もいらっしゃるかもしれません。

だからはじめにお伝えしておきます。

人生に対する考え。
それから、自分と向き合うこと。

そんな部分では、大学に通っていたり、就職している若者たちと比べても、僕は絶対に負けていない。

だから是非、最後までご一読いただきたいと切に願います。

みなさんも、この記事を通してご自身の人生を振り返ってみてください。

きっと何か、発見があると思います。
少なくとも、
「少年院に入った奴がその後、こんなふうに生きてるのか」
という発見があることを僕はお約束いたします。

それでは、本文へ移ります。

(※5000字弱の文章です。)

突然の退職…なぜ…?

働かない日々を半月以上過ごした。
僕は、自分でお金を稼がなければ、生きていけない。
貯金もない。だが、そんなに焦りはなかった。
日が浅いうちに、次の選択ができたから。

少なくとも、来年の4月までは続ける。

社長にもそう話していた。
それは紛れもなく、僕自身が決めたこと。

しかし、僕が退職したのは、その直後。
多分、1週間も経ってない。

突然、不安になったんだ。
いや、元々あった不安に耐えきれなくなった、と言うほうが適切かもしれない。

来年の4月まで続けていけば、
仕事を覚えて、給料も上がって、時には1人で現場に行って仕事をする。

浅はかな考えではあったが、そんな想像ができた。
そこに、今以上のやりがいがあったことも。

だけど、そんな未来が恐ろしくて、怖く感じた。

なぜなのか?

僕は対人関係が非常に下手だ。
自分自身のことを受け入れたり認めたりすることが苦手で、そこに他者が関わると、自分を殻の中に閉じ込めてしまう。

腕の良し悪しはともかく、
そんな今の自分でも、職人ならやっていけたと思う。
というより、上司や先輩を見ていて、やっていけると感じた。

だけど僕は、人と本気で向き合えない自分が大っ嫌いなんだ。
そんな自分で居続けることを想像したら、嫌で嫌でたまらなくなった。

このままそこで、これから先の時間を費やす覚悟もできなかった。

だから、辞めた。
一方的だったけれど、社長は許してくれた。

社長は、僕が自分の人生に責任を持って生きることを許してくれたのだと思う。
だから僕は、自分の人生と自分の選択に、覚悟と責任を持って生きようと、心に決めている。

これまでの人生は誰かのせい?
自責で生きる人生

今までは、誰かに自分の人生を選択されているような感覚で生きてきた。
誰かの影響で自分の人生を選んでいた。
そして、うっすらと誰かのせいにして生きてきた。

だけど、最近気づいたんだ。

影響は、他者から押し付けられるモノではない。
そして、自分から受け取りにいくことだってできる。
嫌なものは拒み、受けたいモノだけを受け取ればいい。

そんなことに気がついた。

「誰から」「どんな影響を」「受けるのか」
それは、自分自身で選択できるんだ。

まぁ…

確かに、子は親を選ぶことはできない。
周りの環境もまた、親が決めてしまうことが多い。

自分ではどうにもできないことだってある…

僕もそうだったし。
そういったところで僕は、世間一般的に言えば、恵まれていなかったのかもしれない。

だけど…

今振り返るとそんな当時でさえ、僕は、「誰から」「どんな影響を」「受けるのか」ということを、自分で選んでいたのだと思う。

僕は、勉強ができない訳ではなかった。
中学受験、失敗したけど。
中学1年の成績は、5段階評価で、もう少し頑張ればオール4。

自発的に勉強する子でもなかったし、提出物も抜けが多かったけれど、定期試験の点数で稼いでた。三者面談では、いい高校に行けると言われて喜んでた。1年生の後期はクラスのリーダーもやってみた。

7年後には、大学で野球をやっていることを想像してた。

だけどそうならなかった。

大学じゃなくて少年院。

野球じゃなくて自己改善。

それが7年後の、僕の現実の姿だった。

その原因の最も大きなところは、僕自身にある。

僕は、「不良から」「悪影響を」「受ける」
ことを自分自身で選んだんだ。

当時、自分が選ぶことのできなかった環境を嘆き、そんな環境から逃れようとした。

そこで判断を間違えた。
僕は不良交友を見て、自力で自分たちが生きる環境を生み出しているように見えた。
そんな彼らに憧れた。

そうした過程で僕は、「不良交友から」「悪影響を」「受ける」ことを自分自身で選んだんだ。

今になって、その自責に気がついた。

僕は決して恵まれてる環境では育っていないかもしれない。
だけど今は、その環境も全て自分で選ぶことができる。
だから僕は理想の自分と戦うために、環境を利用してやる。

そしてこれからは、ワガママに自分が受けたい影響だけを受ける。
自分のことは全て、他責ではなく自責だと、自分で納得して生きる。
そんな自己選択できる今に、僕はワクワクしている。
だけど、僕は欲深いから、今よりもっと選択肢が欲しい。
だからこそ選ばれる人間を目指す。


開き直っちゃった僕。

会社を辞めて、次にどんな仕事をするのか?
僕の考えは、空っぽだった。

それでも仕事をしなければ、ご飯は食べれない。

どうしたらいいんだ…

当たり前だが、
誰も教えてくれない。

ただ、保護司さんに、僕が思うままに現状を話せて良かった。
保護司さんは黙って聞いてくれた。

最後には、こう教えてくれた。
「人生は誰も助けてくれない、自分との戦いだ」と。

退職したばかりの僕の精神状態は不安定で、
1人部屋の中、朝まで酒を飲んだ日もあった。

もう仕事をしたくない、とも思った。
その一方で、とにかく再犯はしない。それだけを考えた。

1日2日と時が過ぎていく中で、収入がなければ生きていけない、という現実から逃れることはできなかった。

どんな仕事をするのか。
アルバイトをするのか。
就職をするのか。

考えれば考えるほど
ここに住み続けながら、アルバイトなり就職して働くことが嫌になった。

(僕は社会復帰して9ヶ月近く、ずっとNPO法人が経営する無料低額宿泊施設にお世話になっていた。)

収容施設を出てから、もう少しで9ヶ月。
自分が見てる世界の狭さや、自分ができることの少なさを実感、そして痛感するのに、この9ヶ月という時間は、十分な時間だった。

その間、就職したこともあったし、アルバイトを掛け持ちしたこともあった。

就職して分かったことは、自分のヘッポコさ。

アルバイトを掛け持ちして気づいたのは、今の自分の世界で生きようと、お金に執着して、何も見えなくなってた、そんな自分。

そんなことを振り返り、
ヘッポコなままでは嫌だ。
自分の世界を広げたい。
そんな気持ちになった。


退職して数日経ち、いい意味で開き直れた。

「早く立派にならなければ」
そんな気持ちで選んだ就職。

「とにかくお金を稼いで、カッコよくなろう」
そんな想いで無理したバイトの掛け持ち。

そんな気持ちや想いが、吹き飛んだ。

ゆっくりと。確実に。

挽回しなければ。

ではなく、

先ずは挽回できる実力をつける。

そのためになら、僕は心の底から今、この時間を使いたいと思えた。

じゃ、具体的に
フリーターだからできること。
今だからできることって、なんだろうか?

その結論が、自分の将来に生きることを前提として。

……。

そして見つけた、僕が生きる道とは?


リゾートバイト

令和3年6月22日。
僕は旅に出た。
そして、23日からリゾート地でのアルバイトが始まった。

大した決断ではないかもしれない。
だけど、これまでの僕の中では大きな決断。
きっと、未来の自分にとっても。

なによりも、

「100%自分で決めた」

という所に、価値があると思ってる。

自分の人生を全うするためには、
「これから進む道を自分で決めたんだ」
という自覚は、絶対的な必要条件。


僕…

ずっと考えてました。

自分は何になりたいんだろう?って。
だけど、ずっと分からなかった。

今も。

探しモノが見つからない時は、

「諦める」か、「まだ探してない所を探す」

辞めるか、続けるか。

どう考えたって、この2択しかない。

僕は後者を選び、自分の足を使って探しに行くことにした。

まだ見たことない景色をみて。
まだやったことのないことを経験して。
まだ会ったことのない人たちと出会って。

まだ手を付けてないどころか、見たことすらない探し場所がたくさん残ってる。
むしろ、そんな場所しかない。

周りを見れば、見つかることばかり。
そんな環境で、今を生きたい。

極論、環境は人を支配するけれど、
僕は今、その環境を自分で選ぶことができる。

残念ながら僕は、地元で発見をし続けられるような人間では無かった。
そんな人間では無かったけれど…
他の手段が見つかるまで探し続ける。
手段がある限り、試さずにはいられない。
そんな、諦めの悪い人間ではあった。

その想いのままに僕は、自分の生きる道を描くんだ。

まずは、やりたいことを探しまわる。

その裏側にあるもの

何かを探しに旅に出た僕。

その裏腹には、
何かに向かって旅に出た自分がいる。

目的が全く違っている。
だけど、僕は両方を追いかけながら旅をする。リゾートバイトで。


矛盾。二律背反。

世の中にはそんなことが山ほどある。
すぐ他者に対して
「お前矛盾してんじゃねーか」っていう人がいるけれど、僕はそういうもんだと思ってるし、それで良いとも思ってる。

だけど、表面だけを見て矛盾してると決めつけるのは好きじゃない。

よく考えてみると、状況が違かったり、そもそも視点や論点が別のものだったり。
実は矛盾ではないことも、たくさんあるのだろう。

特に自分のことに関しては、そういったところをしっかり分析して、自己理解を得る。
そんなことを僕は大切にしたい。

「やりたいことを探しに行く僕」

「理想の自分に向かっていく僕」


どっちも僕の真実だ。
決して矛盾ではない。

自分のやりたいことはなんなのか。
どんな人になりたいのか。

そんな、視点の違いがある。

「自分が得意なことは好きだけど、自分ができないことは嫌い。」

そんな考えで、少年院に行くまでは生きてきた。

その延長線上にいる今、できることがない以上、やりたいことがなくて当然。何をやりたいのか、分かってなくて当たり前なんだと思う。

少年院での生活を通して、この価値観にも変化があった。
できる、できないに関わらず、まずはやってみたい。
それから、嫌いなことやつまらないことは、自分にそれを楽しむ能力がないことも自覚している。

今は嫌いだったり、つまらなかったりすることを、近い将来に楽しめる人になりたい。

できない=嫌い=やらない。
それは、自分自身が無能だと、自ら証明していることと同じ。

こうして自分自身を省みていく中で、心の奥底にあった、目標とする自分がかなり明確に見えてきた。

目標とする将来の自分とは?

僕は、自分で生み出した形を、他者から買ってもらえるような人間になりたい。

作家のようなイメージだ。

どんな形で何を生み出すのか?
それは力のない今の自分には見当もつかないけれど…

自分自身を価値として人に伝える。
そこに需要を生み出せる。
そんな人になりたいんだ。

腕を磨きたいわけでも、学問を極めたいわけでもない。
いや、魅力を増やすという意味では両方取り組むけれど…

それ以上に僕が今やりたいことは、人間性を磨くこと。

なりたい自分になるために。

貴方は今、どう生きますか?


おわりに

まず一言申し上げさせていただきます。

「最後までお読みいただき本当にありがとうございます。」

今の僕の気持ちは、感謝と感激。
これに尽きます。

もし宜しかったら、みなさんの人生観を僕に教えていただけませんか?

Twitterをやっているので、良かったら、DMいただけると幸いです。

https://mobile.twitter.com/home

僕は自殺を何度か考えたことがありますが、今改めて、生きるって素晴らしいことだと思います。

もがくことを楽しみながら、嫌いを好きに変えて。僕は今日も生きていきます。

最後になりますが、このnoteでまた皆さんとお会いできることを、心から楽しみにしております。

それでは、また会う日までお元気で。

未来









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