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クレイジーなジャーニーの果てに。

佐藤健寿さんの写真展を観てきた。
TBSの番組クレイジージャーニーでご存知の方も多いのではないか。

「奇界/世界」と題された今回の展示は、「居住」「廃墟」「奇景」「構造物」「習俗」「宇宙」「創造」「博物館」「死」「信仰」「現代の神話」そして「世界」と、とても見応えのある内容。
20年の活動を凝縮した、言わば”佐藤健寿の旅・総まとめ”みたいな展示だった。

テレビで観た、ロシア北部に暮らすネネツ族の写真もあった。
冬はマイナス40℃にも達する極寒の地で生活する彼らは、トナカイの群れと暮らしている。週に一度その群れの中から1頭を選んで絞め、一滴の血も無駄にすることなく生のまま摂取する。

おっと…と思わず目を背けたくなるシーンもある。
展示作品の中にも、顔を顰めながら観た写真がいくつもあった。
それは確かに自分にとって「奇界」として映るかもしれないが、自分の境界線の外にあるというだけで、この地球で暮らす同じ人間の習俗であり、信仰であり、文化である。
そしてそれは、生きること、そのものだ。

「暑い」「寒い」「ヤバい」と言いながら空調の効いた部屋で過ごし、スーパーに均一に並べられた肉や牛乳を、何の迷いや疑いもなく買って食す私たち。余ったものは当然のごとく廃棄する。
ネネツ族の目に、私たちの当たり前はどう映るだろうか。


そして全てにおいて切っても切り離せないのが、やはり気候と自然環境だ。
習俗や信仰、食や住居などの歴史文化は、元をたどれば地理的要因や気候、自然環境に起因することがほとんどだと思う。
バラバラだったはずのそれらが少しずつ均一化されていくことを、人間は「発展」と呼んだのだろう。
自然に抗い、地球に背を向け、人間の「発展」を押し進めてきた私たちが成し遂げたものは、一体何だったのだろうか。

ここで、佐藤健寿の言葉をそのまま転記したい。

地球環境の急激な変化から、共生やSDGsといった言葉が叫ばれて久しいが、その本質は地球の保護ではなく、人類の保護であることは自明である。
(中略)おそらく人類はこれまで、自然を「支配」できたことなど一度もなかった。人類にできるのはせいぜい、自然の力をほんの少しだけ拝借し、どうにか自然に「保護」してもらう程度のことなのだろう。

佐藤健寿『奇界/世界』より

この写真展では、「自然に保護してもらう」ことを理解し、その知恵や習俗を忘れず生きている人々と
「自然を保護しなきゃ」と言いながら、あらゆる事象においてスクラップアンドビルドを繰り返す人々の対比が実に面白かった。

生き血を綺麗に飲み干すネネツ族のピュアで強い眼差しは、何も知らないけど、全てを知っているような目で美しかったし、
その傍で、あらゆる手段を使って経済を生み出し、楽しみや利便性を追求する歴史も、生命の営みそのものだと思った。



私たちのクレイジーなジャーニーの果てにあるのは、一体どんな景色だろうか。

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