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日本神話と比較神話学 第二十二回 王はなぜ「西」から来たのか? 神武天皇と五瀬命、ロムルスとレムス、モーセとアロン

神話の分類

 神話学においては神話はより広い口承伝承の領域の中で、伝説や民話に対して位置づけられる。神話は超自然的な存在の介入によってこの世界の起源を説明すると伝承者によって考えられている物語であるとされ、主に特定の地域・時代の事物・習俗の起源を説明する伝説や、「昔々あるところに・・・」と語りだされ地域や時代を特定せず、伝承者が事実とは考えていない物語である民話と区別されている。
 さらに神話の内部においても、世界の起源を語る創造神話と登場人物の運命に焦点を当てる英雄神話に区別されるのが一般的である。
 より詳細にみると創造神話の中でも天上や大地や動植物から人間の出現までを語る創世記的説話と、神々と人間の支配的種族の興亡と現在の人間社会(王権)の創始までを語る神統記的説話に分類される。アステカ神話では原初の暗黒から、ウィツィロポチトリとケツァルコアトルによる神々・人間・世界・食物などの創造までが創世記的神話、神々が太陽となって交替に世界を統治する四つの時代の物語が神統記的神話に相当する。
 また英雄神話もその内部に下位分類が含まれており、神々の時代の英雄神話と、人間の時代の英雄神話に分けられる。前者の例としてはギリシア神話のペルセウス、ヘラクレス、メソポタミア神話のギルガメシュ、中国神話の羿(ゲイ)などの半神的英雄たちの神話が挙げられる。後者はトロイア戦争の英雄たち(アキレウス、オデュッセウス)、各地の始祖王(王朝の祖)の神話が含まれる。前者は多くの場合、天から下りてきて地上の人間社会に文明をもたらす文化英雄を兼ねている。(半神的英雄たちがしばしば行う家畜盗みや家畜殺害は家畜の起源神話の痕跡である)後者はもはや神話というよりも伝説に含まれる場合が多く、物語が神々の時代と人間の時代の境界に立つように、神話と伝説(歴史)の境界的事例である。
 世界神話学が説明するように神話の定型性は世界中の神話の起源の共通性(共通起源)に由来するものであるが、伝説や民話の定型性は物語の形式のみに関わる。神話の共通性は物語の共通性自体よりも、諸々の神話にあらわれる神々の性格(神格)の一致(同一性)によっている。
 では人間の時代の英雄神話(王権神話)の定型性(各地の神話の共通性)は、伝説や民話のように形式的なものなのであろうか。
 以下で論じる各地の王権神話では王朝の始祖たる王が西方から出発し東方の地域において王権を創設するという共通性がみられる。これは明らかに形式的な共通性に限らず内容的な一致(共通する世界観=世界認識)を含むものであると考えられる。小論では世界の王権神話の共通起源たる世界認識を明らかにすることを試みる。

始祖王の東遷

 世界神話学においてローラシア型神話群の存在を提唱した神話学者マイケル・ヴィツェルは、ローラシア型の神話を明らかにする研究の一環としてユーラシア大陸の周辺としてのインド神話(ヴェーダの神話)と日本神話(記紀神話)の比較を行った。(「中央アジアと日本神話」松村一男訳)その一環としてヴィツェルはインド・日本両神話における王権神話の共通性を挙げている。
 まず神々から人間までの系譜的な対応として、両者の王権は女神による非性的な行為による誕生から始まり、最初の人類、そして最初の王へと至る。インド神話ではアディティ(女神)/ヴィヴァシュヴァト/マヌおよびヤマ・ヤミーの双子/プルーラヴァス(月種族の祖)/アーユ(日種族の祖)、日本神話では天照大神(女神)/オシホミミ/ニニギ/ホオリ/神武(大和王権の祖)という5世代にわたる対応する系譜がみられるという。(ただしインド神話ではヴィツェルがいうように最初の王は明確ではない。また日本神話の代表的な系譜は天照大神/オシホミミ/ニニギ/ホオリ/ウガヤフキアエズ/神武天皇であり、六世代となっている)
  また日本の王権の初代・神武天皇の東遷(西方の九州の日向を出て、東方の大和にて王朝を設立する)が、インドのブラーフマナ文献に現れるヴィデーガ・マータヴァの東方のヴィデーハ建国神話と共通することを指摘している。ヴィデーガ・マータヴァはサラスヴァティ河のほとりで全ての河を干上がらせながら東方へ向かうアグニ神(火神)に導かれヒマラヤ山脈より流れるサダニラ河へとたどり着いた。そこでヴィデーガ・マータヴァはアグニ神にヴィデーハ国の建国を命じられた。(Satapath-brahmana Verse 1.4.1.14)他にもヴィツェルは仏典に東のコーラサ国をオッカーカ(=イクシュヴァーク)という王で、東に進んで建国したという説話があることを紹介する。
 これの東遷の神話は興味深い。日本神話の神話時代でも国つ神(地上の神々)の王権の祖・スサノオは天上からまず朝鮮半島の国・新羅のソシモリに降り立ってから次に後に王権の中心がおかれることになる出雲に降り立った。ソシモリという土地は明確ではないが、新羅の首都・金城は出雲国のほぼ西方であり、スサノオは西方から海を越え出雲に「東遷」したといえる。
 また朝鮮半島の建国神話においても同様のモチーフが確認できる。夫余・高句麗・百済の始祖とされる東明聖王・朱蒙は、地上に降りた天帝の太子・天王郎・解慕漱(カムス)が河伯(河の神)の娘・柳花に産ませた卵から出現した神で、夫余王・金蛙に追われるも、河伯の外孫として水神に助けを乞い魚と亀の助力で鴨緑江を越え南下し、逃れた地に国を建てた。この朱蒙伝説は、天の神と水神の娘の子孫が超自然的な力で水界を渡った先で建国するなど、日本神話との類似性が日本の歴史学者・三品彰英によって指摘されている。
 さらにヘブライの説話(『出エジプト記』第十四章)で、ユダヤ民族の指導者・モーセがエジプトを逃れ紅海を割って海を渡り、「乳と蜜の流れる約束の土地」カナンに建国をしたという伝承も(モーセ自身は「約束の土地」にはいれなかった)「東遷建国」に含まれるかもしれない。
 なぜ、王権神話(建国神話)には東遷・渡海・建国の三幅対が現れるのか。

二重の都市、二重の王権

 日本の経済人類学者・栗本慎一郎によるとハンガリーの首都ブダペストはドナウ川の西岸・軍事と政治の都市ブダと東岸の商業の都市・ペシュトの二重都市であるという。これはハンガリーのマジャール人が、九世紀ペルシアの地理学者イブン・コルダドベの地理書『道と王国の書』に現れる、ヴォルガ河によって東西に分かれたカザール王国の首都イティル・カザラン(イティルとカザラン)に影響を受けて建てた都市だという。イティル・カザランも西部は裁判所と軍事キャンプを含む市の行政の中心地、東部は商業の中心地であった。
  都市は機能的・象徴的のみならず、地理的にも光の都市=政治的中心地闇の都市=商業的中心地に川を挟んで分割される。軍事的・政治的に秩序化された前者と、外国人・犯罪者も紛れ込む猥雑で混沌とした後者はそれぞれ光と闇として論じられる。
 この都市の二重性とは別に、栗本は遊牧民などの古代社会においては二重の王権が存在したと論ずる。栗本によればシュメール文明はルガル(軍事的支配者)とエンシ(神殿と宗教の権力者)の連立による二重統治体制だった。このシュメールの二重王権はのちにスキタイと呼ばれる南シベリアの遊牧民国家から継承されたものだという。
 つまり古代・中世社会では都市の二重性(政治的・軍事的/商業的)に対し王権の二重性(政治的・宗教的/軍事的)があったということになる。
 フランスの神話学者・デュメジルは拡散以前のインド=ヨーロッパ語族の世界観として、神々から社会階級まで第一機能「主権(司法・呪術)」、第二機能「軍事」、第三機能「生産」という三機能に分割されるという観念(三機能神学)が存在していたと論じた。
 このデュメジルを参照すると、二重都市においては第一機能(主権)と第二機能(軍事)に対し、第三機能(生産)が対立し、二重王権においては第一機能(主権)と第二機能(軍事)が対立しているということになる。(商業都市は生産都市でもある。また第二機能は商業にも関わる)
 闇の都市は混沌として猥雑としているが、第三機能(生産)に関わる神々の社会がときに近親婚も許容されるような性的な鷹揚さを持つことをデュメジルは指摘している。(ゲルマン神話では第三機能を司るヴァン神族に属する女神フレイヤ〔「女主人」の意〕は神話でもすべての神々を愛人としているといわれる)
 デュメジルに師事した日本の神話学者・吉田敦彦によると、日本神話に現れる神々の二つの集団、天つ神(天上の神々)と国つ神(地上の神々)はそれぞれ、天つ神は第一機能と第二機能、国つ神は第三機能とかかわりが深いという。これは栗本慎一郎の光の都市(政治・軍事の中心地)闇の都市(商業の中心地)の分割と対応している。一方で天つ神の第一機能と第二機能という二重性は王権の二重性(宗教と軍事)と一致する。

東遷・渡海・建国

 以上の栗本慎一郎の都市論・王権論を踏まえたうえで、建国神話の考察に戻ろう。
 先の建国神話(東遷神話)に関わる議論においてはマイケル・ヴィツェルは、東方の国ヴィデーハの建国者ヴィデーガ・マータヴァは「文化の中心である西のクルクシェートラから野蛮な東の世界に進み、そこに建国したといわれている」と指摘している。「文化の中心」とは政治・宗教の中心地、「光の都市」と同一視できるだろう。対して「野蛮な東の世界」とは猥雑・混沌とした「闇の都市」に属していると思われる。
 神武天皇が兄弟たちとともに目指した大和とはいかなる場所であったか。
 出雲国造家が奏上する祝詞『出雲国造神賀詞』では出雲大社で出雲国造家によって祀られる国つ神の王・大国主神の和魂(分霊)とされる、倭大物主櫛厳玉命と大国主神の御子神三柱、つまり国つ神の主神的な神々が皇室守護のため大和国に鎮まり坐しているとしている。
 つまり、大和は国つ神(第三機能=生産・商業を司る神々)の守護を受けた国なのである。
 古代社会の都市は川の流れを境に西岸の「光の都市(=政治的中心地)」と東岸の「闇の都市(=商業的中心地)」に分割される。これはおそらく世界神話にさかのぼるコスモロジーに基づいている。
初代の王が西方より東を目指し、水界を渡り、東方の地に国家を設立する」という東遷建国神話は、古代社会のコスモロジーに結びついた政治的・軍事的都市と商業的都市の王による統合という事態を背景にしていると思われる。

双子の王権

 マイケル・ヴィツェルは、ローマ建国の際の、ローマの建国者ロムルスによる双子の兄弟レムス(インド神話のヤマ、ゲルマン神話のユミル、インド=ヨーロッパ語族の古層の神格イェモに相当する)の殺害を、神武天皇の兄・五瀬命(イツセノミコト)の、敵軍との戦いの傷がもとでの大和に入る前の死亡と比定している。いずれも王権の創始者の兄弟は建国の地に入る前に死亡している
 ヘブライの伝承でもユダヤ人の指導者モーセを補佐した兄である祭祀アロンが約束の地カナンに入る前に死んでいる。(ただしモーセ自身も約束の地に入る前に死んでいる)
 なぜ建国神話においては共同統治者ともいえるような、創始者の兄弟が国家の創設を目前として死なねばならないのか。
 その背景には国家の創設に際し、宗教的指導者と軍事的指導者という王権の二重性・連合的統治の、軍事的指導者の優位による両者の統合が進んでいるという事態があったと思われる。いいかえれば、それは本来、王権に帰属すべき主権・軍事・生産という神学的三機能の再統合(王権の三元性)こそが建国といわれる事態の本質であったということでもあろう。
 

参考文献

工事中。

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