見出し画像

無個性美人と片思いについて(8/16午後)

今日やる事も明日やる事も決まらずに、冷房の下で意味もなく折り曲げた
携帯電話の画面だけを眺めては消してを繰り返していた。
そんな誰に頼まれたでも無いルーティーンワークをこなしていると、
人生で1番好きだった期間が長い人のインスタが流れてきた。
顔が痩せたのか、いやそれ以上に数多もの努力をしたのだろう。
画像に示される彼女はあまりにも端正な美人になっていた、
正直二度見をした。
その画像を眺めていると驚くと同時に、何故か長く恋焦がれた時間すらも、今の彼女の姿に上書きされていく感触を覚えた。
「ネットにいくらでもいる無個性な美人みたいだ」と、彼女の努力を無下にするような事も思ってしまう。だが、本当にそのように見えたのだから仕方がない、と罪悪感を感じている自分に言い聞かせた。

はっきりと覚えているわけではないが、昔の自分は彼女の目元のほくろとか
よく笑う所とか、努力家な所とか、色白でぱっちりした目が好きだった気がする。2人で遊びに行ったり、朝まで通話してたり、少しだけ恋人になったりして、その度鼓動が早くなっていた記憶も、今や思い出と言って差し支えないくらい過去の話になった。
中学三年生の時に、「君に相応しい男になるから待っててくれ」などと啖呵切って伝えていたが、結局の所口約束というのは口約束以上にはなる事はなく、俺も彼女も他に恋をして別れてその度ちょっと話して他の人を好きになった。

高校に入って、こんな捻くれた自意識を形成しているうちに、
彼女にはどこかで冷めてしまっていて、付き合っていたら妄想の中だろうと相性は劣悪だろうと察していた。
過去において彼女に熱烈な恋をしていたのは確かだ。しかし少しづつ大人になるにつれて、日々がつまらなくなっていくにつれて、
「将来性」と似ても似つかない数多の馬鹿な言葉で彼女を恋心から遠ざけていたのも紛れもない事実だ。それに、いつの間にか彼女とも少し疎遠にもなっていた。

この長い片思いは楽しかった。結局あれから四年経った今でも、
当時の君にすら相応しい男にはなれては無いだろうし、
無理に手を伸ばす事も遙か昔に馬鹿馬鹿しくなってやめていた。
ただ、一昔前を振り返った時に
この片思いが散らばっている事は心地よいとは思うのだ。
「甘酸っぱい思い出」とやらに共感性を覚えることができるのも、
健常者の擬態に一役買ってくれているだろう。

話を戻すと、今日彼女の写真が目に入って、
片思いの記憶にいた彼女の姿すら変わってしまったような気がした。
卒業式の日に興味本位で横顔を盗み見た以来の彼女は、どこか味気ない美人だった。さようなら、多分もう会うことはないだろうけど、元気で。
気持ち悪い自分語りだ、鳥に言葉を譲ります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?