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2021/09/10 流行り病と接種について

八島操です。

普段は南インド屋の店員Aとして下働きをしていますがわたしのただひとつの天職は個人セッションです。メール等でご相談をいただくことが多いので、公開としてお答えしています。ご相談は随時募集しています。

今日のご相談はのんたんさんからです。

今話題の「わ◯◯ん」私は打たない派なのですが、職場や周りでは、もう済ませている方が何人もいらして…
本人の自由だから…と思ってはいるものの…その方々からの影響があるという情報を見ていたら、恐怖やおそれ、不安な気持ちになります。
こんな時、どうすればよいのでしょうか?
どうやって乗り越える?
意識をあげる?
もうダッシュで逃げるん?
こわいよー
助けてーー
お願い🙏
よろしくお願いします



のんたんさん、この疫病騒ぎも随分経ちましたよね。

だいたい1年半ですか。こんな日がくるとは思いませんでしたね。いやああ、煮詰まってきましたねえ。「マスクが不足だからキッチンペーパーに輪ゴムを付けて代用しよう」というマドモアゼル愛先生のyoutubeはいま観ると牧歌的にさえ感じますよね。

この疫病騒ぎが始まった頃からこれは対策といえるんかいなというのがありましたよね。「家から出ない」「買い溜めをする」はわかりますけれども「いや買い物は三日に一回」身体のために「塩が良い」「いや梅干しだ」「つまるところは発酵食品だ」「朝バナナだ(これは違うかも)」等もう忘れちゃうくらいの色んなブームがあったようですよね。 

近所のイオンの六花亭に行ったら店員さんが「今日は三日に一度の買い物の日に当たってるから混雑していますよ」と苦笑いをしていたので、ああ世の中ってそういうことになっているんだ。と感心しました。ちょっと浮足だってる?流行りに乗っちゃっている?って思いましたが「不謹慎だ!」って叱られちゃう?

あ、話が逸れました。いつものことですがね。             県を跨ぐどころか北海道から東京に行っているわたしはどうも周りの人に恐怖を与えていたようです。「東京帰りのみさおちゃんは菌にまみれている」ということでね。「フン!テレビの見過ぎだよ。煽られてるんだよ」「美味しいもの食べてぐっすり眠れば元気でいられるんだよ」と思っていました。言わないけれどね。

あの頃怖がっている人達は一様に「薬が無いから怖いの。予防接種さえできればいいのに」と言っていました。だから接種を済ませてこれでお買い物にも旅行にもクラス会だって行けるわ。先延ばしにしていたお姑さんの三回忌もできるわ。とホッとしていることでしょう。ところが今度はわたしがその方たちのことが怖くなっちゃったわけですよ。のんたんさんもそうですよね。 

「げげげげ、この人予防接種済みってことはそこからわたしに曝露だかなんだかが来るんじゃないの?」「えええ!どの人が接種済みなんてわかんないけどまずは年寄りが危険だな。高確率で接種してるよね。傍によりたくないわ」って一瞬思ってしまったことを告白します。

東京帰りで怖がられていたのが立場が完全に逆転しましたね。意趣返しっていうのですよね。

そして「マスクをしていない方の入店をお断りします」がもう普通になった世の中なのですが「わたしの店には接種した方の入店はお断りします」というのもあるのですよねえ。まあ、一年以上冷や飯食った感のある反マスク派としては「いまこそ責めのとき」なのでしょう。わかります。中には「汚いマスクを店内に持ち込むことも禁止です」「ついでに柔軟剤つかってる人も来ないでね」という店主もいます。いいのです。自分の店なんだから。

これはどうやって収束するのか、お互いに反目しあったままで寿命が終わるまで生きていくのかわかんない。                  「お前は汚い」「よく考えろ、お前の方が汚い」いやああ加藤剛演じる大岡越前さえいれば大岡裁き。いやあ無理ですね。

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ジョンレノンが歌ったイマジンの日はなかなか来ないですねえ。国境なんてないよどころじゃないですね。  

ただ、わたしはこの疫病騒ぎが始まった時に「道端に人がばたばた倒れているわけじゃないからみんながみんな死ぬわけじゃないよ」と思ったのです。だから今の接種済みの方からの曝露が怖いということにもそう思っています。「みんなが曝露で死ぬんだったらその辺に死体が転がるよ」これがのんたんさんへのお答えです。良かったら続きも読んでください。わたしが日々思っていることです。

「死ぬかもしれない」という怖さはどの人にも等しく埋め込まれている本能なのですよね。生きていたいから「健康に気をつけて」「治療法を模索して」「危ないものからは離れる」ですよね。わたしだってそうです。結局のところ毎日がいつ死を引くかのあみだくじですよね(あみだくじって阿弥陀籤だって知っていましたか?)毎日がスペシャルディで(竹内まりや)なんでもない日おめでとうで(不思議の国のアリス)今日も誰かの命日なんだよね(八島操)

ただ、この病気に罹ってしまった方とその周りの方を蔑んだり面白がるような扱いだけは58歳の大人としては絶対にしてはいけないと心に誓っています。それはもう30年も前でしょうか、尊敬する優しい繊細な女性が「なんだかずっと喉が痛くてね」とこぼした時に20代のわたしは励ますような、茶化すような、時事ネタを取り入れるような気持ちで「え、風邪ひいた?それともAIDSかなあ」と言ったのです。ああ、タイムマシンに乗ってバカなわたしの口を塞ぎに行きたい!   

彼女は「それならば後のほうの病気の方がいいわ。医療の発展の役に立てるから」と微笑んだのでした。わたしは本当に恥ずかしかった。恵まれない人のために炊き出しをし、囚われの人と文通をする彼女は人の痛みがわからない若くて愚かなわたしを責めることなく気づかせてくれたのでした。その時のことをいつか謝りたいと思いながら再会できずに彼女は突然亡くなってしまったの。  

普段はズケズケと堂々と生きているわたしなのですが、ふとした時に優しい彼女のことを思い出してちょっと良い人になるのです。

のんたんさまの気持ちが少しでも楽になると良いなあと思っています。





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