さよなら、年相応
「年相応に見えるような服を」
「年相応のファッションがかわからない」
買物同行の時にお客様からよく言われる、これらの言葉。
私は、いつもこう答える。
「年相応って、あんまりないんです。大事なのは…」
*
そもそも、年相応って何だろう?
年相応
読み方:としそうおう
別表記:歳相応
年齢に似つかわしいさま。若作りでもなく、年寄り臭くもない様子。服装や髪型などについて言うことが比較的多い。
ー実用日本語表現辞典より
大体、年齢に似つかわしいって誰が判断することなんだろう?
職業相応ならまだわかるけど、年の取り方は人によって様々。
とても判断できるものじゃない。
それでも実際にたくさんの人が年相応を求めてやってくる。
そのココロは多分「周りから浮きたくない」ということ。
30歳ならこんな感じ、40歳ならこんな感じ…という模範解答を求めてる。
でもその反面、自分に似合うもの、ちょっと素敵だなと思われるようなオシャレがしたい。
浮きたくない、目立ちたくないという気持ちとは相反する欲求。
…いや、本当は「浮きたくない」と思う自分がちょっと嫌いなのかも。
人目を気にしながら服を選んでしまいがちな自分にウンザリして、だからといって目立つ方に振りきれるのもコワいから、ちょうどいい落としどころをプロに見つけてもらおうとしているような気がする。
じゃあ、その「落としどころ」とやらはどこなのか?
*
大事なのは、年相応じゃなくて、自分がどう見られたいか。
自分がどう見られたいかというのは、自分のキャラ設定と言い換えることも出来る。
年相応とキャラ設定の違いは、判断するのが他人なのか自分なのかということ。
同じ格好でも「30代の小さい子がいるママだから、動きやすくてカジュアルな服を着なくちゃダメでしょ?」という周りからの目を気にして選ぶのと、
「子供がまだ小さいから、一緒に遊べて、洗濯が楽で、シンプルだけどトレンドアイテムも入れたい!」と自発的な気持ちで選ぶのでは気分がまるで違う。
考えてみれば、年相応という言葉は日本人の同調圧力がたっぷり含まれている。
「30までにそろそろ結婚を」
「子供が出来たらオシャレより子供に手をかけるべき」
「40にもなって膝が見えるスカートなんて」
「TシャツGパンなんて、若い子じゃあるまいし」
「50でこんな色、派手すぎる」
数々の年相応違反を批判するような言葉。
でも、こういうことを言う人が憧れの的になることはまず無い。
誰もが憧れるのは、肩ひじ張らず、自然体で、好きな服を「私はこれが好きだ」と堂々と着ているような人。(*注1)
頑張って尖ったり、無理してオシャレしている人じゃなくて、「自分がそうしたいから」というスタンスでファッションを楽しんでいる人が魅力的に見えるのだ。
私はその時々の嗜好やライフスタイルに合わせてキャラ設定を変えてきたと思う。
20代前半は流行に乗って前髪をパッツンにしてみたり、ボサノヴァを歌ってた時はフワユルなロングヘアでナチュラル感を出してみたり。
菅原小春ちゃんに憧れてベリーショートにしてみたり、会社勤めを辞めた反動で髪をブリーチしてスポーティーかつボーイッシュなスタイルに完全に振り切ってみたり。
一貫しないキャラ設定だけど、その時はそういうのが好きで、そういうライフスタイルだったからで、ブレているわけではない。
自分の「今こうしたい」に素直になることが一番大事だと思う。
くたばれ、年相応。
みんな、なりたい自分は、自分で決めたらいい。
何してると楽しい?どうしてる時がハッピー?
キャラ設定に必要なのは、自分の「好き」を知ること。
「好き」で自分をいっぱいにしたら、きっと人生はもっと楽しい。
(注1)
ちなみに、買物同行で人気がある芸能人No,1は石田ゆり子さんです。
超自然体で、好きなものに囲まれて暮らしている様子がInstagramでも見られますね。
豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。