深読みで楽しむDetroit: Become Human(0) デトロイトとはどんな場所か

 「デトロイト・ビカム・ヒューマン(以下DBH)」はそのタイトルの通り、ストーリーの99.7%くらいがデトロイトという一つの都市の中で展開するゲームです。そこで、まずはデトロイトとはどんな都市なのか、から見ていきたいと思います。

フランス領デトロイト
 といっても、デトロイトがフランス領だったのは1760年までなので、ずいぶんと過去の話です。
 デトロイトという地名は、フランス語のデトロワ(Détroit、海峡)に由来しています。
 そもそも1701年にフランス人がここに砦を建て、二つの半島が向き合う地形から「海峡砦(Fort Détroit)」と名付けたのが、デトロイトの始まりです。そして、フランス語では今でもデトロイトを「デトロワ」と呼んでいます(他にはニューオリンズ=ヌーヴェル・オルレアン、モントリオール=モンレアールなどが、フランス人がフランス読みする北米の都市です)。
 そもそも五大湖周辺は、かつて存在したフランスの北米植民地(ヌーヴェル・フランス)の重要な拠点でした。デトロイトの対岸にあるカナダ・オンタリオ州は公用語こそ英語ですが、隣のケベック州と並んでフランス系カナダ人が多い州でもあります(フランス人に取って、フランス語圏(フランコフォニー)=てめえの身内です。なお、フランス人はいまだにケベックが独立しねえかなあと期待してる節があります)。また、アフリカ系住民の割合がカナダで最も多いのもオンタリオ州だそうです。その理由は後述。
 そもそもデトロイトで製造業が発展したのは、五大湖地域の中心という恵まれた立地によります。デトロイトはアメリカの大都市に近いことはもちろん、川一つを隔ててカナダに接し、水路を使えば大西洋に出ることもできる。製品を輸出する際の利便性の高さは、工業都市にはうってつけでした。故に、当然ながら港も有しています。

地下鉄道の駅、デトロイト
 DBHのストーリーのうち、カーラ編はこうしたデトロイトの地理的な位置付けと、かつて黒人奴隷たちが辿った解放への道を踏まえたものとなっています。
 カナダはアメリカよりも早く奴隷制度を廃止しており、19世紀には多くの逃亡奴隷が自由を求めてカナダを目指すようになりました。デトロイトはカナダへの脱出を目指す「地下鉄道(実際に鉄道があるわけではなく、脱出路および脱出を支援する組織の通称)」の最後の“駅”だったのです。デトロイトに到達し、川を越えさえすれば、自由になれる。その希望にすがって多くの奴隷が“デトロイト駅”を目指しました。
 地下鉄道を使ってカナダに逃亡した奴隷の数は、公式には6000人ほどとされていますが、最大で10万人いたとの推計もあります。国境を超えた逃亡奴隷は、多くが近隣のウインザー周辺に集落を作って住み着きました。そのため、オンタリオ州はカナダで最もアフリカ系住民が多いのです。
 奴隷たちの逃亡を助けた“車掌”たちの中で最も有名な人物の一人はハリエット・タブマンという名の、自らも逃亡奴隷だった女性です。彼女は近く、20ドル札の肖像となることが決まりました(が、トランプが実現を遅らせています)。このことを知っておくと、後半の一連の流れをすんなり飲み込むことができるのではないかと思います。
 なお、北部の工業都市だったデトロイトは、当時から南部ほど奴隷に経済を依存していませんでした。とはいえ、奴隷が決していなかったわけではないこともわかっています。デトロイトに来ただけでは、確実に自由になれるとは言い難かったのです。

暴動の町、デトロイト
 さて、20世紀に入り、デトロイトは自動車産業で大きく栄え、モータウン(Motor Townの略)とあだ名されるほどになります。自動車産業のビッグ3のうち、ゼネラルモーターズの本社はデトロイト市内に置かれ、クライスラー、フォードも同じくミシガン州に本社を置いています。しかし、その栄光は長くは続きませんでした。
 デトロイト衰退のきっかけの一つが、1967年のデトロイト暴動です。アメリカ史上有数の規模の暴動であり、43人の死者と1189人の負傷者、7200人以上の逮捕者を出した暴動の発端は、黒人客が多数を占める無免許バーのガサ入れにすぎませんでした。当時はほとんど白人しかいなかったデトロイト市警は、居合わせた客全員の逮捕に踏み切ります。このガサ入れの最中にバーのオーナーの息子が人々を煽って警官に瓶を投げつけたことがきっかけで、人々は興奮し、あたりの店を手当たり次第に打ちこわし、商品の強盗を始めたのです。最終的には戦車やマシンガンも投入して5日後に鎮圧されるまでに、暴動に参加した人数は1万人ほどと推計されています。2017年公開の映画「デトロイト」は、一連の暴動の中で起きた事件に焦点を当てたものでした。今でさえ「アメリカでは黒人は白人と比べて警察に安易に射殺されやすい」という統計がありますから、当時はどうだったか、想像に難くありません。
 この事件によって、多少なりとも生活に余裕のある白人市民は、デトロイトの中心街を捨て、より安全な郊外へと流出するようになります(ホワイト・フライト=白人の逃亡)。さらには1970年代に入ると、性能と価格に勝る日本車が普及し始め、デトロイトの経済は本格的に傾いていきました。当時のデトロイトの人口の半分は自動車産業に関わっており、自動車産業の衰退はそのまま都市全体の衰退に繋がったのです。さらなる治安の悪化が進み、デトロイトは犯罪都市の代名詞にすらなりました。映画「ロボコップ」が描いたのは、犯罪都市としてのデトロイトの未来(といっても、逆算するとおよそ今頃)の姿でした。

負け組の町、デトロイト
 すっかり没落したデトロイトは2013年、アメリカの自治体として最大の負債を抱えて財政破綻します。新都心としてGMが本社を置く超高層ビル群「ルネサンス・センター」などが立ち上げられたものの、その勢いはなかなか戻らず、人口は、現在も最盛期(180万人)の半分以下(70万人)にすぎません。
 ドナルド・トランプが大統領選を勝利した理由の一つに「ラスト・ベルトで増加する白人貧困層(ヒルビリー)」が雪崩を打ってトランプに投票したことが挙げられています。デトロイトを含むラスト・ベルトと呼ばれる一帯はもともと工業(製造業)を主産業として大きく栄えていましたが、海外との貿易戦争に敗れて次々と工場が閉鎖され、残された工作機械の錆びついた様子を揶揄してラストベルト(錆びついた工業地帯)という不名誉なあだ名をつけられてしまったのです。デトロイトはいわば、敗北者のアメリカを象徴する「ラスト・ベルト」の筆頭都市とも言え、そこに住む、かつての栄光に浸って他人を攻撃するほか現実から逃れることのできない貧困層の姿も、DBHの中で大きな影を落としています。

再興するデトロイト
 ところが奇妙なことに、デトロイトの経済はDBHの発売と前後して上向き始めました。というのも、ドナルド・トランプの国内生産奨励策による恩恵がダイレクトに影響を与えているからです。現在、デトロイトでは産業用ロボットやバイオテクノロジーなどの最新技術が、新たな産業として頭角を現わしつつあります。ある意味、最も今のアメリカを象徴する都市と言えるかもしれません。とはいえ、「誰もが幸せな中流階級になれる時代」とはほど遠いのが現実ですが。
 マクロの経済は回復しはじめたが格差は拡大しつつあるDBHのデトロイトは、現実のデトロイトの300年の歴史をほんの一歩だけ先に進めたもののようにも見えます。偶然というには、あまりにも合致しすぎているように見えるのは、気のせいでしょうか。

2020/11/14追記
 2020年アメリカ大統領選挙において、デトロイトの票はミシガン州が民主党候補の勝利となるにあたって、大きな役割を果たしました。デトロイトのあるウェイン州は人口約175万人で州の2割弱を占めており、バイデン氏の同州における得票率はおよそ7割にも上ったのです。
 かつては民主党を支持していたミシガン州が一度は共和党になびき、再び民主党に立ち返ったと言う流れを踏まえて本作品を振り返ると、改めてアメリカ社会が直面しているジレンマの大きさを考えざるを得ません。

 以上、DBHを楽しむためのデトロイト背景知識でした。
 次回からは、ストーリーを追いながら、あることないことどうでもいいことまで深読みしていきます。

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