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桜の木の下には

桜の木の下には、に続く言葉は大概の方がご存知でしょう。あれは埋まってはいませんが私には特別な桜の木が1本あります。

父は山中で縊死していました。
目印となるのが、桜の木。
死後数日も経過しておらず真冬だった事もあり、綺麗なものでした。目印となる桜の木のその下の林の中の大きな異質な木の実になっておりました。天気の良い日は遥か遠くに、幼い頃良く連れて行ってくれた海と夕日がとても綺麗に見える場所。

訪れた今日はお彼岸。父が植えた紫木蓮がちょうど蕾が開きかけたので一輪だけ供えてきました。すぐに枯れて僅かながらも山の養分になるでしょう。

誰か時々来て下さっているのでしょうか?私が辿りたいその場所へ続くのは道無き道の筈なのに、足跡は無くとも僅かに踏み折れた若い植物や歩く為に避け折った枝が見て取れます。暫く来ない間に鳥が運んだ種が芽吹いたのか、以前は無かった若い木が育っていたり。

咲き始めた桜に触れ、暫し山中で石を眺めたり、鳥の囀りを聞き、父が教えてくれたニッキの葉をちぎり香りを確かめ、あれは蕨、こちらはゼンマイ。ここにはタラの芽は無いな…山歩きについてまわって交わした会話の記憶を辿る時父は記憶の中に蘇る。この世に身体はもうないけれど。ひとの本当の死は、そのひとを覚えているひとがいなくなること、思い出すひとがいなくなることだと云うのを何かで読みましたが、その通りだな、と。春の野山はこんなに楽しいのに一緒に巡れないのが寂しいな、とは思うけれど今は悲しみは殆ど消えました。

また来年ね、桜の頃に。

ニッキの木が良い具合に育ったら葉を貰って蒸し団子を作るよ。けせんだご。ここに生えてる蓬はとても綺麗だし。

父の終焉の地。だけれども私には特別な桜を愛で、あなたが教えてくれた山の楽しみをひとり反芻する場所になったのでした。


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