見出し画像

ちょっと寂しい隔離正月


ついにコロナに罹りまして、実家の部屋で隔離されたお正月を迎えようとしています。

喉に口内炎の出来物が30個近くあるような(気がする)遠慮のカケラもないような酷い疾患ですね。

口呼吸で寝た翌朝のことを思うと恐ろしすぎて、鼻だけは通っとくれと願えば願うほど、スースーと通りが良かった右の鼻までグジュグジュいいだし、今や両鼻とも鼻水の隙間から酸素を吸えるか吸えないかといった有様となったのです。

作為あるものはすべて失敗するよと、年明けて早々に教えられたような気がします。

寝るにも喉が苦しいし、初日の出をマンションの上の階まで上がってひとり拝もうとしていた年始はじめての計画も頓挫しそうで、あまりに悔しいのです。

どうしようもなくなった私は、この眠れなくなった状況を活かし、尚且つ寝れなかったからこそ書けたよね、というものを残す他ないだろうと腹を括り、今いそいそと30個の喉の出来物の痛みを全身で受けながらこのノートを書いている所存です。

ところで、書き出しはとても惨めなものでしたが、書くものだけは前向きなものが良いなぁと思っております!

また、私の話になりますが、ご容赦ください。
そして今回の文体、一体なんでしょうか。
毎回ちょこちょこ変わるにしても、癖強めですね、コロナのせいでしょうか。


                             - - - - - - - -

離脱ばかりのこれまで

石井ゆかりさんの星読みを読んだのです。
とても嬉しいことが書かれていました、嬉しいとは、まさに!綺麗に!見事に!私の過去の複雑な自分にしか分からないような感覚を的確にまるっと優しく包み込んで書いてくださっていたからなのです。

無料公開されてるので、ほんの一部貼り付けます。

2018年頃から、あなたは様々なものを壊したり、手放したり、自分から分離させたりしてきたかもしれません。これらはひとえに、あなたの思想と価値観に根ざしていました。より自立した自由な生き方を模索する過程で、多くの「離脱」が起こったのです。
2023年、そんな離脱や分解のあとに、実体のあるものが流れ込んできます。理屈で切り分けられて骨組みだけになった世界に、「血肉」と呼べるものが流れ込んでくるのです。スケルトンがボディを得て、動き出します。
石井ゆかりの星読み    

2018年から本当に、目が回るほど色んなことをしてきました。

そこで見つけたこと、出会った人、学んだこと、全部がそれぞれに面白かったのです。

家具屋さん、陶芸教室、人材紹介会社、NPO法人、旅で出会った不思議な人たち、岐阜のおばあちゃん。

全部大切で、うまく言葉に出来ない溢れそうな気持ちがあるのに、私はそれを全部手放してきました。

離脱してきたのです。

なぜか、それは上記の文章にあるように、すべて私の思想と価値観に根ざして来たからです。

ひとつひとつあげればキリがないのでここには書きませんが、吟味してその都度大事に、それはそれは丁寧に選びとったのに、いつもいつもそれを手放さざるを得なかったのです。

私の思想と価値観が、それを手放すしかないという結論に導くのでした。

ところで、出会ってきた人たちもそうですが、実際癖が強いのは私ではないかと、今になってようやくその部分を認めることが出来てきました。

話は戻りますが、手放すのは得意な方です。

いらねっ!ぽいっ!っと割と簡単に出来てしまいます。

勿論、縁を切るとかそういうことをしているわけではなく、自分が退職をして次の場所に移るというだけですが、普通はそれでも名残惜しいとかそういう感覚が少しはあると思います。

ですが私の場合、あまりその名残惜しさがないのです。

バイバイ!と手を振った次の瞬間には、次の行き先のことしか考えていないんです。

勿論、それぞれの場所にちゃんと思い入れがあり、周りの人とも上手くやっていたし、なんなら初めて自分の素を出せたような思い入れのある職場もあったのです。

とても大事で一生の宝だと思える瞬間を過ごしたりもしていたし、そういうエモーショナルな情感に包まれたりもしていました。

それでもバイバイと言ったら最後、もう次!なのです。

それはそれでいいのです。
その時は常に

次!

次!

次!

と突き進んでいくのです。


気づけばいつも新人です。

ここまでくると新人のベテランです。

それもそれで楽しいのですが。


ですがふと、本当にふとした瞬間に心もとなさが襲ってくるのです。

私、大丈夫か?と


専門職でもないし、手に職があるわけでもない、いつも後ろ盾なし、なのに毎度職種を変えてしまう。

あるのはこの身ひとつだけ。

離脱の先に残る虚しさ


これまで私の人生を通り過ぎた人多いなぁ…と。

たくさんお世話になって、辞めて、お世話になって、辞めて…いつまで繰り返すんだろう。

こんな生き方で何が残るんだろう…。

ずっと離脱しまくってきたが故の虚しさと隣り合わせで生きてきました。

この虚しさは唐突にやってきます。

寝る前のまどろみ時間や、いつもと変わらない帰り道、季節の変わり目を知らせる風にのってきたりもします。

ピュゥッ!と吹き抜けては、こんな生き方しか出来ない癖の強い自分をなだめるのです。

落ち込むとか、そんなのではありません。
まぁ、仕方ないよね、という諦めが強いのです。

確固たる癖の強い思想を持ち合わせた運命と思って諦めてきたのです。

ですが、最近、ただフラフラと中途半端に生きてきた訳じゃないことを実感してきました。

ひそかに実っていたもの

これまで数々の職場や、あらゆる場所で出会った人の中で、未だにかなり濃く深く繋がっている人がいるということ。

もしかしたら、大事な数人をピックアップする為に転々としてたんじゃないかなぁ?とさえ思えるほど、今となっては重要な人たちなのです。

そして、そして、その人たちが新たな出会いを運んできてくれているのです。

しかもめちゃくちゃディープで、癖強の私のど真ん中に刺さるような面白い人たちに出会わせて頂けているのです。

気づけばその人たちと過ごす時間が私の活力と言ってもいいくらい大きな存在なのです。

コミュニティとかそういう類の言葉は、なんとなく苦手で、群れるのにも苦手意識があるので、そういう華やかなものではないのです。

(というか、私のど真ん中に刺さってしまう人は基本群れるのが苦手な一匹狼の不思議ちゃん、不思議くんという感じの本当に素朴な人たちなのですが)

ただ道場で稽古をしている時間とか、ただ畑で寝っ転がっている時間とか、そういうのがもうたまらなく幸せでそこですべてがリセットされてしまうのです。

そんな出会いはすべて、これまで転々と場所を変えて生きてきたからこそ繋がったものだということに気づきました。

無駄に遠回りしてきたわけじゃ無いんだなぁと、私のツボど真ん中の人ってそんじょそこらには居ないから地道に転々としながら大切な人のご縁を拾い集めてきたのだと思えてならないのです。

人生で何が大切かって、色々あるけど今いちばんしっくり来るのは、人のご縁だなと。

そういう意味では年収も役職も地位も何ひとつ上がらなかった8年でしたが、私にとっては出来過ぎかもしれません。

一生懸命働くのもよし、転々とするのもよし、働かないのもよし。

何をしたってそこに真摯さがあれば

自分でも気づかぬうちにひっそりと

なにかが実ってしまうものなのでしょう。

今後の抱負


願わくば、今後は地に足をつけたいのです。
これまでの数々の離脱がまた違うどこかで実を結んでくれたらなぁと祈る気持ちです。

2023年、そんな離脱や分解のあとに、実体のあるものが流れ込んできます。理屈で切り分けられて骨組みだけになった世界に、「血肉」と呼べるものが流れ込んでくるのです。スケルトンがボディを得て、動き出します。
石井ゆかりの星読み

こんなにも的確に美しい言葉で、私のことを書いてくれている石井ゆかりさんに本当にお礼を言いたいです。

自分の思想や価値観の構造だけが明確になった。この理屈だけの骨組みに、どうか血肉と呼べるものが流れ込んで来ますように。

長いこと骨組み固めばっかりしてたので、もう動き出したくてうずうずしとります。

                            - - - - - - - -


コロナのおかげで、noteが書けました。
ですが、まだ鼻は詰まっており、喉も絶不調でございます。

初日の出を拝むにも、まだ2時間ほどあります。

このままどうしろというのでしょうか。
とても辛いです。

普段何気なく物を食べられる幸せを年始から肝に銘じろということでしょうか。

大好物のお雑煮が食べられない元旦なんて…。

せっかく前向きな記事になったのに、やっぱり身体がやられていると気持ちも滅入ってしまうものですね。

人生において大事なもの、人のご縁も勿論ですが、やっぱり健康第一なのは間違いがないようです。

それでは、とうとう免れなくなってしまったので、私は喉の痛みと対峙する2023年初夜を迎えるとします。

皆様は良い年初めとなりますように。