ときどき思いつくままに書いてみる。今日の月は、いつも以上に輝いて見えた。

なにかを綺麗に書こうとすると、浮かんだ言葉がどんどん変化して、もとの形から遠ざかってしまう。

昔から、自分の感情を、ピタリと当てはめることのできる「形容詞」をずっと探しているけど、いまだによく分かっていないところがある。

ボキャブラリーを増やさねばと、常々思ってはいるのだけれど

ボキャブラリーって10代のころに形成された土台から、その後はそんなに増えることはないんじゃないかなとも思う。

物の見方や、社会人としての言葉遣いとかそういうのは、経験とともに得ていくものがあるけれど、根本にある「自分がよく使う言葉」って、そんなに変わらない気がする。

口癖みたいなもんか。

それが土台になって、繰り返されるなかで、自分が形成されてって、きっと思考や生き方にも影響していくんだろうな。

そういえば10代のころは、すごく口が悪かった。

まあいまも口は悪いと思うんだけど、親や兄弟に対してもひどい言葉を沢山言ったし、友達のこともズバズバ傷つけるようなこと言っていたな。

言っていいことと悪いことがあると、どこかで分かってはいたけれど、あの頃の自分は自分の感情をコントロールできずにいた。

悲しいも苦しいも寂しいも腹立たしいも、すべてがただ「うざい」とか、チッていう舌打ちで、乱暴に一括りにしてしまっていたように思う。誰彼構わず攻撃的になっては、傷つけていた。

そう考えると、いまはあの頃よりは冷静に自分の感情を見つめる余裕が持てるようになったのかな。これは成長と呼んであげたいな。

自分の言葉を持ってるんだな、と感じる人が素敵だなと思う。

ただ繰り返し使うだけの言葉じゃなくて、その人の五感をもってして生まれたであろう、その人だけの言葉。感情やその人の視線がそこにはあって、人間味を感じるから魅了的なんだろう。

ときどきそういう人に出会うと、「あっ」と思う。

私も、自分の言葉で自分を表現したいなあ。

とか言って、なんだかこの言葉も、自分の言葉じゃなくて、誰かの言葉の使いまわしのように思えてしまうんだよなあ。

言葉だけじゃ足りないから、歌ったり、絵にしたり、写真を撮ったり色々興味が出ているんだろうけど。

って、それらすべてが私になるんだな、きっと。

いまなんか納得した気がする。

そんなこんなをつらつら書いてみた今日、さっき夜空を見上げたら、真ん丸の黄色い月が輝いていて、眩しいくらいだった。

もうすぐ2019年が終わる。去年の今頃は、短期バイトを転々としながら心をすり減らし気味で、寒い冬を過ごしていたな。

いまはまた随分(自分としては)地理的にも心理的にも遠い場所に来た気がする。去年の自分と比べて。よきよき。笑

来年はどこにいるかな?

もっと色んなものを見たいし、まだまだ色んなことやりたい。

色んな人に出会いたい。怖さや不安は相変わらずあるけど、心がワクワクするような計画も沢山頭のなかにある。

2020年のNew Year's Resolutionsをあれこれ考えながら、ドキドキしている。

同時に、2019年、年末まで残りわずかだけど楽しくハッピーに過ごしたいぜ。

あ、そうだそうだ、お借りした写真の満月が美しくて、また心がすうっと癒されてくように感じた。素敵な写真だ。




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