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大人って、孤独って

大人は信じてくれない 
こんな孤独でいるのに 
僕が絶望の淵にいるって思ってないんだ

欅坂46の『大人は信じてくれない』を「うんうんわかるわかる」って聞いてたんですが、5ループくらいした時に「ん?」ってなりました。

私もオトナじゃない?


たしかに私も「絶望の淵に立つ僕」だったことがあります。

けど、なんでそこに立っていたのか覚えてないんですよね。

中学、高校なんてつい最近のことのような気がするのに、全然理由を思い出せない。


そもそも大人になるってどういうことでしょう。

私が最近たどり着いた結論は、自分が「大人だと思っている人間」を同じ「人間」として認識すること、です。

人に物を拾ってもらいながらありがとうと言えないオヤジや、人の足を踏んでおきながら謝らないババアに会った時、「こういう大人にはならない」と思うのはもはや生理現象ですよね。

けどここでいう大人とは、そんなどうでもいい(二度と会わないという意味で)人ではなく、もっと身近な大人のこと。

親や先輩や先生とか、距離が近い人であればあるほど、「大人」ではなく「人間」として認識するのって困難になると思います。

なぜなら彼らは自分がずっと「子ども」として接してきた「大人」だから。

こちらが子どもとして接すれば、自然と相手は大人として対応してきますよね(その逆もしかり)。

生活態度にはじまり、学校の成績、交友関係、食事など、子どもを正す存在として、すべてをコントロールしようとしてくる。

そして、その支配に違和感を覚え、反発するのが反抗期なんだと思います。

子どもは思春期を経て、ようやく大人だと思っていた人を同じ人間として認識し、子どもからひとりの人間になるわけですよ。

認識の時期は人それぞれですが、(これはあくまで私の見解ですが)同年代で「成熟しているな」って思う人ほど、その認識が早い気がします。


ちょっと話は変わりますが、私には訳あって学校に行けない従兄弟がいます。

「訳あって」と書きましたが、私はその「訳」を知りません。

彼の母親も父親も姉も友人も先生もカウンセラーも、その「訳」は知らない、わからないそうです。

だって彼、とにかく多趣味で、人当たりはいいし、はたから見たらめちゃくちゃ人生楽しそうなんですよ。

小さい頃から読書が大好きで、将来は首相になるとか言ってたかと思えば、中学からはアメフトをやったり、映画のシナリオを書いてみたりしてて。

けど、突然物に当たってしまったり、朝起きれなかったり、家から出られなかったりしているそうです。

叔母から様子を聞いて、私は彼に過去の自分を重ねました。

私は彼のように人当たりは良くないし、勉強はとにかく嫌いだし、365日中360日楽器を弾いているような中高時代でした。

本当に部活しかしてなかったけど、逆に部活には行けても教室には行けませんでした。

昼すぎに起きて、夕方ころ登校して部活に行くような生活を2年くらいしてました。

教室はとにかく息苦しくて、見えない何かに潰されそうで。

何かの正体も、朝起きれない理由も答えられません、というかわかりません。

けどひとつだけ言えるのは、自分では押さえきれない感情、氾濫する思考に振り回されてしまっていた気がします。

覚えているのは、思考が止められなくて、ズブズブと底なし沼に沈んでいくような、上も下も右も左もない、命綱なしに宇宙空間に放り出されたような感覚。

けどしばらくすると、この絶望的な状況(あくまで頭の内の話です)から解放されて、地に足がついた感覚が戻ってくるんですよ。

何を言ってるんだと思うかもしれませんが...

 #IfTheMoonWereOnly1pixel

ここで欅坂の『大人は信じてくれない』の話に戻りますが、この曲に「孤独」の理由、「絶望の淵に立っている」理由って書かれていないんですよ。

"誰も探してくれない"、そういう状況になったのはなぜか。

"Believe me I really wanna die"、そう思うのはなぜか。

意外なところに答えは書いてありました。

欅坂46のデビューシングル『サイレントマジョリティー』です。

君は君らしく生きて行く自由があるんだ
大人たちに支配されるな
初めから そう諦めてしまったら
僕らは何のために生まれたのか?

支配から解放されたいけど、大人に見てほしがってる。

夢見ることは時には孤独にもなるよ
誰もいない道を進むんだ
この世界は群れていても始まらない
Yesでいいのか?
サイレント マジョリティー 

誰もいない道を進みたいけど、絶望の淵で孤独を感じてる。

そして、相反するふたつを強く望めば望むほど、思考は離反していく。

この相反する思考への渇望こそが、かつての私や従兄弟を苦しませた「理由」だと思います。


最後に、大人とはって話をさせてください。

大人の皆さん、最後に褒められたのっていつですか?

先日、就活で行き詰まっている後輩に対して自分が放った一言に(自分で)衝撃を受けました。

「自己否定してたら仕事なんてできない。誰も褒めてなんかくれないんだから」

考えてみてください。

学校っていい成績を出せば褒めてもらえるんですよ。

テストは定期的にあるし、数字っていう便利な指標のおかげで自分の成長が目に見える形で表せます。

けど、仕事ってそうはいかないですよね。

営業は数字とかあるかもしれないけど、1番にならなきゃ表彰されないし。

大きな契約とってきても、その時は褒められるかもしれないけど結局その後プロセスに大きな数字っていうのはなく地道な作業が続くだけだし。

ライターもシェア数とかあるけど、いい数字出てもわざわざそれを褒める人なんていないし。

結局褒められるなんてこと、大人にはほとんどないと。

大人って、自分で自分を褒められる人間のことだと思うんです。

自分を褒め、奮い立たせて、なんとか1日を生き抜いてる。

そんなことを毎日繰り返してたら、なんで中高で絶望してたかとか、楽器にハマってたかとか、忘れちゃうんですよ。

大人は判ってくれない
胸が苦しいことさえ…
そうさ 自分が子供の頃を忘れているんだ
The past. Memories are fading fast you’re losing control

とは書きましたが、忘却は仕方ないと思います。

生きづらいと感じている人が生き抜く術として使える最高の防具のひとつだし。

けど、人に物を拾ってもらうのも当たり前と思い、人の足を踏んでも気がつかないふりをする。

こんな"大人"にはなりたくない。

追記
『欅って書けない』とか、電車にいる女子高生見てても思うんですが、あの年代の子たちって変じゃないですか?
意味わかんないタイミングで笑うし、行動不審だし、落ち込む理由もよく分からない。
けど、これが分からない時点でわたしは大人なんだろうなって思うのでした。

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