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私は「楽しかった」と言って死にたい

今日のウェブニュースでこんな記事が出ていた。

日本は確実に長寿国家になってきている。
一見喜ばしいことだけど、急激な長寿化に対応しきれないのが現状でもあると思う。
その不安について、前回こんな記事を書いた。

++埋まらない空白をパートナーは埋めてくれない

戦後からざっと見て、少なくとも30年近く寿命が延びている。
最期の10年は被介護状態としても、20年は普通に生活している可能性が高い。
でも、そんな状況になったのは、つい最近のこと。
誰も想定していなかった高齢期の20年が現実のものになりつつある。
しかも、もしもその20年が一人だとしたら?
その恐怖に駆られて婚活を始める人も多い気がする。

実際、そういう声は婚活カウンセリングの時によく聞く。
でも、結婚してもこの問題は根本的に解決しない。
寂しさをパートナーで埋めようとすると、大抵ベッタリな状態にどちらかがウンザリしてしまう。
ウンザリした方は距離を取ろうとするので、距離を取られた方の孤独は解決しない。
どんなに相性が良くても、パートナーは自分とは違う。
自分の心のすきまは、他者で埋めることは出来ないだろう。

そんなことはない、趣味も感覚も自分に近いパートナーを探せばいいという人もいるかもしれない。
実際にそのように見える夫婦も、いないことはない。
でも、そんな相手に出会える確率はかなり低い。
その低い確率に賭けて相手を探すのは、宝くじが当たるのを待っているようなものだろう。
どんなに円満で仲良く見える夫婦でも、お互いに踏み込まない領域が暗黙の裡にあるはずだ。

++人生の空白を楽しむには

人生の空白を埋める方法。
それは、いつまでも飽きない、しかもキリがない何かを見つけることだ。
学問、芸事、創作、何でもいい。

自分の空白の全てを、パートナーは埋めてくれない。
そもそも、パートナーに先立たれたら、結局は一人になるのだ。

例えそうなったとしても、何かに取り組むことでたくさんの他者と関わるようになる。
ゆるやかな繋がりは、空白を少しずつ埋めてくれる。
だから、出来るだけ年を取ってからも付き合えるコミュニティを複数持ったり、誰かの役に立てるような福祉活動をするのもいいだろう。
その為の準備は、本格的な高齢期に入る前から始めておいた方がいいと思う。

++楽しかったと思って死にたい

最近私は、自分がどんな風に死にたいかを考えている。
具体的には、まだイメージしきれない。
でも、最期の意識が途切れる前に「楽しかった!」と思いたい。
これはもう、絶対に譲れない。

「幸せだった」も「ありがとう」も、「楽しかった」には敵わないと思う。

「幸せ」の中には苦楽のアップダウンを含む気がするし、「ありがとう」は残していく人への気遣いの方が多い気がする。
でも「楽しかった」は誰に対しての忖度も一切ない言葉だ。
私が、私の選択や人生に満足していなければ出てこない。

父は、母に「楽しかったよ」と言い残して旅立ったそうだ。
お父さん、すごいよ。
なんてパーフェクトな人生!
だから私も、父のように「楽しかった」と言い残して死にたい。
そのためにどうすればいいか、具体的なプランはゆっくり考えることにする。

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