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反戦の声をあげる世界各国の人たちに連帯する声明

 ウクライナに対してプーチン政権が開始した侵略戦争を非難します。ロシアの人々とウクライナの人々が殺し合いをさせられる正当な理由など、何一つありません。全軍事行動の即時停止を求めるとともに、それを実現するための運動を全世界にむけて呼びかけます。

 戦争は、人間性の究極の否定であり、人類の未来への裏切りです。それは単なる膨大な暴力や殺人ではありません。なぜなら戦争は国から強要された組織的な行為であるからです。犯罪としての暴力や殺人は、少なくともそれを為そうとする人間の意志と行動によって行われるでしょう。けれども戦争では、兵士は自らの体や尊厳、そしてさらには意志までが国の名のもとに奪われて、暴力や殺人を強制されるのです。強制を行うのは自国の政府にほかなりません。それは言うまでもなく法に基づいて「合法的」にされます。ゆえに強制を拒否した後には刑罰が待っています。家族から引き離し、故郷から引き離し、殺し、殺されることを強要するのは、自国の政府であるわけです。

 こうした究極の理不尽がまかりとおるように、戦時やそれに至る前の準備体制においては、国と国民とが一体であるかのような幻想がくりかえし人々に刷り込まれていきます。周辺国との間に憎しみをかきたて、差別や脅威を煽りたて、自国を守るためにはやむをえないのだとして人々は戦争へ仕向けられていきます。「国民の安全のために防衛力の増強が必要だ」と。やがて「あなた方が国を守らなければならないのだ」と。

 しかし「国」と「そこに生きる人々」には区別が必要です。また、「国を守る」ということと「人々を守る」ということは別であるのも看破しなければなりません。「国を守る」ということの意味するものが、「そこに生きる人々を犠牲にしてさえ国を守る」というものであることを、先の大戦は伝えているのですから。

 ロシアにおいても、ウクライナにおいても、兵隊を集める者があり、兵隊にとられる者がいます。殺人を強いる者があり、殺人を強いられる者がいます。戦争を進めようとしている者があり、戦争を止めようとして行動している者がいます。

 ロシアでもプーチンは反戦の機運を沈黙させることに躍起になっています。しかしそれにもかかわらずその機運はいっそうの燃え広がりをみせています。プーチンによる激しい弾圧のなかで、人々は抵抗し、ロシア国内の50を超える都市で反戦デモが起きています。Остановить войну с Украиной!(ウクライナとの戦争を止めろ)という署名は100万筆を超えています。ウクライナの一部地域では占領下にもかかわらずデモが組織されています。

 こうしたことを度外視して、国と国との問題として戦争をとらえるのは誤りです。欧米諸国の国際秩序や軍事同盟を素晴らしいものとして肯定するのならまだしも、そうでない立場をとるのなら、国際的な圧力に解決を求めるというのもあまりに他力本願です。むしろ今回の侵略戦争は、軍事同盟などに期待することによってでは阻止できなかったというのが事実に近いのです。

 また、ドイツやアメリカなど各国が続々とウクライナに兵器を送り込んでいますが、このような行為が悲惨な殺し合いの激化につながることを懸念します。兵器や傭兵を送りこむことを肯定するのは、反戦のたたかいが立脚しうる立場ではありません。我々はあくまで人々の側に立ち、侵略を受けたウクライナの人々に呼応して、反戦の抵抗を繰り広げるロシアの人々に呼応して、それを包み込み勇気づけるように、全世界の人々とともに即時停戦を訴えていく必要があるのです。

 国はいつも、そこに生きる人々を包み込む大きな存在であるかのように仮装します。けれども本当は人々の方が根源的で大きなものなのです。国がなくても人々は存在しうるけれど、人々がいない国などはじめから想定しようもないという素朴な事実からも、どちらが根源的なのかは明らかとなるでしょう。根源はあくまで人々にあります。安易に国の論理につかず、人々の論理に踏みとどまり続ける。それこそが現実的であることです。ですから我々は国境という垣根を土台にするのではなく、国境のどちらにも人々がいて、人々の生活があるのだという土台から始めなければなりません。

 ある国とある国が戦争の危機に直面したとき、あるいは戦争となってしまったとき、それを人々の力によって止めるということは、両国に生きる人々が、同じ市民、同じ労働者、同じ兵士として手を取り合って、彼ら彼女らを戦争に駆り立てたそれぞれの理不尽な政権と対決することによります。

 第一次世界大戦の東部戦線において、塹壕で対峙していたロシア軍とドイツ軍は武器を収めて手を取り合い、なぜ同じ労働者である自分たちが悲惨な争いを担わされなければならないのかを、かがり火をともして語り合いました。そして自らに理不尽を強いてきた権力こそと闘うことを選び、やがて一方は成功し、一方は敗れました。

 そうしたことが過去の人類の歴史の中で実現したためしは、このような限定的な場面を除いては、まだ無いといえます。人々を連帯させる力より、人々を分断する力の方が強いのです。けれどもそうした連帯を実現する力を持つことがなければ、人々は自らの生活を自らの意志とはかけ離れたものに脅かされ続けなければならないでしょう。その実現は、これからを生きる我々にかかっているわけです。

 文明の水準が核の力の開放に至ってよりこのかた、戦争を根絶するというのは未来をかけた人類共通の闘いとなりました。現代に覆いかぶさるいくつもの歴史的な束縛が、行く手に暗雲をたれこめさせています。それと対峙することを決意したとき、この時代に居合わせた全ての世代が、それぞれの場所で時代の切っ先に立つのです。ロシアに生きる人々も、ウクライナに生きる人々も、そして我々も。それぞれが当事者となってどのように考え行動するかということに、未来はかかっています。

 最後に、くりかえし、全軍事行動の即時停止を求める運動を全世界に呼びかけます。人類の行く手を照らさんとして反戦のかがり火を掲げる全世界の人々に連帯します。

 2022.02.27 三春充希


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