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京都暮らしの春巡り。近所の名所・東寺と六孫王神社を定点観測

京都には本当に多くの桜の名所がある。どこに行こうか、どのように過ごそうか。選択肢はたくさんある中で、逆にたくさんあるからこそ、途方もない気持ちになり、選択疲れに陥ってしまう。

去年の桜の時期はというと、鴨川(賀茂川)でひたすらピクニックをしていた。お寺や神社を巡るわけでもなく、ただ目の前の景色をうっとりと眺めているような。

今年はどのようにして過ごそうか。引越した関係で、大好きな鴨川が遠くなってしまったし、観光客が例年以上に多い今年はなかなかゆっくり過ごすことはできないかもしれない。けどやっぱり、季節の移り変わりの美しさは肌で感じていたい。

というわけで、今年は近所の桜の名所の定点観測を楽しむことにした。桜が咲く前から、咲き途中、そして満開へ。歩いて行ける場所に、東寺や六孫王神社があるので、散歩のついでに何度か様子を確かめにいった。近所だからこそ楽しめる、春の過ごし方。いつも何気なく見ている景色でさえ、刻一刻と姿を変えていくことの美しさをじんわりと感じることができた。

東寺

3/22 まだ蕾もない枯れ木の様子
4/2 五分咲きくらい…?
4/7 満開&青空に…!

六孫王神社

3/22 まだ枯れ木の様子
4/2 少しだけ先始める
4/5 夕日に照らされた景色
4/7 満開&青空に…!

定点観測をすることでの気づき

定点観測をするのは、結構面倒くさい。同じ構図で撮り続ける。同じ場所に何度も通う。ほとんど変化がない景色も見届ける。辛抱強く、少しずつの時間の進みを少しずつ観察し記録するのだ。

けれど、少しずつの地道な観察という点が、点と点を結び線になるときには、その場所が前よりもうんと大好きになっている。変わらないと思っていた日常が、実は少しずつ移り変わっていること。季節によって色が変わること。訪れる時間帯を変えることで太陽の光の入り具合が違って景色すらも別の場所のように感じること。一度訪れただけでは分からない、定点観測をするからこその気づきがある。

桜の時期が終われば、しだいに葉桜へと移り変わる。生命力がみなぎるような瑞々しい新緑の季節へバトンタッチ。秋には桜の葉が紅葉し、赤の景色が広がって、冬には枯れ木となる。そして、桜の蕾が顔をのぞかせる。

当たり前のように繰り返される、季節の巡り。けれど、当たり前にはしたくないな、と強く思う。

桜の季節になれば華やかさただよう景色に酔いしれて、新緑の季節にはまばゆいばかりの緑を集める。秋になれば肌寒さとともに赤く染まる景色に目を細める。冬の澄んだ晴れの日には、枯れ木を眺めながら春の訪れを待ちわびている。

そんな巡りの一つひとつを、ちゃんとこの目で見て愛せる人でいつまでもありたい。


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