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読書メモ|人間主義的経営 |ブルネロ・クチネリ

素晴らしすぎて、また引用が多くなってしまいましたが、本当に魂が震える経験でした。ここに書かれたクチネリ氏の子供時代が、わたしが庄内の米農家の祖父母の家で過ごした子供時代と重なることも関係しているかもしれません。

彼の目指すものは経済と倫理の両面における人間の尊厳であり、その旅路を導くもとにあるのは、美を大切にすること、年輪を重ねた人やものと未来の世代をつなぐこと、愛のある豊かさ、本当に偉大なものは簡素であるという考え方です。
過去の賢人たちとの静寂と瞑想に満ちた対話の数々や、なつかしい記憶や豊かな思索と出会う孤独の時間を大切にすることから生まれる人や自然との精神的なつながりについて綴られています。

序文

絶え間ないの中、私は常に物質的な支援や精神的な支えを数多く得ました。これについて語るとき、優先順位はつけないようにしています。ただし、小さな例外として、自分を支えてくれるものとしても、それが与えてくれる喜びの点においても書物を最上位にあげたいのです。
モンテーニュは「良い本とは何回な概念を平易な言葉で書き表したものである」と言っています。どんなに優れた作品もそこに書かれていることは真実の一部でしかなく、すべての真実を伝えるものではありません。それでも私たちには本が必要です。自分と自分以外の人間の声を聴き、理解し、人間の魂に触れる手段であるという点で、かけがえのない価値を持っているからです。

第01章 ソロメオ、精神の宿る村

 振り返るとそれは魅惑の歳月でした。
 この頃から私は「人間とは」「利益と分かち合いのバランスとは」という重要なテーマについて考え始めていました。分かち合いは人間の心の優しさが最も表れた行為であり、与えた人も何ら失うものがない、真の正義ではないだろうか。
 6歳の頃、夏の時期は朝早く起きて階下に降り、誇り高き厩舎番の叔父のトニーノと一緒に牛乳を絞りました。温かく泡立った牛乳を持って2階の食堂に戻り、とれたての牛乳を大麦のコーヒーに混ぜ、両親が週一回薪のオーブンで焼いてくれるパンを浸して食べました。牛乳が殺菌されていなことなど気にするひとはいません
 私たち子供は家畜によく名前をつけました。名前をつけると愛着が生まれるので彼らが食卓に登場する瞬間はとても悲しい気持ちになりました。ある復活祭のお祝いにはパスクアリーナ(復活祭の少女)と名付けたかわいい子羊が見事に焼き上がって現れました。その時の悲しい涙の混じったランチの味は今でもはっきり覚えています。
 質素な食事はぜいたくな料理に決して劣るものではなく、わずかな水と一切れのパンはその価値を知る人に大きな充足と喜びを与えてくれます。質素に生きることは健康的であるだけでなく、いつも何かが足りないと不安な気持ちになることから私たちを解放し、予期せぬ運命の嵐から私たちを守り、たまたまなにかで成功してお金もちになっても、自分の幸運を自覚して生きられるようにしてくれます。人生は多くの場合、人々が望むほど楽なものではないのです。
 牛を引いて畑にまっすぐ溝を作る作業が私は誰より得意でした。「とても上手だ。まっすぐだ」と父は言ってくれました。まっすぐなことがなぜ大事なのか父に尋ねると「その方が美しいから」と明快で素朴な答えが返ってきました。
 納屋の干し草は家畜用の敷き藁であるだけでなく、不作で家畜に十分えさをやるのが難しくなった時に餌に混ぜて飼料にもします。不幸な隣人のために皆が藁や役にたつものを提供しました。人間の強さや生きる意欲はこのように互いに助け協力しあう連帯感から生まれてきます。「災難にも魂がある」というアリストテレスの言葉は実際に存在するのです。
 労働で得たものを時間が経った後で楽しむ、享受することで労働の成果の価値は一層高まります。少し前に樫の苗木を植えていた庭師が、将来その木が大きく育って涼しい木陰を提供してくれる頃には自分はこの世にはおらずその涼しさを味わうことはできない、という話をしていました。しかし、その木を植えるのは未来の人々の生活を豊かにするためであり、将来への投資であることに価値があるのです。

第02章 幼年時代

 差別と侮蔑は表裏一体のものですが、辛い体験も人生の糧になります。この悲しい体験から学んだのは、知性や教養は別として決して人を差別してはならないということでした。
 貧乏を理由に人を攻撃してはならないし、貧しさに負い目を感じているひとを嘲笑うことなど決して許されません。私たちに必要なのはその反対の人間の尊厳を守るために行動する人です。 
 私が16歳のとき、父は辛い時期にあり、プレハブ用コンクリートの製造工場の工員となった父は毎晩過酷な労働を終えて帰宅しました。当時45歳だった父は屈強で体の疲れやわずかな給料については不平を口にすることはありませんでしたが、雇用主からの侮辱についてしばしば愚痴をこぼしていました。「いったいあいつになにをしたというんだ」と不当な扱いに傷ついた父を見て、とても辛い気持ちになりました。自分は絶対に倫理的にも経済的にも人間の尊厳を守るために生きて働くと固く決意しました。
 哲人皇帝と呼ばれたマルクス・アウレリウスは、人は倫理を通じて真の兄弟になると考えました。人は他者のために生きることによって人となり、学ぶことによって善き存在となる。報われないときも我慢して常に人間同士の関係のなかにあらねばならない。はるか昔に彼はそう確信していました。
 セオドア・レビットの「マーケティング・イマジネーション」という市場経済について書かれた本に出会いました。そこに書かれていたのは、中級品を安く作れる新興国に負けないために先進国は高品質の製品に特化しなければならない、ということでした。

第03章 私の心の大学

 暗中模索ではじめてすぐに2人の素晴らしい人物に出会うという物語は、「素晴らしき哉、人生」にそっくりでした。情熱だけでお金のない私を信用してくれたカシミアの生糸を売ってくれたまじめで善良な兄のような彼とカシミヤの染色職人のアレッシオ。ただ、アイデアに共感し、陽気で、おおらかで、主体的で、利他的な彼らの生き方と、リスクを恐れず明るく突き進んだ当時のことは、今も鮮明な映像として甦ってきます。彼らの存在は、強い思いが人を遠くの夢見る土地まで連れて行ってくれることを証明してくれています。
 成功を収めるには裏表がないことが重要です。意思の強さに加え、誠実であることは不可欠でした。倫理的に価値があるだけでなく、ビジネスをシンプルに進めるのに役に立ちます。
 そして、なるべく評判の良い尊敬できる人物を選び、関係を深めるように努めました。
 私は静寂を大切にしています。聖ベネディクトはこう言っています「暗い夜でなければ星は輝かない」鳥のさえずり、ポプラのざわめき、堀割を流れる水の音、自然の声が聞こえることで静寂は一層豊かに完成を刺激し、人間に必要な完全な時間がゆっくりと過ぎていきます。
 あなたの時間を慌ただしく奪うものがいなければ、あなたの心はきっと豊かな情感で満たされるはずです。

第04章 カシミヤの彩り

劇場の建設地の所有者の老人は私たちに土地を売ってくれそうもありませんでした。ある日私はこう話しかけました。
「わたしを夕食に誘ってくれませんか」
「わたしの家に夕食を食べにくるってことかい?」
「もちろんです。なにかおかしいですか」
ウサギの肉と野菜の炒め物の夕食は絶品でした。私は冗談まじりにこう言いました。「私に土地を売ってくれたら、そこに劇場を建てようと思っています。そうしたら何が起こるでしょう。あなたもわたしのいずれ近くの墓地の住人になり、退屈な毎日を過ごすようになりますが、もし、近くに劇場があったら何百年も一緒に楽しめるじゃないですか」彼はしばらくびっくりして私の顔をみていましたが、帰る間際に方言混じりの言葉でこう言いました。「君は私に似て少し変わっているね。でも、君のいうことはその通りだ。あの土地はきみにあげよう」その夜がなければあの美しい劇場は存在しませんでした。
 今も私は祈りで魂を癒し、学習で心を癒し、自分に語りかけて精神を癒すことに1日の時間ほどを充てるようにしています。
 孔子の思想は中国の高貴な人々の支柱であり、歴史と政治に揺られながら強固に保たれ続けた精神であったと思います。故宮を巡りながら、孔子は老子と並ぶ中国精神の原点でありその現れであることを理解しました。
 9月にアメリカの大手銀行が破綻し、国際金融の世界は耳をつんざく大騒ぎとなり世界中の人々が底知れぬ不安に陥りました。翌日わたしは会社の会議でこう言いました。「この会社には500人の従業員がいますが、危機を耐え抜くお金が2年分あります。だから心配することはありません。ただ、お願いがあります。明日からひとりひとりが今日よりさらに秩序正しく、愛想よく、創造的で、魅力的であるよう努めてください。それが我々にできるただ1つのことです。それ以外のことは我々にはなにもできません。だから心配することは無意味なのです」
 どの国の人々も、他国の人に自分たちの文化を知り、体験し、正しく評価してほしいと願っています。それには、その国の人々や、経済、社会、道徳によってたつ基盤を尊重することです。この原則を守り続けたので、あらゆる国の人がわたしを温かく迎えてくれたのだと思います。
 誠実な心と良き理想を持つ人に成長してほしいと願って、孫たちが眠っている横で、目を覚ましているときには恥ずかしくて言えないことを彼女たちの心に直接語りかけています。
 本を読むだけでなく、歴史はその土地や遺跡が直接心に訴えかける力によって私たちの内面に浸透していくのです。

第05章 世界へ

熟練工たちは設計者と同じくらい自分たちが美しい作品を創り出しているという自負を持って仕事をしていました。
 少し前に発生した大地震で全壊した修道院の修復への支援を求める彼らに私は言いました。「2ヶ月後にミラノで証券取引所に上場できるかどうかの結果がでるので、それがうまくいったら修復作業はすでに始まったと思ってください」その年ミラノ証券取引所に上場したイタリア企業は1社もありませんでした。取引初日に株価は50%上昇しましたが、これは記録的な数字だということでした。その晩わたしは神父に電話して「上場がうまくいったので修道院の修復をはじめましょう」と伝えました。翌日私が到着すると、聖ベネディクト大聖堂の前に黒の修道服と頭巾に身を包んだ18名の修道士が全員集合していて出迎えてくれました。忘れられない感動的な光景でした。
 最近、シリコンバレーでお話しをしてきました。私がその若者たちに語ったのは人間のプライバシーについての話です。プライバシーとは心の寛容さであり、自然に存在するものであり、プライバシーの公開を強制するのは美しいことではありません。誠実性を欠いた行為です。人間が生きていくためには公も私もどちらも大切であり、その2つを上手に対話させることで幸せになれるのです。賢者エピキュロスは、生活の公の部分が適正な大きさを超えると健全な生活が損なわれ、精神を再生するために必要な休息の時間を奪ってしまうと言っています。
 私たちにとってブランドは宣伝するものではなく大切に保護すべきものです。ラグジュアリーの本質は希少性と期待感にあるからです。

第06章 親愛なる匠たち

人間の尊厳はすべての人々に関わるものであり、謙虚さと知性の2つを除けば人間に優劣を認めることは誤りです。尊敬は愛情が美しく表れたものであるとわたしは思います。
 美しいものは簡素である。これは美の本質です。
 失敗に対する責任が平等でないところには利益の平等はありません。
 尊厳は責任感を育み、責任感は創造性を生み出します。
 節度もまた内面の均衡の結果です。
 短気や苛立ちを抑えるのは有益でもあります。寛大であることは賢明であるということです。ヴォルテールは、不寛容を育むのは無知であると「寛容論」のなかで

第07章 輝く未来

 人生にはたくさんの複雑な課題があり、対処するためにはたくさんの時間と辛抱強い関与が必要ですが、いきることに前向きで行動する意思のある人たちは必ずその課題を乗り越えることができます。
 変化は人間にとって極めて自然な現象です。良く変化するにはただ自然に向き合えばよいのです。

第08章 創造物との対話

 子供をいつ抱きしめるべきか、困っているひとをいつ助けるべきか、私たちはそれを直感的に本能で判断します。食べ物やお金が過剰でないか、祈りや、自省や、行動すべき時はいつか、しばらくひとりでいるべきか、仲間と一緒にいるべきか。私たちの仕事が他の人の何かを横取りし、私たちから何かを奪い取っている時、心の確かな部分がそれを教えてくれます。愛するものを守ることを怠った時、美しい言葉を伝えられなかった時、悪意ある言葉を抑えられずに発してしまった時、怒りに支配されることが正しいかどうかも、心の確かな部分が教えてくれます。人を信じ、未来の美しさを信じるだけで十分なのです。

第09章 心の中の揺るぎないもの

 友人のカロジェロから素敵な手紙を受け取った。「労働は人間の精神を高みに導く」と書かれていた。労働は人間のためにあるという思想は人生の道標となるものである。
 揺るぎない厳正な精神、高貴、先見性、知恵、調和、自由、尊厳。これらを以て最高の善を成すのはなんと喜ばしいことだろう。
 自分の書棚を片付けながら考えた。あらゆるものが本来あるべき場所にあり、それ以外の場所に置かれないことがいかに価値あることかを。
 喜びは心の安らぎから生まれる。
 有用な人は例外なく幸せな人であるということを、私は経験から確信している。
 共感と優しさと愛情は、人間という現象の最高のものである。
ショーペンハウエル曰く、哲学は逆境に立ち向かう強さを与え、存在の痛みを和らげる。
 マルクス・アウレリウス帝に感謝する。彼を取りまく困難、厳格さ、魂の静けさを乱す人生の過酷さ、天が与えた社会的義務への自覚に対して、彼の自省の中には、時に平和と忘却、天の聖なる道理からの逃避の思いが、憂いを伴って現れる。
 「後世の人々の利益」の番人となる。それはとても楽しい想像である。
 ハドリアヌス帝は考えた「私を納得せしめなかった明確な説明、私を魅了し得なかった優しさ、私をより善きものと成し得なかった楽しみは、かつて存在したことはない」
 ものごとを明確に迅速に進めるために、裏表のないビジネスが私は好きだ。
 人生の基礎のすべてが道理に根ざしているひとは幸せである。
 ジョンラスキンの言葉「自分を犠牲にする時を知らない者は、どう生きるかを知らないものである」は真実であり魅力的である。
 セネカの思想はなんと魅力的だろう「賢者は常に攻撃に対して立ち向かう準備ができている。貧困、悲しみ、汚名に襲われても彼は後退しない。恐れることなくそれらに立ち向かい、それらの真っ只中に進んでいくのである」

第10章 日々の印象


ソロメオ村の野外円形劇場では、舞踏のアーティストが各国から訪れ公演が繰り広げられ、夏にはソメオロフェスティバルが開催されます。


村の一角にあるソロメオ劇場。オペラやクラシックのコンサート、舞踏などが定期的に催され、地元の人々も芸術を日常的に享受できます。

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