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買ってもらったものほど結局使わないという不義理

引越しをすることがほぼ決まったので、毎日一箇所ずつと決めて不用品を捨てている。いやいやまぁまぁ、よくこんなに物を溜め込んだものですねぇ。

ところで、クローゼットを眺めていると、大変残念な気づきがあった。頼んで買ってもらったもの、わざわざプレゼントしてもらったものに限って使っていない。

息子を妊娠中に買ってもらったバレエシューズ、誕生日にもらったバケットハット、一緒に買い物に出かけた時についでに買ってもらったバッグ。

そう、全部夫に買ってもらったものばかり(爆)。

好きだけど、使っていない。中には最後にいつ使たかすら思い出せないものもある。自分でリクエストしておいて、なんたるザマでしょう。

さて、なぜいただきものを使わないのか。落ち着いて考えてみるとこんな答えに行き着いた。

・欲しいものは我慢できずに自分で買ってしまうので、わざわざプレゼントしてもらうのは「自分で買うのを我慢できる程度」のアイテムだから

・プレゼントだから(私が)損をしないように、自分では買えないもの、ちょっと高いものをリクエストしようと要らん欲が出るから

・ついでに要るものある?と聞かれたら何か言わないともったいない気がしてしまうから

・そもそも欲しいはただの感情なので、欲しい=使う、必要なものではないから(これは自分で買うものにも言えることだけど)

こう並べてみると「損したくない」「もったいない」「どうせなら」「せっかくだから」という圧倒的貧乏根性が見え隠れして、思わず目を瞑りたくなってしまう。他人の財布に期待しすぎでしょ。あな恥ずかしや…。

かたや夫は欲望に正直で遠慮がない。結婚3年経っても私の味付けが好きじゃない、とお粥以外の私の手料理を一切食べないし、プレゼントも「欲しいものない」で終わってしまうこともある。この差は一体何なのか。

ライターを生業にしつつも、私は書くことよりも読むことの方が好き。日記も産後は止めてしまったし、わざわざ仕事でもないのに書くのはめんどくさいなぁという気持ちもある。

それでも、こうして日曜日の夜に眠い目を擦りながら書いているのは書くことで自分の思考が整理されたり、書いたものを表に出すことで気持ちが固くなるような気がするから。まぁいつまで続くかな、知らんけど。

来月は母の日がやってくる。さぁ私は邪心に打ち勝つことができるかな?それでは、また🌿

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