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昭和の展示物かと思ったら
現松本幸四郎のお父さん(白鸚)は若いころ染五郎だったが、当時の彼がCMに起用された商品がこれだった。それまでの男性化粧品つうたら柳屋アットレーとか加美乃素Aとかポマードを塗ったくる暑苦しいおっさんのイメージだったから、初めてこれを見たときはまさに先端文化に触れた感があった。けれども当然に田舎のよろず屋じゃ売ってなかったし、通販なんてのは少年漫画雑誌のあやしげな金の延べ棒くらいしかなかったので県境越えた4Km先の町まで未舗装の砂利道をえっちらおっちら自転車漕いで買いに行ったが、なにやってたんすかね。あれから幾星霜、くだらないことに一生の大半を費やしてしまったけど、まあ食いっぱぐれなかった(まだわからんけど)だけマシだったと思わねば。心底自分が好きな事物を見つけるにはそれ用の思考センスが必要なんだけど、これって訓練して身につく代物ではないところがじつに悩ましい。しかもひとつだけってことでもないから余計だ。日本人てひとつごとを一生かけて追求する、みたいな姿勢を賞賛するのが好きだけどじつは不器用で拡張性が無いだけだったりするから。この国は〈職業を選ばなければ食うだけなら何とかなる〉って言われてるがそれは〈自分だけなら〉の条件つき、しかも往々にして楽しくない。だから死ぬまで自分探しを続けたいなら他人を巻き込まないほうがうまく行くんじゃないかな。
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驢馬はポニーの成りそこないではない
なんとなく馬類より軽んじられているイメージだが、機嫌をそこなうと梃子でも動かなくなる頑固さをそなえている、ということで秘めた矜持を持つ一徹な職人気質という感じもする。ただそれは過去のルサンチマン的なものではなく〈今〉を生きるうえでの対応なのだろう(驢馬の思考について知ってるわけではないので確証はないが)。 話は変わるが、じつは中学生くらいまで わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人♫ のラバ=騾馬だと思っていた。なぜ酋長の娘が家畜なのか不思議だが南洋の島ではそういうこともあるのだろうと納得していた。今でいう異類婚姻譚である。その後、ラバ=Loverで戦時中は敵性語だからカタカナにしたのだろうと勝手に思っていたが、最近になってこれも誤った解釈だったと知った。日暮れて途遠し。 https://www.worldfolksong.com/songbook/japan/shucho-musume.html
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日常生活で大声が必要なのって
頭上の落下物に気付いてない人に〈走れっ!〉と声をかける時くらいなもんじゃないのか。英語でも〈逃げろっ=Run!〉で同じだそうで人間てのは単純な動作でないと咄嗟に反応できないらしい。銃声がしたときは〈伏せろっ=Get down!〉でアメリカ人なんかは言われる前にみんな伏せてると。でまあ、そうではない日常のやりとりで大声が必要なことは基本的に無いんじゃないのか。喉頭炎で辛いとそのあたりしみじみ実感するが、たいていの会話は静かな声で成立する。音量を上げざるを得ないのは片方が難聴気味だったり傍でTVが喚いてたりする時だ。むかしから無駄に声がでかい人間は苦手だ。ましてや地声が大きいことを己の特技と意識してるかのような話しぶりだとつくづくげんなりする。しかもそういう輩の話ってほとんどが自慢話だからね。