親歴1年。もっと恋人でいたかった、なんて贅沢かしら
週末、ショッピング同行のお仕事で有楽町にいた時のこと。お客様の試着室でのお着替えを待っていると、一組のご夫婦が入っていらした。
7〜8センチのキュッと細いヒールがついたエナメルのパンプスに、オフショルダーのふわっと広がるお姫様みたいなワンピース。飾りじゃないの?って疑うくらい小さなチェーンバッグを携えて、試着室のカーテンの向こうへ吸い込まれていった。
どうやら旅行に着て行く服を選びに来たみたい。ワンピースを何着か試着しながら、旅先での予定をあーだこーだと話している。
会話の内容から、お二人には子どもがいない様子が伺えた。そして、そのことに気づいた途端、ぶわぁぁーーーっと感情が押し寄せてきた。
いいなぁ、二人っきり。
別に私の夫が冷たいとか、子連れ旅行が煩わしいとかではないの。
ただ、なんだかちょっと羨ましい。それでいて寂しい。
私達夫婦はコロナの流行と共に付き合い始めた。私が当時住んでいたシェアハウスで感染が増えたのをきっかけに同棲し、初対面から一年経たずに入籍したスピード婚。
だから外でのデートなんて5.6回しかない。リモート勤務も相まってほぼ家の中で、24時間ずーーーーっと一緒に過ごしていた。行くのは近所のスーパーと駅前の大阪王将、なか卯、マクドだけ。結婚式も新婚旅行もないまま妊娠・出産して、息子はもうすぐ一歳半になる。
ちなみに、今でも月に一度は子どもを預けて二人で出かける日を作っている。一ヶ月前からお店を探したり、スケジュールを練ったり、新しい服やコスメを買ったりと我が家的ビッグイベントなのだ。
でも、いざ当日になると話題は8割我が子のこと。乾杯の時も「お疲れ様〜!」が定番。もはや夫婦を超えて戦友なのだ。愛を尊ぶよりも互いを労い讃えなくては始まらない。恋人気分は味わえても、あくまで私たちはパパママが先立ってしまう。
私はバツイチの離婚経験者なので、夫婦ってとても儚い関係性だと思っている。紙切れ一枚で他人に戻ってしまう。過ごした時間は残れども、名目上はリセットできる。
ただ、親になることだけは、片道切符で絶対に戻れない門をくぐってしまったような、責任感や重圧感があった。
この先、子どもが成人しても、婚姻関係がなんらかの事情で終わることになっても、私たちは一生親の看板を下ろせない。
そう思うと、たまらなく寂しくなる。
もっと恋人でいたかった。
あんなに親になりたかったのにね。なんてわがままなんだろう。今更すぎて笑えるけれど。
人生にはこうやって気付かぬうちに終わってしまうもの、もう二度と戻れない大切な一瞬が思わぬところに隠れている。
試着室のご夫婦に子どもを持たない・持てない事情があるのかもしれない。ただ私の一方的な憶測に過ぎない。隣の芝はいつも青くて、誰もが自分なりの幸せと不幸を抱えて生きているんだろう。
帰宅すると夫は息子とお風呂に入っていた。キャッキャと喜ぶ甲高い声がする。子どもが一緒にお風呂に入ってくれなくなるのは何歳頃なんだろう。夫のように10代から海外へ行く可能性もある。子育ての時間はきっとそんなに長くない。
恋人期間を堪能できなかったのは寂しいけれど、今この時だって、いつか恋しく思う日が来るんだろう。
だから、カップルの皆さんはまだ結婚できない!なんて思わずに、どうか今しかできない思い出をたくさん作ってほしい。待ち合わせなんて一緒に暮らし始めたらできないからね!
いずれ子育てが終わったら、私たちはどんな二人になっているのかな?いや、もしかしたら一緒にいないかもしれないけれど…。
さて、先のことを考えるのはこれくらいにして、夫の眠る寝室へ向かおうじゃないですか。色白のムーミンのような寝顔も、今しか見れないかもしれないのでね。
それでは、明日もいい日になりますように!
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