横顔がきれいな人になりたい

美人の定義はいろいろある。

美人は3日で飽きて、ブスは3日で慣れるという言葉もあるけど、美しいものは時間を経て古く、渋くなっていくほど厚みが増すものだと思うから、飽きないと思うのだけど、どうでしょうか。時間の経過を感じられるものは、切ないけど、美しいと思うのです。変わらないものは、つまらなくて怖い、と感じることがある。

今まで出会ったひとのなかでも「このひときれいだなあ」と思うひとが何人かいて、そういうひとは、歳をとるのを楽しんでいるひとだった。

女性は特に、年齢とともに見た目が変わっていくからか、老いとは見苦しいものだと思って抗おうと、上手にごまかすひともいれば、時の流れに身をまかせるひともいる。身をまかせるひとの場合は、決して放置しているわけじゃなくて、そもそも老いが見苦しいものだと思っていないのだと思う。

そして、わたしが「すてきだなあ」と思うひとは、横顔がとにかく美しい。見とれるほどキレイ。でも、見惚れるとちょっと気持ち悪るがられるので、チラ見するようにしている。

何がどうきれいかって、目鼻首筋のハリが違う。時々その目は戦っていて、堪えていて、慰めていて、怒っていて、泣いていて、見守っていて、求めている。

だから俯向く時も絶望しない。わたしはすぐ、たまの「さよなら人類」が頭の中で流れ出してニヒルな笑いを浮かべてしまいそうになるけど、横顔がきれいなひとたちはニヒルさえ飛び越えていく。

目の色が変わって、輝きが変わって、肌もだんだん垂れてくる。それでも目線は遠く遠く。自分の体の老いには、耳を傾けながら視線は決して落とさない。

なーんて、孤独なひとだろう、と思う。でも、とてもきれいだな、とも思う。

でもひとつ、気づいてしまった。

わたしがきれいだな、すてきだなと思っているひとは、決してわたしの方は見ていないということ。みんな、何かにまっすぐと視線を据えて、わたしはその視線の先にいない。

それは時々、とても切ない。わたしはほおけた顔して隣にいるのに、隣のそのひとは、わたしの視線には気づかない。それくらい、目線の先のものをじっと、何かを掴み取るように見つめて動かない。

横顔がきれいなひとになりたい。わたしも並んで自分の見据える先を追いかけたい。

たとえ同じものを見つめていなくても、べつにいい。わたしはその人とは違うから、同じ未来へはたどり着かないし、求めていないと思うから。

きれいなそのひとが、こっちを見てくれていなくても、気配が支えになればいい。わたしも隣のそのひとの気配を糧に前を向きたい。

だから、横顔がきれいなそのひとも、視界の外から支える気配に、気づいて答えてくれるといいなと、横顔を見つめていた顔を前に向き直して、そう思う。

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