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恐竜に乗って宇宙へ浪漫飛行に出たい

まことにどうでもいい話なのだけれども。

わたしは昔から宇宙と恐竜の話を聞くのがすき。恐竜はマイアサウラという草食恐竜がすき。おだやかな恐竜として紹介されることが多くて、育児を初めてした恐竜と言われている。

そして、さらにまた全然関係ないが、わたしは7歳くらいのとき、自分は他の星から来たのだと本気で思い込んでいた。わたしと、わたしの周りにいる友人も、実は他の星からやって来たお姫様で、地球に修行に来た同志だった。

わたしたちは、自分の星の時間軸で動いた。もちろん、地球の時間は守らなければならないので学校に行くし、遊ぶけれど、自分の星のルールにのっとれば、おやつの時間はちょうど地球の日本時間に置き換えればわたしは下校している時間だし、眠たい5時間目の授業はお祈りの時間だった。だから多少目をつむっても、わたしにとっては問題ではないのだ。

自分の星では、空を飛ぶこともできた。わたしは地球で日々学校と家を往復しながら重力のある暮らしを楽しんでいた。

いつからわたしは根っからの地球人になったのか定かではないけれど、宇宙の果ての果てに思いをはせることは、今も変わらない。

中学生になってもそう。毎年恒例のキャンプの目玉であるキャンプファイアーの企画係として薪を組んで火をつけた。徐々に大きくなる火を見ながら、もし、これくらいの光をたくさん集めたら、宇宙へ届くかな、誰かがわたしたちの集めた光を見つけてくれるだろうか、もしかしたら夜空でキラキラしてるいくつかの星は、わたしが考えているのと同じように、光を集めて星の外へ発光させているのかもしれない、ということを考えた。

だから今でも、わたしは夜空を見上げると、あの星のどれかは、人工的に光っている星かもしれない、と思う。同時に、わたしがこの星を見上げているとき、その光を作り出したひとたちは全員死んでしまっているかも、とも思う。

生きているかもわからないひとの死を憂えるなんてナンセンスだけれど、火星で水が見つかったとか、太陽が2つある惑星があるとか、そういうニュースをきくたび、ああ、やっぱりわたしたち以外の生命体は、わたしたちの行けない世界で着実に同じ時間を刻んでいるのですねと思うと、幾つかあるパラレルワールドのひとつを生きている心地になる。

もしかしたら、氷河期の地球のような惑星があるかもしれない。もしかしたら今のわたしたちが1000年後に過ごすような世界を今まさに何者かが暮らしている惑星があるかもしれない。そして、恐竜たちも今、宇宙のどこかで暮らしているかもしれない。

わたしが今生きているこの時間、この瞬間も、どこかでもうひとりのわたしが、同じことを書いているかもしれない。

恐竜と宇宙のつなぎめ。その間にわたしたちは生きているかもしれない。

最近、こういう摩訶不思議な想像の世界であそぶこと、していなかったなと思ったので、書いておく。

これは、フィンランドで見たオーロラ。空の裂け目から、何かが降りてくるようで、うつくしく、そして恐ろしかった。

わたしも宇宙と接するところにいるのだと感じて、足がすくんだ。つなぎめにいるわたしたちは、宇宙に放り出されたまま、生きていかなきゃいけない。

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