バーチャル存在とは、リアルの呪縛から開放された自由な存在である

初めまして、想間ミレイと申します!

「ゼロから始めるVTuber」と題してVTuberデビューの準備中の傍ら、バーチャル蠱毒の非公式wikiを作成し管理人をしたり、Vギルド構想実証団体vnosに参加したりしています。
この度、ご縁がありまして Virtual Advent Calendar 2018 の最終日、25日を担当させていただけることになりました!

今日のテーマは「バーチャル存在とはリアルの呪縛から開放された自由な存在である」ですが、流れとしてはこんな感じです。

1. 2018年の夏頃まではファンの一人でしかなかったわたしが、なぜVTuberを志すようになったのか
2. その過程で気付いたバーチャル世界の持つ可能性について

「まだデビューもしていない奴が何を語るんだ」と思われるかもしれませんが、どうか最後までお付き合いください。

リアルのわたしは何者なのか

絵描き経験ゼロ。動画投稿も動画編集も経験ゼロ。機材もなければ貯金もそんなにない、ただの一般ライトゲーマーです。
会社勤めをしているため、自由な時間も土日くらいしかありません。

VTuberという存在をいち早く追いかけていたわけでもなく、ちゃんとYouTubeで動画を見たのは今年の頭のことでした。

VTuberとの出会い

「バーチャルYouTuber」という言葉をなんとなくタイムラインで見かけるなーと思っていた2018年1月頃、フォローしていた絵師さんがシロちゃんの布教漫画を描いていたので動画を見てみることに。
第一印象は「声かわいいし仕草もかわいい。ゲームも上手くて話も面白いしこりゃ流行りそーだな」という感じ。

VR技術に対しての印象は、過去にHashilusなどを体験したこともあり断続的に知識を仕入れていたので「いよいよこういうコンテンツで実用されるようになってきたんだなぁ、未来がやってくるなぁ」と呑気に感心していました。

それから四天王の動画を見に行き、ニコニコ動画でMADやら何やら作られていく様子を見ているうちに「これはひょっとして初音ミク以来のムーブメントになってくるんじゃないか」という予感があった気がするのが春ごろの話。

しかしながら、自分が当事者になるとは微塵も思っていませんでした。

「だって3Dモデリングなんてできないし。HMD高いし。というか仮に出来たとしても、男の声でやってても面白くないでしょ?ねこますさんはねこますさん自身の魅力と先駆者ゆえの人気だろうし、自分がやっても誰も見向きしないでしょ……」

そんなわたしがVTuberになろうと決意するキッカケは、たった2本の動画でした。

「バ美肉」との出会い


まず1つ目の動画、のちに「バ美肉」という言葉の代名詞となるマグロナちゃんの最初期のTwitter動画ですね。

このツイートがタイムラインに流れてきて「ほーん、ボイスチェンジねぇ……でも中身おじさんでしょ?まあ聴いてみるけどさ」と再生したのが2018年地獄の始まり。
マグロナちゃんに人生狂わされた人はわたし以外にも数知れないほどいるんじゃないでしょうか。

何が衝撃だったかって、声フェチを自認するわたしの好みどストライクな声だったわけですよ。
「ボイスチェンジャーすげぇ、何がどうなってこんな可愛い声が出るんだ……?」と気になって他の動画を見に行ったら、まぁ動いてるマグロナちゃんの姿がまた可愛いのなんの。

そんなわけで、バーチャル美少女セルフ受肉ボイスチェンジおじさんにドハマリしていくわけですが、ここではまだ自分が美少女になれるという事に気づいていない……じゃない、美少女になろうとは思っていませんでした。

VTuberの可能性の片鱗に気付く

2つ目の動画、これもマグロナちゃんの動画です。
魂のゲーム:R4 RIDGE RACER TYPE4

この動画を見たときに気付いたこと。それは「好きなゲームを楽しくプレイしているだけで視聴者が集まる」という衝撃。

わたし自身の感覚ですが、それまでのゲーム実況というものは「そのゲームが好きだから・自分もプレイしているから見る」ものでした。
あくまで「特定のゲームの動画」を見に行くというスタンス。その実況者さんが面白いと感じればその人の他のゲーム動画も見に行くかもしれないけど、自分の興味のないジャンルのゲームなら見ないかもしれない。

ところがこのマグロナちゃんの動画にはやたらとコメントが付いているわけですよ。レースゲーマーって割とニッチなほうだったよね?君たち今までどこに居たのさ?
さらにはコメント欄に「リッジレーサー知らない」「やったことない」なんて人もちらほら。

「なるほど、VTuberのファンは推しのやってるゲームなら未知のジャンルでも見に来るのか……」そんなことを思いながら動画を見ているとついにレースが始まります。

VTuberになるぞ!と決心した瞬間

楽しそうにリッジレーサーをプレイするマグロナちゃん。
「この曲がすごくいいんだよ」「車のグラフィックが当時にしてはかなり凄いんだよな」って語ってたり、レース中に「ぶつけんなよおまえ〜!」って言ってたり。「やーだ!やだ!」ってコンテニューしたり。

これ、中身ただのレースゲーマーじゃん!

「絶対同じ事をおっさんがやってたらこんなに再生されないしコメントされないだろ……」と思ったそのとき、ふと気付くのです。
かわいいアバターを用意してかわいい声を出せれば、自分でも近いことはできるはず……

当時のわたしの頭の中はこんな感じでした。

【アバター】
自分では絵は描けないが、イラストレーターさんにちゃんと依頼をすればお金次第で解決できそうな気する。
【声】
恋声ってフリーソフトで、適性さえあれば十分女の子の声になるらしい。
【ゲーム実況】
ゲームは毎週末やるし、ボイスチャットしながら対戦するゲームもやるから喋りながらプレイはできそう。

さて、この瞬間、すべてのピースに目処が立ちました。立ってしまったのです。

(この後、Windowsが無いがためにマンガ喫茶にヘッドセット持参で恋声適正を確かめに行ったり、「VカツキャラのLive2D&FaceRig移植」解説をしている夏乃ユウキさんによって自力で受肉を目指していくのはまた別の話。)

わたしの考える「バ美肉」の持つ可能性

わたしたちが世界を認識するために使用する五感。
動画の世界では視覚と聴覚の2つを使うわけですが、画面上でイキイキと動く美少女と、もはや女の子の声にしか聞こえない音声。

こうなってしまえば画面の向こうに本当はおじさんが居としても関係なく、わたしたちの認識上は美少女なわけです。
「バ美肉おじさん」という予備知識があるからおじさんやぞ〜ということが分かっているだけで、五感が受け取っている刺激におじさん要素は存在しないのです。

さて、これが何を意味するのでしょうか?

わたしたちが人とコミュニケーションを取る上で、どんなに綺麗事を言っても、相手の内面だけを知るということは不可能です。
たとえば初対面の相手に対して、相手がどんな人間かという内面だけを覗き見ることはできません。
見た目や話し方、声のトーンなど、第一印象にはその人の話している内容以外の影響が必ず入ってきます。

わたしの考える「バ美肉」の持つ可能性。
それは、外見や声だけでなく、性別でさえもリアルに縛られず自由に変えられるということ。
すなわち、相手に対して自分の意図した第一印象を与えられるということ。自分が意図していない印象を塗り替えることができるということ。

自分が求めた外見・キャラクター設定。
これはバ美肉以前のVTuberであっても、何ならVTuber以前のインターネットであっても可能なものでした。アイコンと文字だけで自己表現をするTwitterであったり、装備とテキストチャットのMMORPGであったり。

これが、ボイスチェンジャーによって一気に実在性を増すのです。絵と文字だけの存在から、こちらに語りかけてくる会話できる存在へ。
あたかも実在するようにふるまう存在」としてのVTuberはついに、ボイスチェンジャーによって性別の壁をも超える。

現実、息苦しくないですか?

リアルにおいて、自分が望んていない扱いを周りから受けたことってありますよね。きっと誰しも人生一度はあるはずです。

他者がいる限りすべてが自分の思い通りにははならないのは当たり前。
しかし、望まない扱いを受けた際、わたしたちはどんな対処ができるでしょうか。反抗する?我慢する?逃げる?

反抗して失敗したら立場は悪化します。我慢し続けたら心が壊れてしまうかも知れない。逃げる……逃げることなんて、できるのでしょうか?

家族との血縁、学校内のスクールカースト、部活の上下関係、職場の役職。リアルでの関係性の大半は環境に依存し、環境は基本的に一度決まったら変えるには莫大なコストが掛かります。
血縁は一生、学校は入学から卒業まで。職場も転職こそあれどそう簡単に変えられるものではない。

さて、あとから変えるのが大変なら失敗しない選択をしなければいけない。
しかし、わたしたちは自由意志によって環境を選択することができるのでしょうか?
経済的事情・地理的環境・学歴・職歴・性別・身体能力・健康……

わたしが思うに、現実世界の自分というものは様々な呪縛によって雁字搦めにされているのです。

バーチャル存在の真価

そんな世知辛いリアルを生き抜かなければいけないわたしたちですが、
もし、何の制約もなく、自分のなりたい姿になれる空間があるとしたら
それがバーチャル存在になることの、価値の1つ。

ただ、それだけじゃないんですよ。

自分に都合の良い箱庭にするにはバーチャル空間は広すぎる。
VRChatにしろclusterにしろバーチャルキャストにしろTwitterにしろ、わたしが理想のわたしで居るように他の誰かもまた理想の姿で存在する。

バーチャルな社会がそこにある。

バーチャルな社会・コミュニティの価値

それは、しがらみが無いということ。

当然、バーチャルとはいえ社会がある以上、バーチャルな存在としてのしがらみは有るでしょう。しかしそれはリアルの自分と直結していない。
無理に我慢しなくとも"最悪"そのバーチャル人格を切り離せば自分にダメージは来ないんです。

合わない人が居たなら移動すればいい。自分の姿がしっくりこないならアバターをアップデートすれば良い。どうしても違うなと思ったらいつでも離れることはできるし、いつだって帰ってこれる。

こんなに自由に選べるコミュニティがリアルに存在するだろうか。
失敗できないリアルと違い、いくらでもやり直しが効く。それこそがバーチャル存在の真価。

リアルでは晒け出せない自分を、リアルの自分と外からは紐付かないバーチャル存在として晒け出す。
失敗してもよいバーチャルな社会で試し、上手くいったらリアルにフィードバックする。今度はリアルでの経験をバーチャル存在としての活動で試す。

ここは現実から逃げ出した先の箱庭ではなく、それぞれが真の姿で試行錯誤する「もう一つの世界」なんだ。

バーチャル存在になるということ

さて、わたし自身の話に戻しましょう。
正直、わたしがVTuberになろうと思ったときの心境は、こんな感じでした。
「職場で不服な立場に甘んじ、仕事が忙しいせいでそれまでの友人と連絡が取れず、VTuberの動画を見る以外面白いことがない」
「自分の好きなゲームを遊んでるところを配信して、ファンができて一緒に対戦とかできたらいいな」

そんなわたしにも、Twitterアカウントを作って4ヶ月ほど過ごす中で変化が起こっています。
仲良しなフォロワーさんがいる。デビューしたらコラボしようね、なんて話す。
たまに顔を合わせるような間柄のフォロワーさんであっても、デビュー楽しみにしてるよなんて言ってくれたりする。

みんなが待っているから、わたしはよくわからないLive2Dを必死に勉強するし、毎日Twitterに顔を出す。

わたしが「ゼロから始めるVTuber」と名乗っていたのは、最初にお話ししたように機材もお金も経験もないところからでも始めてやるぞ!という意思表示でした。

そこに、今ではもう一つの想いが宿っています

たとえゼロから作ったTwitterアカウントであっても、自分からフォローして絡みに行けばV界隈の人は温かく迎え入れてくれたという証。

そしてこれから、何も無いところからわたしがVTuberになっていく、その過程を記録に残していくつもりです。

「ゼロからのスタートでも、ここまで行けるんだぞ」というわたし自身の信念を証明するために。

まだ何者でもない“あなた“へ

VTuberって、多種多様で個性豊かな存在が、数え切れないほど日々生まれている世界ですよね。
何者でもない自分が入っていっても埋もれてしまうのではないか。という不安は常に付きまとうでしょう。

でも。

何者でもないからこそ、バーチャルな世界に飛び込む意義があるとわたしは信じています。

無理に何者かになろうとするロールプレイではなく、自分自身を探しながら自己表現していく場としてバーチャル世界を捉えてほしい。

少なくともわたしは、等身大の自分=想間ミレイとして、これから活動していこうと思っています。
いつかわたしの背中が、誰かの救いになると信じて。

おわりに

さて、 Virtual Advent Calendar 2018 は様々な文章・動画によって彩られてきたわけですが、みなさんの2018年はどんな一年でしたか?
もしよかったら、Twitterでもnoteでもブログでも動画でも、なんでもよいから形にして発信してみませんか?

「やらなければ、はじまらない」

あなたの想い出を、アイデアを、信念を。心の叫びを。
あなたの頭の中にだけ閉じ込めておくのはもったいないですよ。

25日間繋がれてきたアドベントカレンダーは一旦ここで区切りとなりますが、これを読んでくれたみなさんが自分なりの2018年を振り返り、どんな2019年にしたいかを、また繋いでいって欲しい。

そしてその先に、来年も同じように、いや今年以上にV界隈が盛り上がった状態で Virtual Advent Calendar 2019 が開催されますように。

🎄Merry Christmas!🎄
そして、皆さんが最高の2019年を迎えられますように。良いお年を!

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