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「痛い若作り」にならない方法

一つ前の note で年相応なんかいらないと書いた。
あとから更にこのことを考えてみて、アッと気づいた。
そうか、みんなが恐れてるのは「痛い若作り」だ。
好きなものはいつまでも好き、それはわかるけど、「痛い」と思われるのは避けたい。
それが、例え本人が楽しそうでも、それはちっとも素敵じゃない。

痛い若作りって、そもそもどういう状態だろう?
若くないと似合わないファッションってなんだろう?

例えばJJやCanCamのような赤文字系ファッション
あるいは、K−POPアイドルのようなストリート系カジュアル?

確かにこの辺のファッションは若い子に人気がある。
でも、30代、いやそれより上の世代だから似合わないかというと、必ずしもそうではないと思う。

ただ、年齢に応じてキャラが変わってくるのは否めない。
キャラは雰囲気だけじゃなく、体型なども重要な要素なので、そのあたりの影響は大きいかもしれない。

年齢とともに体型は変わる。
女性の場合、華奢だった人も少しずつふくよかになるし、サイズはキープしていても肉付きが変わってくる。
その代わり、骨ばっていたデコルテが豊かになるし、適度な丸みは肌のハリを作ってくれる。

こういう変化を「老化」とか「若さが失われていく」と言ってしまえばそれまでだけど、若い頃には出せなかった落ち着きや貫禄、重厚感が出せるようになるとも言える。

であれば、こういう諸々の変化を踏まえて、現在の自分に合ったキャラ設定をすればいい。
でも「痛い若作り」をしてしまう人は、変化する自分と向き合えてないのだろう。
若さはもうないのに、それにしがみついて認めない。
清楚な少女性を感じる服、少し子供っぽい可愛さを強調したデザインなどを好むのは、その一例かもしれない。
ということは、若さへの執着がファッションに表れてしまった時「痛い若作り」が生まれるんじゃないか?


痛い若作りも年相応信仰も、根っこは多分同じ。
どちらも、今の自分に自信がない。
だから、楽しかった若い頃に執着しようとしたり、年取ったことで「好き」を諦めたりする。
そういう人たちのファッションは、見ていてなんだか切ないし、悲しくなる。

若さは誰もが等しく失うものだけど、失った分だけ得ているものがある。
それは「経験」だ。
経験は人を形作るものだし、それは見た目や雰囲気にも確実に表れる。

だからこそ、若い子には似合わないパワフルな服も、年を取ったら似合うようになることが多いのだ。
例えば代々受け継がれてきた着物や、職人の手仕事で作られたブランドの服、高価な貴金属のアクセサリーや腕時計などは、若い子にはまず似合わない。
他にも色々あるけど、若さと引き換えに手に入れたもののことを、なぜか忘れている人が多い気がする。


年を取ることって、全然悪いことじゃない。
特に女性は、若さを商品価値のように考える呪いがかかっている人が多いから、年を取る良さや楽しさが見えづらいのかもしれない。

みんな、そんな呪いからはさっさと逃げたらいい。
年を取って、新しい自分と出会い続けるのは、とても楽しい。
この楽しさをファッションで表現すれば、死ぬまでオシャレできる。
若作りでも年相応でもない、私は私。
そう思えればきっと、「痛い若作り」にはならなくなると思うのだけど。



豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。