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「未来が見えない」という、孤独と希望

去年のクリスマス、何をしていたっけな?ということを振り返る。

特に何か派手な思い出があるわけではなく、今年もいたって平凡に過ぎ去ろうとしている。

ただ、来年、何をしているかなと考えると、少し足が、すくんだ。

未来を思う時、未知なる出会いとか今考えていることの変遷に、心を高鳴らせることがほとんどだ。

太陽の位置に合わせて影が伸びるように、今の自分から染み出て行く現実と積み上げた先にある未来は、言葉を選ばずに言えばおおかた想像できたとも言える。

けれど、来年は。

再来年に遠くへ飛ぶための、その助走期間の一年にすると、決めた。

もう逃げない、と腹を据えたのは、まだ油断すると涙がはみ出てしまうあの日、あのとき、観た映画が、あのスクリーンで観た目が、音楽が、色彩が、怠け心に甘えそうになるわたしに発破をかけてくるから。

“自分次第”という自由が、海みたいに広がっている中へ、丸腰でドボン、と飛び込もうとしている──そんな心持ち。

こんなに不確かで、こんなに自由で、こんなに自分ひとりきりだと感じたことは、今までなかった。

ひとりきりでいられるのは、周りに助けてくれる人たちがいるからなのだけれど、選択した未来を築いていくのはどうしたってわたし自身の手足しかない。誰もわたしの代わりを生きられない。

やったらやった分だけ、泳いだら泳いだ分だけ、潜ったら潜った分だけ、体も頼りなくなりつつ届く世界も広くなろう。

「来年のクリスマス、どういう状態で在るか、まったく想像できない」。

こんなことは、初めてだ。

未来に立ち向かって足がすくむ、その感覚を、恥じる余裕すらない。

それでも、わたしはこの岐路を、いつか直面するものだと心のどこかで知っていたようにも思う。

うまくいくかなんてわからない。

なにもかも、失くしてしまうかもしれない。

それでもいい、とも、思わない。できるなら今まで得たものは失くしたくないし、心と体の安全はしっかり保障されたところで暮らしていたい。

それでも、もう呼ばれてしまったから。

見つけてしまったから。

足がすくむ未来にすら、武者震いするくらいのところまで、いよいよ来てしまったようだ。


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