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ひねくれたフォームで放つ、まっすぐな音楽。本日休演、企画ライブ『旅行 vol.1』レポート。

観客の視線が、さまざまな角度からステージに注がれる。演奏する者と観る者。純粋な熱量の衝突がここで起きている。ライブハウスとはとんでもない空間だと改めて感じた。

フェスとか、大きめのライブイベントとかに、関係者受付から入ってしまうのはあんまりよくないことだ。人がかたまりになって強い思念と化す、ライブのそういう効能を発揮するにあたって、150人をキャパとする箱のサイズ感がベストなのかもしれない。

本日休演の企画ライブ『旅行 vol.1』。この日、下北沢のライブハウス近松に、本日休演、Gateballers、SaToA。ラヴミーズ(o.a)4組のバンドが集まった。

オープニングアクトから終始満員。ドアのすぐ前まで、それぞれの切実さを漂わせる背中がぎっしり。シーンという言葉でくくられる半歩手前、ゆげのたつ黄身のようにあたたなかい、音楽の胎動をそこに見た。

死は、常にそばにあるもの

「え、いきなり?」という風に、ノーMCではじまった1曲目は「けむをまこう」。レゲエ、もしくはダブのようなもったりとしたリズムで、気づくと幻想のなかへ足を踏み入れている感覚。「もやっとけむをまこう」という繰り返しのフレーズに揺れていると、どんどん気分にも靄がかってくる。リヴァーブのきいたギターは日常と非日常の境界線を行き来する歌詞を上手に引き立たせ、ライブハウスはまさしくパープルヘイズ。立ち込める吐息と体温はゆるやかな煙となって充満してゆく。

「京都からやってきました。三日前に免許をとってきたんですけど、運転していると…死の恐怖を感じますよね。それは常にあるものだけど、こういう機会に味わうのもいい。免許とってよかったです。」

シニカルな発言に、会場は小さく親密に笑う。この言葉に、急逝した埜口の存在を想像せずにはいられないが、本人たちはあっけらかんとしていた。死は常にそばにあるもの。そういう死生観が常に彼らの中にはあるのだろうか?宗教というものは、すべからく死への恐怖から生まれたんだって、誰かが言ってたっけ。

彼らのストレートは独特な軌道を描く

ジャパニーズロックという言葉はずいぶん手垢がついてしまっているけれど、「すきま風の踊り子」は、日本語が形作ってきた文化を借りる日本的なロックで、宮沢賢治のような節回しを随所に感じる。バンドのアイデンティティと直結した一曲と言えるだろう。

そこに演奏自体のアグレッシブさが加わることで、一筋縄ではいかないロックとしての魅力を強く放っている。バラバラに飛散しそうなアドリブのあとに、ふたたび集積する「ダンドゥリンダ/ダンドゥリンダ」。秩序と混沌を行ったり来たりして気持ちがいい。

アレルギーについてのファンク、と前置きして披露した「アレルギー」。往年のハードロックらしいミュートの利いたリフが印象的な「アラブのクエスチョン」と、タフな楽曲が続く。シティポップのシ、の字も思い出さない様な、80年代的なサウンド。いなたいんだけど、洗練を感じる。

「本日休演」という名前自体が皮肉を帯びていて、そのささくれのような違和感はすべての楽曲に通じるキーワードなのかもしれない。ルーツミュージック(ハードロック、ガレージロック、カントリーロック、サイケデリック、ダブ、スカ、etc)に符号しながら、一つのジャンルに収まらないよう、それぞれ静かな逸脱が行われている。

音楽の歴史に対して上手に距離をとったり、近づいたり、無意識のようにも思えて、絶妙な計算にも見えるけれど、彼らのストレートは独特な軌道を描く、というだけなのだろう。

「最近、チルって言葉使っちゃうんですけど、ださいなあって思って(笑)。でも、こんな世の中、チル、必要っすよね。」という岩出のボソボソとしたMCに導かれたのは「夜明け」。夜という特別な時間について思いを馳せる、どこまでも切実で当事者的な楽曲。「思い出から出て行かなくちゃ。」という歌詞には、「チル」という言葉のどこか第三者的の目を意識する感覚よりも、もっと切実な願いが宿る。

わかりやすさへの拒絶とまっすぐひねくれるスタンス

アルバム「I LOVE YOU」の一曲目にあたるサイケデリックソング、「寝ぼけてgood-bye」の演奏の後、岩出が話したことには、彼らのスタンスや直面している課題が、端的に表明されていた。

「なんか最近、バンドって難しいなって思ってるんですけど…今日企画ライブをやってみて、4者4様の答えがあって素晴らしいなって。じゃあ、後二曲です。」

ねじれた葛藤を抱えながら、それでも音楽という出力の中で、生きることに折り合いをつける。生きにくさがそのまま伝わる様な、だからこそそこに思考の層が見えてくる様な、そんなMCだ。

「秘密の扉」、「ごめんよのうた」。そしてアンコールで「たましいの置き場所」。明るさの中に、どこかニヒリズムや仏教的な死生観が感じられる三曲。

ダブルアンコールのラストソングは、「全てにさよなら」。リズムもコードもギリギリまで振り切ったプログレッシブな混沌の後に、ドラマチックで壮大な調和が訪れる。言葉にすると陳腐だけど、宇宙を感じた。リフレインする「さよなら」とともにライブは終了。

クラブミュージックが君臨した2000年代。ロックミュージックはどこか陰鬱なものとして日陰にいた。2010年代も後半に差し掛かり、バンドというフォーマットに再び光があたっている。往来の中心を歩くバンドも増えてきた。

それはどこかコマーシャリズムだったり、記号的だったり、ファッション的だったりするけれど、「本日休演」のライブで強く感じたのは、そういったわかりやすさへの拒絶であり、まっすぐひねくれている、というスタンスであり、そしてそれを支持するたくさんの観客の瞳の熱っぽさだった。

この密度の濃い音楽が、これからさまざまな場所へ広がってゆくなかで、どう変化するのだろう。あるいは、しないのだろうか。ひとつの萌芽がここにある。


文・長嶋太陽
写真・櫻井文也


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